If you jump the boundary ⑦


 けど、だからといって、ぼくが大人である校長先生たちを信用したわじゃない。


「わたしを心から大切に想う子だから、そばに居てほしくないの! ──この話しはもうイヤッ! もう、うんざり! お願いだから、今はわたしをそっとしといて……じゃないとわたし、気が狂ってしまいそうっ……!」


紫穂は息を荒げて、声をしぼり出すような、う低い声色でうめいた。


髪の毛もぐしゃぐしゃとむしって、気がふれる直前の人間のような仕草をしている。


「鳥海くん……」背後に立っていた教頭先生が、ぼくの肩に手を乗せてきたから、すかさずぼくはその手を払いのけた。


教頭先生が目をまるくして、ぼくをジロジロと凝視ぎょうししているのが、見るまでもなくわかる。


けどぼくは、紫穂から視線をそらさなかった。


 だって、どうして、きみの自殺の理由がぼくになるんだよ──。

どうしてなんだよ……!


「他人をここまで、心から大切に想ってくれる人は、そういないわよ。それをあなたは、ないがしろにするの?」校長先生が、落ち着いた口調でためすように云った。


ぼくの怒りが頂点に達して、ここでようやく、さっきからこの先生に対するしゃくのさわりようが理解できた。


 この校長先生は、親切ぶって、ためすような口ぶりで、紫穂の口から真相を聞き出そうとしているんだ。それも、ぼくが傷つくような真相なのに。


 そしてそれは、紫穂自身も傷つけかねないっていうのに、それを、聞き出そうとしている。それも、ぼくが居るこの目の前で。


──この校長先生は、なにを考えているんだ? ぼくたちの仲を、引き裂きたいのか? そうなのか?


 考えがそこまでおよんで、ぼくは校長先生を睨みつけた。


「……あらあら」校長先生は、ぼくと紫穂を交互こうごに見て、今度はひょうきんぶった声でおどけた。……ああ、ダメだ、すごく、イライラする。

「鳥海くん、あなた──八鳥さんと同じような目つきをするのね……なんだかあなた達って、ている……」


 校長先生が〝あくまで〟なにげなく云った言葉に、紫穂はまんまと逆上ぎゃくじょうした。


 ぼくのほうへふり返って、ソファ越しに、つばを飛ばすいきおいでギャンギャン泣き叫んだ。


「──だから! あんたはさっさとどこかに行きなさいよ! わたしのそばに、二度と近づかないでっ!」


 ──〝二度と近づかないで〟。


 この言葉は、ぼくの胸に、ひどくえぐく、するどく突き刺さった。


体から、力が抜けていくように愕然がくぜんとして、よろめいて、この場にくず折れてしまいそうだ。


「もうじき、昼休みが終わる鐘がなる……」教頭先生がなだめるような声をあげた。


「だからなんだっていうんですか」ぼくは茫然としながらも声をあげた。「こんな状態で授業を受けたって、身につくはずがない! ──紫穂、ちゃんと話しをしようよ……頼むから」


 ぼくは必死にうったえた。

ぼくの肩をつかもうとする教頭先生の手を、懸命に払いのけながら。


「話す事なんて、なにもない! ほっといてっ──!」紫穂は、雄叫びをあげるように泣き叫んだ。


 徹底的にこばまれて、ぼくの心はからっぽになった。

力も抜けきったぼくの体は、教頭先生にうながされるままだ。


校長室の外に出されて、ピシャリとドアを閉め切られた。遅れて、かぎがかけられた冷たい金属音が、ぼくの胸と思考にとどめを刺した。


 紫穂……ぼくは、きみの考えている事が、わからないよ……! ぼくたちの、エコーロケーションは、どこに行っちゃったんだよ──!


「だから、ほっといてって云ってるでしょ!」校長室のドアの向こうから、紫穂の発狂する声だけが、廊下に響きわたっている。


「わたしの考えている事が、あんた達大人に、わかりっこないじゃない! そのくせ、あーじゃない、こーじゃない、それでもないって、わたしを否定ひていするクセに!」


 紫穂の剣幕に、さすがの校長先生も感情的になりだしたようだ。

うっすらと声が聞こえてくる。


「だから、理由を聞かせてほしいのよ……そうじゃないと、私たちはあなたをわかりたくても、わかってあげられないし、話してくれないと、助けたくても助けられない」


「イヤッ!」怒鳴りすぎて、紫穂の声がかすれてきている。「どうせ否定するにきまってる!」


「それも、話してみないとわからないでしょう? どうして否定するって決めつけるの?」


校長先生も、もうおだやかな口調をたもてないようだった。

切実せつじつにうったえているのが、声色で、よーくわかるよ。


 だけど肝心の紫穂の調子は変わらないままだった。

逆上しきっていて、わめき散らしている。


「わかるから!」紫穂は強く断言した。「わたしには、わかるの! あんた達が否定するって、わたしにはわかる! そんなの、わかりきりすぎて──話すまでもないっ!」


 先生二人のため息声が、こっちにまで聞こえた。


 しばらく沈黙がつづいたけど、じきに声を出したのは、校長先生だった。


「もうじき午後の授業が始まるわね。八鳥さん、あなた、給食を食べていないでしょう?」


「給食なんか、いらない! 食欲なんてあるわけないでしょう! 自殺しようとした人間に『お腹空いてる?』なんて、よくも訊けたわね! あったま悪いんじゃないの? 食欲なんかあったら、自殺しようなんて考えない!」


「……それなら」校長先生は疲れ切ったような声をあげた。「あなたが落ち着くまで、ここの校長室に居ていいから。落ち着いたら、授業に戻ってもいいし、学校が終わる時間まで、ここに居てもかまわない。……あなたのランドセルとかの荷物は、教室に置いたままでしょう? 誰かにお願いして、こっちに持ってこさせる?」


「……いい」紫穂がか細い声で、弱音を吐くようにささやいた。「……そのうち、自分で取りに行く」


 そのあとの会話は、昼休みの終わりを告げる、チャイムのバカデカイ音が、紫穂の声をかき消して、まるで聞こえてこなかった。……もしかしたら、それっきり会話は終わっていたのかもしれない。


 ぼくは負け犬同然に、茫然と、自分のクラスに戻って行くしかなかった。


…*…

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