If you jump the boundary ⑥


 ぼくは髪の毛をむしゃくしゃむしりながら、自分の席に戻って……座った。


なんだよ……校長室に居るんじゃ、今すぐけつけて、紫穂のそばに居られないじゃないかっ! なんで校長室なんだよ!


 いや──今すぐ校長室に駆けつけるのも、

いいかもしれない。


校長室に行ったらダメなんて……ああ、そういえば校長室に行ってはならないだとか、そういうのが学校の暗黙のルールだったよな。


けど、今は〝むやみ〟じゃない。それこそ人の命がかかった、一大事なんだ。


それも、よりにもよって、ぼくの大切な紫穂だ。行かないわけにはいかない。


どうせ学校は、家族にも連絡はしていないんだろう? 自殺の理由が、理由だもんな。


 連絡をいれれば、紫穂は今日、あの時死んでいれば良かった──そういう思いをするハメになるんだ。


 そう思ったら、ぼくは走りだしていた。

初めて、この学校に来た時に入った、校長室に向かって。


 別校舎の階段を駆け下りて、廊下も通路も走り抜けて、ぼくは校長室のドアをたたいた。


ノックなんかじゃない。力まかせに叩いた。

……べつに、形式ばって、律儀りちぎに礼儀をつくして守る必要もないけどな、とにかく、叩いて叫んだ。


「──ここに紫穂が……八鳥が居るって聞きました! 入ります!」


問答無用でドアを開けた。

それから、開けて気づいた。ぼくの目の前に、人が立ちふさがっているって。


 ぼくは、ぼくが行こうとする先を、邪魔してくる人を見上げた。……いや、にらみ上げた。


 立ちふさがっているのは、教頭先生だった。


「どいて下さいよ」

見おろしてくる教頭先生に、ぼくは食ってかかった。

「ぼくは、八鳥 紫穂に逢いに来たんです。通して下さい」


「入ってこないでよっ!」紫穂の怒鳴り声が耳をつんざいた。「なによっ! あんたがいると、今までのわたしが──バカみたいじゃないっ! 入ってこないで! ほうっておいてよーっ!」


怒りの癇癪玉かんしゃくだまが破裂したみたいに、泣きわめきながら、すごい剣幕けんまくで怒鳴り散らしている。


 紫穂がこんなにも泣いて、感情的になるなんて……こんなの、今までなかったぞ。

いったい、なにがあったっていうんだよ。


 ぼくは茫然ぼうぜんとしながらも、立ちはだかる教頭先生のわきを素早くすり抜けた。


 紫穂は、ぼくが登校初日に座らされたソファで、体育座りをするように、体をちいさくまるくるめて、うずくまっていた。


「紫穂……紫穂……」


 ぼくはいながら、紫穂に近づいた。

だけど、紫穂は、顔をあげるや、泣きはらして赤く腫れあがった目でぼくを睨み抜いてきた。


「だから! こないでって云ってるじゃないっ! 先生──」

紫穂が赤く腫れあがった目を、ぼくの背後へ睨み飛ばした。「なにやってんのよ! 早くそいつをつまみ出して!」


 ああ、そうか……と、ぼくは痛感した。


紫穂は、ぼくがここに居るのが、イヤなんだ。

それで、教頭先生にお願いして、ぼくを追い出せと……そう云いたいのか。


だけど、どうしてだよ。今のきみには、ぼくが必要なはずなのに。


 きみは今、絶対に普通じゃない。

長い虐待にたえきれなくなって、精神が崩壊しつつあるんだ。


「いいの?」紫穂の向かいに座る校長先生が、悲痛な面持おももちで声をあげた。「あなたを心から想っていて、心配している子のようだけど……あなたは、あの子を大切にしなくて、いいの?」


「──いいの!」紫穂はだだをこねる子供のように泣き叫んだ。「あの子がそばに居ると、わたしは困るの! それも、死にたくなるほどにっ! だから、お願いだから、あの子をどこかへやって!」


 紫穂はふり返って、ぼくを指差した。顔つきは、ひどい形相ぎょうそうだ。


赤く張りあがった眼はつり上がってるし、歯も剥き出しにして、犬が威嚇で唸っているような顔つき。


 どうしてだよ、紫穂、これじゃあまるで、ぼくが……。

 そこまで考えて、ぼくはやっと理解した。


 紫穂の自殺の原因は、ぼくなんだ──と。


 だけど……「どうして……どうしてぼくなんだよ、なあ、紫穂? 教えてくれよ。話してくれよ。──そうじゃなきゃ、きみの気持ちがわからないだろう!」


 ぼくは、知らず知らずのうちに、心の声を、じっさい口に出して叫んでいた。


「話す事なんか、なにもない!」紫穂がつっぱねた。


「どうして?」校長先生が、あくまで落ち着いた口調で口をはさんできた。


……校長先生の落ち着きはらった態度が、みょうにしゃくにさわる。

ぼくの、自分のイライラがつのっていくのがわかる。


「あなたを、こんなに心配して、大切に想ってくれている子よ? ここの校長室まで駆けつけて来るなんて、よっぽどじゃない。


他の子は〝校長室〟って聞いただけで尻込しりごみして、近寄らないのに。……もしここが保健室だったら、今頃、野次馬やじうまで大変な騒ぎになっていた……」


 そういう事かよ──。


ぼくは校長先生の機転きてんに納得した。だから校長室ってわけなのか、と。


 保健室じゃなくて校長室を選んだのは──紫穂を、うるさい野次馬から守るため。


……確かに、考えてもみれば、保健室だと紫穂を守りきれないだろうさ。


よりにもよって、こういう時に限って〝腹が痛い〟〝頭が痛い〟〝熱っぽい〟だのバレバレの仮病ウソをついて、保健室に野次馬がなだれ込んで殺到するだろうさ……ああ、ぼくにだって容易よういに想像ができるよ。


そして、その野次馬の中には、虎視耽々とこののがさず、弱り果てている紫穂に向かって、心無い言葉を投げつけて、とどめを刺そうとするやからもいるはずなんだ。──ぼくの、兄さんとかな。


 だから、近寄りがたい校長室を選んだってわけか。


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