I've been patient ⑦


 野次やじと当てつけのようだったけど、ぼくは兄さんの提案も悪くないなと思った。久しぶりに、火の鳥を読み返すのもいいだろう。


前に読んだ時とは違った物のとらえかた……

気づかなかった思考とか、解釈かいしゃくができるかもしれない。


「そうだね、借りてみるよ。……兄さんは、もうこの本を読まないの?」


一応、確認だけしてみた。

家に帰ってから、本の取り合いでケンカはしたくないから。


「いい、読まない」

兄さんはバツが悪そうに云いながら本を閉じて、ぼくの足の上に火の鳥の本を置いた。


 ぼくは本に目を落としたまま微笑びしょうして、表紙の火の鳥を眺めた。


「……じゃあ、この本借りてくるから、母さん、ぼくの図書カードを貸してよ」


 図書館の図書カードを持っているのは、母さんだ。

ぼくたち子供が、図書カードをくしたら困るからっていう理由で。


 母さんは手荷物のバッグの中をまさぐって、お財布を取り出すと、ぼくの図書カードを出してくれた。


ぼくにカードを渡ししな、母さんはなんだか悲しげに、遠くを見るような目つきで云ってきた。


「涼、図書カードは、もう自分で持っていなさい。あなたには、ひっきりなしでこのカードが必要になりそうだから」


 ぼくはまた微笑をして、図書カードを受け取った。

ほんのちょっぴりだけど、母さんとぼくは、お互いがお互いに、自立しつつあるようだ。


「うん、ぼくには図書カードが必要みたい。それから、自転車も。自転車があれば、一人でここまで来れるし……」


この、ぼくの自立への提案は、母さんの顔を曇らせた。……自転車で、一人でフラつかせるのは、まだ心配のようだ。


……そうか、それならしかたがないな。

辛抱強く、そうなれる日が来るのを待とう。


「じゃあ、貸出の受付に行って来るね」

心配げな表情をする母さんに伝えて、おまけで兄さんにも目を合わせる。


 受付は、ちょうど混み合っているタイミングで、貸出の受付をする順番待ちの列ができていた。ぼくは最後尾に並んで、ボウッと、順番が来るのを待った。


「──え! 紫穂、あんたが、クラシック音楽なんて聴くの!」


頓狂とんきょうな大声と──〝お静かに〟をモットーとする図書館で、この声の大きさはまずいだろう──呼ばれた紫穂という名前に、ぼくは瞬時に反応した。


 声の先を見てみれば、そこには、他のだれでもない〝ぼくの紫穂〟がいた。


──驚いた。紫穂が、図書館にいるなんて!


しかも、なんだって? クラシック音楽?


 ぼくはすぐに、紫穂の真後ろにある一角へ目を向けた。


〝音楽・試聴コーナー〟と書かれた部屋がある。それを見て、ぼくはまたしても驚いた。


 ──図書館に、音楽コーナーまであるだなんて、知らなかった!


 しかも受付カウンターが、この〝音楽・試聴コーナー〟を目隠ししてしまっているから、入り口から入ってきただけじゃ、このコーナーがまったく見えない。


存在自体もひっそりしているし、死角もいいところだ。


 そう思うと……紫穂は良く知っていたよな、この図書館に〝音楽・試聴コーナー〟があるだなんて。


 もしかしたら紫穂は、ぼくなんかより、よっぽどこの図書館の常連じょうれんなのかもしれないぞ。


「わたしが音楽を聴くのって、そんなにへん?」

紫穂は気恥きはずかしかったのか、顔を真っ赤にして、つっけんどんに云い返した。


云い返された人は、小柄な中年の女の人だった。……ひょっとして、あの人が紫穂のお母さんなのかな?


「ううん……へんってわけじゃないんだけど、ちょっと意外だなって思っただけ。──あんたが、クラシック音楽ねぇ~……」


なんて云いながら、紫穂をしげしげとみている。


 紫穂は、大きな声で〝クラシック音楽〟と連呼れんこされたのが、よっぽど恥ずかしかったのだろう。ますます顔を赤らめた。


(まあ、確かに、小学三年生が、クラシック音楽なんて聴くわけがないよな。……ピアノとか習っているんなら、話しは別だけど。


けどな、ぼくが思うのもなんだけどさ、まさか、紫穂がピアノを習っているようには、やっぱり見えないんだよなあ……)


「わたしがクラシック音楽を聴いて、なにが悪いのよ!」


紫穂は、ここが図書館であるのを重々承知なようで、怒声を押しつぶしたような声で云い返した。


「ウチって、ゲリラ戦争まっただなかって感じじゃない!

 時代遅れなのか、戦争の名残なごりをひきずっているのかは知らないけど、


でもね、わたしはそのせいで、あんないえ迂闊うかつにうかうかと寝てもいられないんだから! いつおそわれるのか、わかったもんじゃない! ──だからわたしは、音楽に安らぎを求めているの!」


 紫穂の云いぶんを耳にした、この場に居る全員が、動揺と戸惑いの表情を見せた。──そう、この親子のやりとりに、受付に並んでいるみんなや、通りがかりの人も、近場の本棚にある本に目を止めたフリをして、そばで聞き耳を立てている。


 いつのまにか、注目のまとになっている。


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