第十三章 I've been patient

I've been patient ①


 あのあと紫穂は、逃げた兄さんを眺めて、

獲物が昇降口に隠れ込んだのを見届けると、

なに事もなかったかのように通学帽をかぶって、ランドセルも背負しょった。


 そして、両腕を広げると、誰に云うでもなく、声高に宣言した。


「──さあ、これで、上級生の独裁政権どくさいせいけんはおしまい! これからの校庭はみんなのもの!」


 見物人たちから、どっと歓声があがった。


 逆転ホームランをおがめた瞬間のように、黄色い歓声が飛びっている。


 お祭り騒ぎだ。


 騒ぐ生徒のなかには、その場で次々とランドセルをおろす子までいて、身軽になった者は自由を謳歌するように、校庭をけ走り始めている。


 それから遅れて、さわぎを聞きつけた──誰かが、ちくったんだ──先生たちが校庭に駆け出てきた。


 校庭で遊ぶ生徒たちをぬいわけて歩き、どん中にいる紫穂まで一直線に目指す。


紫穂は逃げも隠れもせず、朝礼台に両肘りょうひじをついた背もたれにして、

ふんぞり返って先生たちを見ている。


 先生たちは、紫穂を取り囲んだ。


「お前、今度はなにをした?」男の先生が、やぶからぼうに、低い声音でおどすように云った。


 ぼくは、はたから見ていて、大人の圧力ってものを感じた。……怖い。

でも紫穂は笑って、口笛でも吹きそうなくらいの軽い調子で、脅し声をあげた先生とは別の、違う先生に向かって応えた。


(たぶん紫穂は、この先生の集団の中にも、話しのわかる人──つまり、話しのつうじる人と、通じない人がいるのを、もう知っているんだ。


話しの通じない人を相手に、論破ろんぱしようとしても、それは叶わない事だと、紫穂は悟っているんだ。


──という事は、大人になれば〝みんながそれなりにかしこくなる〟ってわけじゃなさそうだな。……教員免許を持っていようが、話しにならない大人もいると云う事だ)


「──べつに、なぁ~にも!」紫穂はひょうきんに云いきった。「ごらんのとおり、みんなと仲良く校庭で遊んでいるだけ! 先生だって、いつも云ってるじゃない! 『みんなと仲良く遊びましょう』って!


わたしは、先生みたに〝くちだけ番長ばんちょう〟じゃないから、それを実行したまでよ! ──けど、あ~あ! とんだ邪魔者が入ったせいで、ほら、見てよ、みんな遊ぶのやめちゃった! これって先生のせいだよ? まだ予鈴よれいも鳴っていないのに、そんな血相けっそう変えた怖い顔で出て来るから!」


 〝先生のせい〟と云われて、カチンときたのか、中高年の白髪交じりの、恰幅かっぷくのいい先生が怒鳴どなり声をあげた。


「お前がいつも大騒ぎを起こすからだろうが!」


 罵声ばせいを聞いた、周りにいた生徒たちが次々に校舎へ逃げだした。


 紫穂はみるみるいか心頭しんとうといった具合に、怒鳴り声をあげた先生に向かって、すごい目で──怒りに燃える爛々らんらんとする目で──にらんだ。


睨みながら、視界に入る生徒たちも見ている。


「あんたら大人が、しかも先生のクセに! なぁ~にもしないからでしょう!」紫穂が、先生にってかかった。


 昨日、植田がぼくに話してくれた〝アイツは先生にまでケンカを売る〟っていうのは……本当だったわけだ。


 紫穂は激昂げっこうする自分の気持ちをおさえ込もうともせず、

ケンカごしの口調で、罵声をあげた先生に向かってえるように文句を飛ばした。


「いっつも上級生が校庭を占領せんりょうしているのに、それなのに、なあ〜にも云わないで、なにが『みんなと仲良く遊びましょう』よ! バッカなんじゃないのっ?


あんた、あれでしょう? あの高学年の生徒の担任なんでしょう? 自分の生徒が可愛かわいいのか、自分の先生としての立場が可愛いのか知らないけど、見て見ぬふりをするのは、これまでなんだから!


その堕落だらくした大人ぶりと、やましいおこないを、わたしがぜーんぶ、ひけらかしてあげる! 嬉しいでしょう? 自分が今まで、せっせと努力してきた日々が、白日はくじつのもとにさらされて!


それどころか、脚光きゃっこうまでびるなんて! さぞ見ものなんでしょうねぇ、その瞬間っていうのは!」


 ……紫穂、それは、先生をおどしているうちにはいらないか?


見ろ。あの怒鳴り声をあげた恰幅かっぷくのいい先生の顔が、みるみる蒼褪あおざめていってるぞ。


「まあ、まあ、八鳥さん、落ち着いて」

始めに紫穂が話しをふった先生が、こまり顔で


──その困り顔のなかに、れやかな感情めいたものがにじみ出ていた。この先生はきっと、笑いを噛み殺しているのだろう。……という事は、怒鳴り声をあげた先生の〝やましいおこない〟が、図星ずぼしだったって事だ。すごいぞ、紫穂──


あくせくと仲裁ちゅうさいに入った。

上林かんばやし先生も、今回はなにごともなかったようだから、いいじゃないですか。……八鳥さん、教室に行きなさい」


 すると今度は、が、顔を真っ赤にしてガナリ始めた。


「そうやって教頭先生が、へんにかばって、甘やかしたりするから、この子はつけあがるんですよ!」


 そうか、話しのわかるこの先生が、教頭先生だったのか。


 その教頭先生が、わざとらしく目をまるくして、驚いたように訊き返した。「おや、それじゃあ、上林先生は、脚光きゃっこうびたいので?」


「カメラのフラッシュの雨を、たくさん浴びればいいのよ」紫穂がチャチをいれて、教頭先生は顔をしかめ、たしなめた。──上林先生の顔色は、また蒼白になっている。


「八鳥さん、そのくらいにしておきなさい。口の利きかたも、気をつけるよう前に云ったでしょう? 目上めうえの人には、ちゃんと敬語を使わないと、自分がそんをするんだからね」


 教頭先生は、あくまで優しく、辛抱しんぼう強くさとすように云った。


けどその指導も、紫穂は水のあわにするらしい。

バカにしくさったように両眉をあげて、おでこにしわをつくると、

ため息を吐きながら〝敬語について〟を言及げんきゅうし始めた。


「敬語っていうのはね、けいっていう漢字を使ってるくらいなんだから、尊敬している人に使うものなの。体だけが大人になった、頭がからっぽな人を、どう尊敬すればいいのよ?」


 おお、ごもっともだ。

紫穂は相変わらず、あー云えば、こー云う、口が達者な人なんだなあ。


 あんに、頭がからっぽだと云われた上林先生のにぎこぶしが、ブルブルとふるえ始めているぞ。



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