Please don't be a stranger ⑰


 怒鳴られた紫穂といえば、

朝礼台に寄りかかりっぱなしで、チャラチャラ笑っている。……楽しそうだ。


「関係ないわけでもないんだけど……」紫穂はいわくありげに、笑いながらゆっくり云った。「ねえ、あんた、自分よりも下の学年の子をいびるのって、楽しい?」


 ぼくは驚いた。──紫穂が、愉快そうに、くだけた感じで、ズバリ云った!


 兄さんは面喰めんくらって、言葉を失いつつも、頭の中では反論を探しているようだ。だって、紫穂を見る目が右往左往うおうさおうしている。


 紫穂は、おもむろに、朝礼台にかかっている砂埃すなぼこりはらうと、自分の頭から通学帽をとって、そこに置いた。


そして、おしゃべりを優雅につづけた。

(そう、優雅に見えたんだ)


「……昨日〝わたしたち三年〟が、この五年生とのサッカーの勝負に勝ったの。


……それで? 負けた、なさけなくもあわれな五年生たちをいたわりもせず、なじりつけるあんたは、いったいどんなおえらいさんなんだろうねぇ? きっと、どこぞの、たいしたお偉いさんなんだろうけど──だとすれば、わたしは、あんたが上級生の〝もとじめ〟だっていうふうに判断するけど、いい?」


 ここで紫穂は、あやうい笑みに表情を変化させた。

同時に、背負しょっていたランドセルも朝礼台の上に置いて、自分をすっかり身軽の状態にしている。


……いつでも戦闘せんとうできるわよ、かかってきなさいよ。


そんな声が聞こえてきそうだ。──〝いい?〟


 紫穂が、最後に訊いた〝いい?〟の言外げんがいには、これからケンカをして、〝もとじめ〟であるあなたをつぶすけど、いいかな? の、意味合いが込められている。


 実に物騒ぶっそうな言外だ。


「ここは校庭のど真ん中で、よく目立つし、おまけに、朝の通学の最中さいちゅうだから、見物人けんぶつにんも多い。みんなの前で、あんたをたたきつぶせば、いい見せしめになる……」


 紫穂はニヤリとやって、校門から昇降口までを流し見た。

つられて、兄さんも、五年生も、登校してくる生徒たちへ視線を向け、表情をあせらせだした。


……いつのまにか、登校してきた生徒達全員が、足を止めて、固唾かたずを飲み、朝礼台に集まる紫穂たちを、い入るように遠目から見つめている。


 紫穂は兄さんへ視線を戻すと、歌うように笑いながら話しをつづけた。


「そうすれば、今度はあんたがはじをかく番だし、上級生はもう、でかい顔で歩けなくなる。……学校は〝わたしたち〟のものよ」


 云いきると、紫穂は五年をすがめ見た。


「あんたら五年生、あんた達のお役目やくめは、もう終わってるの。──さっさと教室に行きなさい。わたしはこいつと、で話しがしたいのよ。


……べつに、恥の上塗うわぬりをしたうえで、痛い目に遭いたいっていうんなら、ここに居てもいいけど、


でも巻き込まれてケガしたからって、わたしのせいにしないでよ? わたしは親切に、ちゃんとこうして最初に教えてあげているんだから。それでも残るっていうんなら──」


 紫穂のお喋りが最後まで終わりきるのを待たずして、五年生たちは、足早あしばやに、次々と、昇降口のほうへ走りげだした。


「あ~らら~」紫穂はやっぱり楽しそうだ。「み~んな、逃げちゃった。あんた一人だけを残して」


 兄さんは、一人っきりになった事で、まるで丸裸まるはだかにされたように戸惑っている。


そんな兄さんの首筋に、紫穂は手を伸ばした。


兄さんが飛びのいて、伸びてきた手をサッとかわす。


「えっ」紫穂が頓狂とんきょうな声をあげた。「やっだ~、もう、逃げないでよ。これからひと悶着もんちゃく起こしたいのに、その相手が逃げちゃったら、なぁ~にもならないじゃない。〝見せしめクン〟逃げないでよ。あんた、上級生代表なんでしょう?」


 兄さんはどうやらお手上げのようだ。

ケンカで紫穂に勝てる気はしないらしい。


もしくは、もうすでに痛い目に遭った経験者の可能性も、なけにしもあらず……ってところか。


 兄さんは、紫穂の手の届かない距離を充分にたもって、うなるように低い声でえた。


「おまえ、覚えてろよ……!」でた! 聞いた事のあるセリフだ! テレビでよく聞くセリフ! まさか兄さんの口からこのセリフが出てくるなんて!


 紫穂も嘲笑あざわらって、兄さんを視線でめまわすように、しげしげと見てから、兄さんの服にぶら下がっている名札なふだに目をとめて、しめくくりにはいった。


「ちゃんと覚えておくわよ。だから、いつでもかかってきなさい。

──あんたが、今日わたしに負けたっていう鬱憤うっぷんを、五年生でぶちまけて、痛い目に遭わせたっていう話しを、もしわたしが聞いたら、その時は、こっちのほうから、あんたのクラスになぐり込みに行ってやるから、覚悟しなさい! わかったのっ?」


 紫穂は、最後の語気ごきを強めて、兄さんにつめ寄った。たった、一歩。

それだけで、兄さんはまた後ろに飛びのいた。


「おっかしぃ~。まるで、うさぎちゃんみたい」紫穂はニヤニヤしながら、楽しそうに云った。


それから、またわざと、一歩をつめ寄る。

すると兄さんは、またおっかなびっくりに飛びのく。


 ここまでくると、さすがに見物人たちからも笑い声がもれだした。


 兄さんが、笑い声のするほうをにらみ、誰が自分を笑ったのかをさがそうとした時、紫穂が動いた。


 兄さんの片足を、足の内側から外側に向かってはらった。

──しかも、ぞうさもなく、かるく蹴り払っただけ。


ころびそうになった兄さんは、あわてて身体を駆使くししてみとどまったけど、


紫穂の口と〝さあ今すぐにでも飛びかかるわよ!〟っていう姿勢が、兄さんに追い打ちをかけた。


「さあ、さっさと校舎に逃げないと、うさぎちゃん! じゃないと、みんなの前で恥をかくわよ!」


 なぜだかな……。

とらが、ウサギをおうとしているようにしか見えたんだ。


 ぼくは心の中で思ったよ。

 逃げようが、逃げまいが、兄さんはもうはじをかいているけどな──って。


 逃げれば、みんなの前で甚振いたぶられるっていうのは避けられるだろう。

けど、逃げる姿も恥だ。


 男なら、ここは勇猛果敢ゆうもうかかん玉砕ぎょくさい覚悟でいどんでもらいたいところだ。


だけど兄さんは逃げ出した。

ぼくが云うのもなんだけど、へっぴり腰で。


「おまえ、覚えてろよ!」なぁ~んていう捨て台詞ゼリフも吐きながら。

定番中の定番の展開てんかいだ。


 なさけないなあ、兄さん。



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