Please don't be a stranger ⑯


 紫穂の事だ。

五年生より上の六年生が、このまま黙っているわけがないっていうのくらい、お見通しなんだよな? ……大丈夫なのかなあ。


「おまえ、顔色悪くないか?」


兄さんが、ぼくの顔をジックリのぞきこんできた。


 ……しまったな。

ぼくが心配して、あれこれ思案に明け暮れているのが、顔に出てしまっていたみたいだ。


(そういえば、このところ、どういう風の吹きまわしか、兄さんはぼくをよく気遣きづかってくれる。ちょっと気持ち悪いくらいだ)


 ぼくは、兄さんに紫穂の話しを切り出そうと思ったところで……やめた。


……きっと、紫穂の頭の中では、もうシナリオができあがっているんだろうし。


ここでぼくが口をはさむのは、得策とくさくじゃないような気がしたから。


余計よけいな事をすると、紫穂は〝シナリオをぶち壊された〟って云って、ぼくはまたきみのおいかりを買ってしまいそうだし。


それに、もうすでに、ぼくはきみにきらわれてしまっているようだし──悲しい事にね。だからこれ以上、ぼくらの関係にヒビをいれたくない。


 ぼくはとりあえず〝今日のショックな出来事〟の、ほんの一部を兄さんに話す事にした。……べつに、つげ口とかじゃない。

愚痴でもない……あ、いや、愚痴にはなるかもしれない。


「ぼく、今日……軟弱なんじゃくって云われたんだ」


ぼくのボヤキを聞いた兄さんの目がまるくなって、かと思えば、兄さんは盛大に大笑いしだした。腹をかかえるほどの、大笑いだ。


 ぼくは、自分がバカにされているのがわかったから、ムッとして、唇をツンと突きだした。


「軟弱か! そりゃ、良かったな!」兄さんが笑いながら、高らかにに云った。


 なんだよ、他人事ひとごとだと思って。

ぼくにとっては、ぜんぜん良くないよ。笑いのネタにされるのもね。


 こうなるから、兄さんと話しをしたくなかったんだよ。

やっぱり、云わなければよかった。


 そう思ったところで、兄さんの口から、思いもよらない言葉がつづけて出てきた。


「おまえ、今まで幽霊みたいだったもんな! ──それが、軟弱か!

クックックッ……! 幽霊にくらべたら、たいした出世しゅっせなんじゃねぇのか、軟弱ってゆうのは。だって、されたんだぜ? よかったな、涼! ププッー!」


 最後に、き笑いまでされた。

兄さんは、ぼくを完全にバカにしている。……けど、そっか……〝生きている人間あつかい〟か。


 それはそれで、良いんじゃないか?


「ぼく、今まで、そんなに幽霊みたいだった?」ぼくはまた、それとなく訊き返してみた。


「ああ、幽霊みたいだったね」兄さんはまだ笑いが止まらないながらも即答した。「もしくは、今にも死にそうな病人。……まあ、病人っていうのは、まんまか。おまえ、病人だったもんな──けど、今の涼は、そんなの見る影もないだろう? だから軟弱っていうのが、ピッタリだな!」


云いきるや、兄さんはまた腹をかかえて笑った。……ったく、なにがそんなに面白いんだよ。


 兄さんの趣味はきっと、人を見下す事なんだ。

こんなくだらない趣味に、つき合っていられないよ。


 ぼくは洗面台をあとにして、玄関に放りっぱなしにしていた自分のランドセルを拾い上げると、二階にある自分の部屋へ向かった。


 とりあえず、宿題をすませて、それから……そうだな、日記でも書こうかな。


 ぼくは日記に、自分の感情のすべてをぶちまけるように書きなぐった。


書きおえてから、満足げに日記をしげしげと見てみたけど、日記は、かなりの悪筆あくひつだった。


ぼくは相当、取乱とりみだしているらしい。


 けど、そりゃ、そうだよ。

 だって、紫穂が、ぼくに気づいてくれないんだ。


 あんなに……血相けっそう変えておこるほど、北海道にいるぼくを守ってくれているのに、けど、とうのぼく本人は、きみの目の前に居る。


なのにきみは気づかず、守ってるはずのぼくを傷つける……。

こんな変な話しがあるかよ。……ちぇ。


…*…


 次の日、兄さんは朝から意気揚々いきようようで、はりきって登校班の班長をしきっていた。


兄さんは、速く学校に行って、五年生をいびりたくてしょうがないんだ……ほんと、いい趣味してるよ。


 ぼくの隣りを歩く母さんは、ぼくたち子供の事情なんて、まったくなにも知らない様子だ。


 ぼくと一緒に班で登校する日課が、朝の散歩にすっかりすげかわっているようで、楽しんでいるようにさえ見える。


 まあ、それが悪い事だとは思わないけど、呑気のんきなもんで、羨ましいなぁとは思うよ。


 母さんには、今まで苦労と気疲れをたっぷりさせてしまったから、

そのぶん、是非とも、ゆっくりくつろいで、日々を過ごしていただきたいなと、心からそう思いもする。


 学校からの電話で、母さんが取り乱す姿は……見たくない。


 学校の校門につくと、母さんはここまでといった具合で、笑顔で手をってくれた。


「それじゃあ、いってらっしゃい。──あ、お兄ちゃん、なるべく弟の涼を気にかけてあげてちょうだいね! 学校だと、母さんは、お兄ちゃんだけが頼りなんだから」


母さんが、押しつけがましく云った。……母さんは、そんなつもりないんだろうけど。


 母さんの、ぼくを心配してくれる気持ちはありがたいよ。


けど、時々、それがものすごく重く感じる時があるんだ。今がそうだ。

背負しょっているランドセルが、さらに重く感じる。


 ぼくはため息をついて、兄さんも、うんざりとため息を吐いた。


 そして二人してだんまりのまま、昨日の花壇の道を歩く。

そしたら、兄さんがきゅうに走りだした。


目で追ってみれば、兄さんの進む先には、昨日の五年生たちがいた。


五年生たちは校庭の朝礼台ちょうれいだいの前でたむろしている。そろいもそろって、難しい顔つきで。


なんだか、話し合いをしているように見える。


 そんな五年生たちが、け寄って来た兄さんに気づくと、一人は、逃げだそうとして後ろ足を引いた。


けどその子は、逃げきれないと思ったのか、観念かんねんしたのか。

今逃げても、どうせ、あとでもっとドヤされるとさとったのかは知らないけど、みとどまった。


 兄さんは五年生たちに近づくと、えらそうに、肩で歩いて最後の距離をつめた。


 兄さんの声は、こっちにまで聞こえてきやしないけど、五年生たちの表情を見れば、兄さんが理不尽に、小言をネチネチと云っているのがよくわかる。


ぼくは兄さんと兄弟で、ずっと──いやでも── 一緒にいるから、兄さんの性格の悪さは知っているし、


こういう時、どんな云いかたでなじるのかも、おおよその見当はつく。


だから、兄さんの餌食えじきになった五年生たちは、朝からほんとに可哀想だ。


 ぼくが足を止めて、複雑な心境で兄さんを見ていると、背後うしろから来た子が、銀杏いちょうの木に身を隠すように、へばりついた。……紫穂だ。


 朝から紫穂の姿を見たのに、ぼくは昨日と違って、ちっともドキドキしなかった。昨日、あんなおどされかたをされたのに、怖いとも思わない。

……ただね、さびしく感じるんだよ。


 ぼくたちはこんなに近いのに──魂さえ繋がっているように感じるのに──他人なんだ。


 紫穂は、銀杏の木の物影から、こっそり校庭をのぞき見ていて──聞き耳を立てているのもわかる──兄さんと五年生たちを観察している。


そしてふいに、笑った。ほくそ笑むように、口角をゆがめあげて。


ぼくは、たまらずてんあおぎ見て、目玉をぐるっとさせた。


 兄さんも兄さんだけど、紫穂も紫穂で、ほんっとう! いい性格してるよ!


 ちょっと、つき合いきれないな……。

ぼくは別校舎の昇降口に向かおうと歩き出した。


そこで、紫穂が、木の物陰から校庭におどり出ていくのが視界のすみに見えて、ぼくはまた足を止めた。


 紫穂は、兄さんに負けずおとらず、意気揚々に颯爽さっそうと歩いて、校庭をつっきると、


朝礼台の前でたむろしている……いや、お小言こごとでイジメられている集団に〝溶け込んだ〟。そう、溶け込んだんだ。


なにごともなく、シレッとした具合に。

そこに自分がいるのが当然かのように。


 だって紫穂は、〝お仕置き〟で朝礼台の前に立たされているような五年生たちと違って、兄さんと同等の立場か、あるいは友達ですと云わんばかりの仕草しぐさで、

くつろぐように朝礼台にひじをついて寄りかかっている。……愉快ゆかいそうに、ニヤついちゃったりもして。


 五年生たちは驚いた顔をしたあとすぐに、いかりをあらわにした。

ひどくするどい目つきで紫穂をねめつけて、歯を噛みしめているのもわかる。


 思いがけない紫穂の登場にだまっていないのは、兄さんもおなじだ。


「おまえ、三年の八鳥っ! ──なんでお前がココにいるんだよ! 関係ないヤツは、すっこんでろ!」


兄さんが、怒鳴り声で威嚇いかくした。

おかげで、遠く離れたぼくの耳にも、よーく聞えたよ。



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