Please don't be a stranger ⑮


 ぼくは、よろめいて、校門の前に立った。


世界が……天地が逆転したかのように、グルグルまわって、上も下も、右も左もわからない。……気持ち悪い。


 ぼくは吐き気をもよおして、その場にくずおれた。


それから、服のうえから自分の胸ぐらをつかんだ。

──ここが、ここにいるきみが、悲鳴をあげているのを感じる。

ぼくだって──ぼくのほうこそ、悲鳴をあげたいのに!


 ……なあ、どうなっているんだよ?

 いったいぜんたい、どうなっているんだ?


 ぼくはここにいるのに──。

 ぼくが、北海道に行った子なのに──。


 きみに、ぼくがわからないのか? ……すっかり、見ず知らずの人になってしまったのか? ぼくは……きみにとってぼくは、なんなんだ?


…*…


 ぼくは植田に家まで送ってもらった。

無様ぶざまに、よろめきながら歩いて。


 その帰り道で、植田が紫穂についてあれこれ訊いてきたり、文句を云ってきたのは、いうまでもない。


 ぼくは、紫穂を、人柄ひとがらごと弁明べんめいしたつもりだったけど、植田は最後まで納得していないようだった。


 ぼくが家に帰るなり、母さんは玄関先まで出迎でむかえに来てくれた。


ぼくはお愛想あいそに〝ただいま〟の一言すら云わず、

玄関に黄色い帽子をぎ捨てるとランドセルも玄関にほうって、不機嫌なまま母さんの横をすり抜けた。


 とりあえず洗面台に直行して、手洗い・うがいをするっていう姿と気配けはいを母さんに見せて、ぼくは本来の目的である、顔をこっそり洗った。


冷たい水で顔を洗うと、茫然ぼうぜんとしてる思考も、気持ちも、幾分いくぶんか落ち着くような気がしたから。


……こんな、顔を洗うなんていう行動は、ささやかな、気をまぎわらすだけでしかないだろうとは思っていたけど、でも、やらないよりは、少しはマシだろう。


 顔を洗って、洗面台の鏡に映る自分の顔を、背伸せのびをして見てみた。……紫穂が、ぜんっぜん似てない! なんて、云うから、そんなにぼくの人相にんそうが変わったのか、確かめたかったんだ。


 鏡にうつるぼくの顔は、血の気の良くなった健康的な顔色をしていた。


それ以外を云えば、伸ばしっぱなしのボサボサだった髪の毛が、スポーツりの、きっちりした髪形になっているくらいだけど、

なるほど、紫穂に云われてみれば、納得かもしれない。


だって、確かに、たったこれだけで、ぼくの人相にんそうのイメージは、心臓手術をする前と今とじゃ、まるで別人だ。


 血行けっこうが良くなって、顔色も良くなったし、食事も普通に食べているから、肉付きもよくなって、ほっぺたがふっくらしている。


髪形もととのえて〝人間らしい〟風貌ふうぼうをしている。


 紫穂が、ぜんっぜん似てない! と断言するのも、わからないでもない……。けど、それにしたって、ひどくないか?


 ぼくは、成長したきみを、ひと目見て紫穂だって気づいたのに、どうしてきみはぼくに気づいてくれないんだよ。


 ぼくたちが、特別な関係だと思っているのは、ぼくだけなのか?

ぼくの、勝手な思い込みとでも? ……あぁ、そんな……そんなのは、よしてくれよ、頼むから。


そんな事を考えただけで、ぼくの足がつくが、ガラガラと崩壊ほうかいして、ぼくは奈落ならくちてしまうんじゃないかっていう気分になる。


「ただいまー!」

 鏡の前でボウッとしていると、兄さんが元気よく帰ってきた声が、響き聞えてきた。声の調子からして、えらく機嫌がいい。


兄さんは、なにか良い事でもあったのかな? ──まさか、今日このタイミングで、紫穂たち姉妹がうちに遊びに来るっていうんじゃないだろうなあ?


 それならそれで、ぼくは紫穂とちゃんと話しができるからいいけど、ついさっき脅迫きょうはくされたばかりのぼくにとっては……はっきり云って、精神的にキツイ。


……頭の整理……もとい、心の整理がしたい。


 兄さんが、母さんにやんや云われてる。

手洗いとうがいをちゃんとしてね! だってさ。


心配性の母さんがいる我が家は、清潔第一だ。


兄さんは軽い調子で母さんに返事をすると、足取りまで軽くして、ぼくのいる洗面台まで来た。


ぼくはフェイスタオルで、顔を拭く……フリでもないか。とりあえず、顔を隠した。


浮かない顔つきの表情を見られて、ひやかされるのがイヤだったから。


「おっ、涼、もう帰ってきてたんだ。まあ、けど、だよな」兄さんが軽い調子で、洗面台にいるぼくへ話しかけてきた。「この新しい家って、寄り道するヒマもないくらい、学校から近いもんな。……そう思うとさ、つまらないものがあるよ」


 難点だか欠点だかをぼやきながら、石鹸で手を洗っている。


 寄り道か……。

ぼくは思った。

元気な子になれば、兄さんの云うとおり、学校の帰りに、寄り道したくなるのかもしれない。


それも、遊びのひとつと考えれば、面白そうだ。


ぼくはお陰様で──今までが病人のありさまだったから──寄り道なんてしたためしがない。


だから、今度、ぜひとも寄り道とやらをしてみたいなぁなんて、思ったけど、兄さんの〝寄り道するヒマもない〟っていう話しを先に聞いてしまったから、


はたして寄り道っていう遊びができるのか……期待は薄い。


 それよりも、学校から帰ってきて早々に、こんなに上機嫌じょうきげんのいい兄さんはめずらしい。


「兄さん、なんか良い事でもあったの?」ぼくは、それとなく訊いてみた。


 兄さんは、うがいをペッと吐き捨てると、ぼくの持つフェイスタオルをふんだくり、れた手をきしな、口もとも拭いた。


それから、ニンマリと、悪そうな笑みを浮かべた。……あくどい事を考えている時の、いやらしい顔つきだ。


「今日さ、五年がヘマをやらかしたんだよ。

放課後の校庭の取り合いで、五年が三年に負けたらしい。……ありえないだろう?  五年が三年に負けるなんて。


これじゃあ高学年の面子めんつがまるつぶれだ。……だから、明日が楽しみなんだ。──朝から、五年をたっぷりしごいてやる!」


兄さんはさも愉快そうにクックックと笑った。

きっと頭の中ではもう、明日になったら五年をどうこっぴどくいびり、なじるのかを想像して、模索もさくもしているんだろうな。


 ぼくは呆れて目をぐるっとまわした。


 六年生の兄さんが、下の五年生をいびる。

でもって、五年生はそのさ晴らしに、さらに下の学年をいびるってわけだ。


この連鎖じゃあキリがない。


そこでぼくは、ふと思い出した。

紫穂が云っていた──あてつけるように、ほぼ吠えるように云っていた──セリフを。


──〝ふざけた伝統をぶち壊したい〟。


 なるほど納得だよ。

確かに、この悪循環あくじゅんかんは〝ぶち壊したい〟よな。


 となれば、明日、紫穂は、ぼくの兄さんか五年生のどちらかと、またもめるんじゃないのか?



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