Please don't be a stranger ⑭


 紫穂は、ぼくの背中を石柱せきちゅうへ叩きつけるように押しつけると、血走ちばしる目ですごんできた。──紫穂、ほんと、怖いよ……。


「……あんたそれで、わたしの弱みでもにぎったつもりでいるの?」


紫穂は低い声音こわねで、うなるように云ってきた。

まるで母犬が、仔犬を必死に守るために威嚇いかくしているみたいだ。


 ぼくは、誤解を弁明べんめいしようと、言葉をさがして口をパクパクさせたけど、先に怒りの声をあげたのは、紫穂だった。


……ずいぶん短気になっているようだけど、それとも、それだけ余裕が無くなっているって事なのか? ……わからないけど、とにかく紫穂は、つばを飛ばすいきおいで、わめくように云った。


……本当なら、怒鳴りらしたいんだろうに。


「けど、おあいにく様ね! その心臓の悪い子はね、とっくのとうに、北海道に行っちゃってるの! わかるっ? 北海道っ! あんた、地図読める? 北海道はね、ここからとおぉーっく、うーんと離れた、海の向こう側にあるんだから!


 あんたがどこで、その子の情報を仕入しいれたのか知らないけど、でも、わたしの弱みにつけこんで、あんたはあの子に手を出したくても、手が届かないってわけっ!


──けど、そうね……もし、かりに、万が一、あの子に手を出してみなさい──わたしその時、自分が、自分でも、どうなるかわからない。……あんた、血を見るハメになるわよ……それも、死ぬほどの血をね……ねえ、あんた、これの意味わかる?」


 紫穂は自分の人差し指を、ぼくの首にスッとすべらせて、横に切りいたようにした。


ぼくは、思わず息をとめた。……紫穂は、本気だ。


 紫穂の血走る目を見れば、身体中にほとばしらせて、溢れだす殺意さついが、ホラ欺瞞ぎまんなんかじゃないのを、充分にものがたっている。


 ぼくは口の中にたまったつばを飲みくだして、なんとか声を──恐るおそる、慎重しんちょうに──あげた。


「ぼくが、その心臓の悪い子なんだけど……」


 紫穂の殺気立さっきだつ瞳が、一瞬、きょをつかれたように、動きをとめた。……ほんの、一瞬だった。


それから紫穂は、瞳の色をうたがわしげな眼差まなざしに変えて、ぼくの全身をなめまわすように見た。──バカにしくさったような目で。


「はん!」あんのじょう、紫穂は、ぼくをバカにする声をあげた。「あんたが、あの子のわけがないじゃない!」


 紫穂は、いか心頭しんとうといった具合に、顔を真っ赤にさせて、吐き捨てるように云った。


「顔もぜんっぜん似てないし、それに、あの子はこんなチビじゃなかった! あの子、わたしとおなじくらいの身長があるんだから!」


 ぼくは心の中で思った。


 ……きみは、ぼくをチビだと云うけど、でもそれは、きみが成長して、大きくなっただけなんだよって。


 ぼくは、心臓の回復のほうに体力を消耗していたみたいで、どうにも成長が遅れているんだ。


だから、ぼくは、あの時の身長のままで、年下のきみに背を追い越されてしまっているけど、


でも、これから成長も回復すれば、身長だって伸びて、きみより大きくなるぞ。……たぶん。……きっと。


 ぼくは紫穂に、そう云いたかったけど、云えなかったのは、きみの今の冷静じゃない剣幕けんまくに圧倒されていたのと、ぼくの心の動揺が大きかったからだ。


 だって、どうして、ぼくだって、気づいてくれないんだ?


きみなら、紫穂なら──ぼくをひと目見ただけで、〝ぼく〟だって気づいてくれるはずだろう?


ぼくは、すぐにきみを見つけた。


それなのに、どうして、きみは、気づいてくれないんだ?

こんなのって、あんまりじゃないか。


 ぼくが途方に暮れてだまりこくっていると、紫穂はせせら笑って、歌うようにささやいた。


「わたしと仲良くなりたいんなら、初めから、素直にそう云えばいいのよ。遠まわしに、あの子の話題なんて出さずにね」


 ぼくはムッとして、声をはりあげた。


「だから──…!」声をあげたそばから、紫穂は片手でぼくの首をめあげて、石柱にくくりつけた。


…──苦しい。


……それに、後頭部が、石柱にこすりつけられて、ジリジリと痛む。


 ぼくは涙目でかすむ視界で、きみの目を見た。

きみは、冷たい眼差しで、ひややかに云い放った。


「あんた、もう、しゃべらないでよ」


 ぼくは、頭の血が顔に集まってきて、顔中がパンパンにれあがってきているのを感じながら、頭を縦にってうなずいて見せた。


「わかれば、いいのよ……」紫穂は、首を絞めていた手をゆるめて、ぼくを解放した。


 ぼくの肺が空気を求めて、大きく息を吸ったところで、むせた。


 ゴホッゴホッ! と、なさけなくも大きくむせてしまうせきを、意識してとめたくても、この派手はでな咳はとまらなかった。


 きっと、首を絞められて、気道がつぶれたのだろう。

だから、れあがった気道がびっくりして、空気を吸うとむせるんだろうな。


……あの殺人事件のテレビドラマの演出えんしゅつも、あながち嘘じゃないって事だ。


……ぼくは、身をもって、それを証明、体験できたぞ……! しかも、大切に想っている子から首を絞められて!


それも、片手だけでこのありさまだ! もう、本当に、どうなっちゃっているんだよ!


「……このくらいで大袈裟おおげさね。もっと、骨のあるヤツかと思ったのに、見かけどおりの、よわっちい子」


 ぼくは咳きこんでいて、紫穂の顔をまともに見ていられなかったけど、

紫穂が、このひややかな声とおなじに、冷たい目でぼくを見おろしているのは、

見るまでもなく、わかったよ。


 紫穂は、じれったそうに、ぼくの咳がおさまるのを待って、

話しを充分聞ける状態になるのを見るや、念を押すように口をわった。


「あんた、この事──心臓の悪い子の事──を、誰かにしゃっべてみなさい? わたしはすぐに、あんたが誰かに云ったんだって、わかるんだから。……そしたら、自分がどうなるか……。頭の良さそうなあんたなら、わかるでしょう?」


 ぼくは軽く咳きこみながら、うなずいた。


「よし、お利口ね」きみは笑顔をほころばせた。けど、目は笑っちゃいない。それが、ひどく怖い。


 紫穂は、ゆがんだ不気味なみのまま、おどし文句をつづけた。


「わかったら、この軟弱なんじゃくな見た目どおりのまま、おとなしく、しとく事よ。そのほうが、身のためってもんでしょう?」


 ぼくは、またうなずいた。

ここで紫穂はようやく、りきんで気張きばっていた肩から、力を抜いたようだった。


「わかればいいのよ。わたしは、弱い者イジメは好きじゃないから……だから、これは、お互いのためでもあるの。……いい? あんた、くれぐれもわたしに、弱い者イジメをさせないでちょうだいよ? わかったら、さっさとわたしの前から消えてちょうだい!」


 云い捨てると、きみはぼくを、校門の石柱の物影から突き飛ばした。──まるで、そのへんの石ころを、クソダメにげ捨てるかのように。



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