Please don't be a stranger ⑫


 紫穂は片眉をあげて、その子を見ると、成瀬にヒソヒソと何事かを耳打ちした。……ぼくの心がざわつく。


 なんだよ、紫穂は、すっかり成瀬と仲良しかよ……。


 紫穂が、山のほうで縄跳びをしていた一年生を手招いて、校庭を使わせている。


そのうしろでサッカーを再開させた三年の男子──成瀬に向かって、紫穂はえるように声をあげた。


「ちょっと、こっちで、ちいさい子が縄跳びの練習するんだから、あんた達、ボールを当てないようにしなさいよ!」


「ふん!」成瀬が、声高に云い返した。「オレたち、そんなにへたくそじゃないから、ボールのコントロールくらいできるよなあ、なぁ、高橋たかはし?」と、文句を云っていた子──名前は、高橋だったのか──に話しをふった。


 ふられた高橋は戸惑いつつも、一年生の手前では威厳いげんを見せたいらしい。見栄みえりに胸をはって、大きく云った。


「あたりまえだろう! 一年にボールをぶつけるようなヘマはしねぇよ!」


 これを聞いた紫穂はニヤリとやった。

成瀬も笑いをかみ殺している。……単純なヤツの反応は、おもしろいよな。……今のぼくは、ちっとも気分がよくなくて、おもしろくもなんともないけど。


「なあ、八鳥の妹、どうする?」ぼくらの目の前で、ランドセルを背負い始めた五年生が、なにかを期待する口ぶりで、低く云った。


 そして、そいつの期待どおり、この場にいる五年生全員が話しにのった。


「八鳥は、『妹は生意気で、にくったらしくてしょうがないから、痛い目に遭わせられるんなら、いつでもたたきつぶしちゃっていいよ』って、云ってたぜ」


 ぼくは自分の耳をうたぐった。

……本当に、あのお姉ちゃんが、そんな事を云ったのか?


 姉妹なのに、妹を叩きつぶしていいって?


「まじかよ……」ひとりが、嬉しそうに声をあげた。


もうひとりが、さらに話題を広げる。「じゃあさ、今度、待ちぶせでもして、かげでこっそりボコボコにしてやろうぜ」


「ああ、ふいちなら、アイツも驚いて動きがにぶくなるはずだもんなぁ」


 物騒な話し合いに、ぼくも植田も、首をすくめていた。


そこへ、一年生に縄跳びの〝いろは〟を教え込んでいた紫穂が、呑気のんきに腕を伸びあげて、ひとりごちながら、銀杏いちょうの木の根元に置いたランドセルを取りに来た。


「あ~あ、わたしもそろそろ帰ろうっと……」そこで紫穂は、待ちぶせの作戦会議をしていた五年生たちと、至近距離で顔を合わせた。


ぼくは、紫穂に、危険をどう教えるか、あれこれ思案していた。


 なのにきみは、楽しそうに目を耀かせて、五年生たちの顔を、ひとりひとり丁寧に見ていくと、嬉しそうに口角をあげた。


「なぁに? あんた達、ひょっとして、わたしを闇打やみうちしようっていう話し合いでもしてたわけ?」


 みごとに云い当てられた五年生は、あからさまにたじろいだ。

紫穂は勝気かちきに、ますますみを深くする。


「──ああ、いい、いい、云わないで!」紫穂は両手をブンブンと振った。「あんた達、あくどい顔つきしてるもん。ほんと、性根しょうねの腐ってるヤツって、わっかりやっすい! だって、ぜーんぶ、顔に書いてあるもの!」


 ひどい云いように、気分を悪くした五年生がいっせいに殺気さっきだった。

「……お前、年上をなめすぎなんじゃないか?」

「痛い目に遭っても知らないからなあ」


 飛びかうおどし文句も、紫穂にとっては、なんのそののようだった。

クックックと笑って、意味ありげの、イタズラめいた笑みで五年を流し見た。


「やれるもんなら、やってみなさいよ!」紫穂はあおるように、高らかに笑って云った。

「闇打ち、楽しそうじゃない! 六対一くらいにはなるのかなあ? わたし、そーゆうケンカって、まだしたこと無いの! ぜひとも闇打ちしてきてちょうだい! ……そうだなあ~、放課後、人気ひとけの無い通りで待ちぶせでもして、ワッとしかけてきてよ! うん! それがいいわ! 人目が無いほうが、お互いのためってもんでしょう?」


驚いた事に、まさかの紫穂のほうから、闇打ちの絶好条件をつきつけてきた。

ぼくは唖然あぜんとして言葉も出ない。


「こうなったら、あんた達、手加減てかげん無しに、徹底的にわたしを痛めつける気で来てちょうだいよ。わたしも本気を出してみたいの……。ちょうどこのところ、なよい、よわっちいヤツばっかり相手にしてて、わたし最近、退屈していたところなのよ!


うん、六対一、いいね! いや、うん、ここまできたら、十対一でもかまわない! あんた達、お願いだから、本気出してちょうだいよ! ──ああ~、どうしよう! すっごい楽しみになってきた! 今からワクワクしてしょうがない! なんなら、いっその事、今ここで、もうケンカをおっぱじめちゃう? ──あぁっ! 場所が悪いか! 学校だと、先生が来ちゃうもんね?


……ったく、先生って、邪魔だよね~、ねえ? ……そうだ、学校の裏手にある、神社に場所をうつそうか!」



 ……なんてこった。


紫穂が、まるで遊びに誘うかのように、殺気立つ五年生にケンカをけしかけている。


「そこだったら、人気ひとけも人目も無いから、思う存分できる! うっわ~、楽しみ!

でね、いざケンカが始まったら、多勢たぜい無勢ぶぜいって事で、わたしも手加減している余裕が無くなると思うから、


その時は、あんた達の腕の一本や二本、足も折っちゃうかもしれないけど、そこは大目に見てよ? なんせわたし、こんな大掛おおがかりなケンカは初めてなんだから!」


 紫穂は昂奮こうふんし、ほほ高揚こうようさせて早口で云ってるけど、


誘われている五年生のほうは、戦意せんいうしなうどころか、顔から血の気をひかせて、逃げ腰になっている。


 さすがに、骨折させられるくらいの大きなケンカだけはしたくないらしい。


 なまじ、さっき植田が語ってくれた、血生臭ちなまぐさいケンカ話もあるせいか、ぼくも紫穂が本気なのを感じとって、肌をとおして恐怖がザワザワと伝わってくる。


 きっと五年生も、ぼくとおなじなのだろう。


「行こうぜ……」云いだしっぺの五年生が、すっかりおののいて退散をげた。「こいつ、まじで頭がいかれてる」


 紫穂は目くじらを立てて、ご立腹りっぷくだ。


「なによ、この意気地なし! 腰抜け! ──あんたら、男のくせに玉ついてないんじゃないの? この玉無し!」


 紫穂は、考えうる、ありったけの悪態あくたいをつくと、あっかんべーと舌を出した。


「ほざいてろよ……」五年生は、帰るために校門に向かって歩き始めている。


紫穂は、せいぜい軽蔑けいべつを込めた眼差まなざしで五年生をねめつけ、その視線を上から下へと往来ゆききさせた。


 五年生が校門をがったところで、その姿が見えなくなるのを見届けてから、紫穂は自分のランドセルを拾い上げて、砂埃をパンパンと払った。


帰りしな、ぼくの前を通る紫穂へ、ぼくは胸をドキドキとはずませながら話しかけた。


「よくやったね」


なさけない事に、ぼくはこれしか云えなかった。


もっと話したい事は沢山あるのに、どれから切り出していいのかわからないよ。


 隣りに座る植田は、ぼくが紫穂に話しかけて、ギョッとしてるけど、ほっといた。


 紫穂は胡散臭うさんくさげにぼくを見やった。……あれ、おかしいな。なんか、期待していた反応と違うぞ。


 紫穂は、ぼくに気づいていないのかな? それとも、まさか、ぼくの事を忘れちゃった? そんな、バカな……。


「なんの事?」紫穂は、うたぐり深い目でぼくを睨み、こっちに詰め寄ってきた。


……植田が、怖さに身をのけぞらせている。さっき、へんなヤジを飛ばすから、こうなるんだよと思いながら、ぼくは自分の心の整理にまごついていた。


──紫穂が、ぼくに気づいていない!


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