Please don't be a stranger ⑤


 これじゃあ、ぼくは、ひとりぼっちじゃないか……。


そう思ったところで、ぼくは自分がとんでもない思い違いをしている事に気づいた。


 そもそも、ぼくはハナから、ひとりぼっちだったんじゃないか……って。


 これまで、ずっと、ぼくがひとりじゃないと感じていたのは、紫穂──きみがいたからだ。


きみがぼくの〝ここ〟にいるから、ひとりきりじゃないって、そう想えていたし、感じてこれていた。

……紫穂、きみがいなきゃ、ぼくはこの世で、ひとりぼっちだ──。


 ぼくは目をつむって、緊張で汗ばんだ手を、胸元へあてた。

心臓の、ちょうど真上あたり。……ここに、きみがいる。


ここに、本当のきみがいるんだ。

ぼくの大切な、本当のきみが……。


あたたかくて、太陽のようにまぶしい、黄色い光りのきみが見える。


 ──うん。大丈夫だ。ぼくは、ひとりっきりなんかじゃない。

いつだって、本当のきみが、ぼくのそばについていてくれている。


 そう感じたら、ぼくの心から不安がたちまち消え失せていった。……きっと、もう大丈夫だ。


「おはようございます」なんだか先生は、うわずった声で、いつもどおりをよそおった、ぼくの耳にもよそよそしく聞える朝の挨拶から始めた。


 すると、クラス全体が朝の挨拶を返した。

「おはよーございまーす!」大音量の、大合唱のような挨拶だった。


ぼくはたじろいだ。……生徒みんなが、こんなにも息がぴったり合うだなんて──。軍隊か、なにかなのか、このクラスは。


 先生は、この大合唱の挨拶が、さもどうとでもないかのように──おそらく、これが日常で、あたりまえなのだろう──話しを切り出した。


「もうみんなも、知ってのとおりなんだけど、今日はこのクラスに、新しい仲間が入ります」


先生の宣言に、クラス全体がざわついた。

ぼくの心臓もピークにドキドキと高鳴る。


 先生が、黒板に、チョークで文字を軽やかに書く音が、響き聞えてきた。


 ──なるほど、そうきたか。


先生は黒板に、ぼくの名前をチョークで書いているに違いない。しかも、縦書きで。


 ──さて、まいったな、こりゃ。


 これじゃあ、まるで、ぼくは定番の、転校生あつかいじゃないか。


 ぼくは緊張で汗のにじむ手をげんこつににぎりしめて、うつむいた。……なんだかイヤだな~。……こんなに緊張するのは、心臓の手術いらいだ。


……そういえば、先生は、自己紹介がどうのとか云っていなかったか? まずいなあ……。一言も考えていなかったぞ。


ぼくは、自分をなんて紹介したらいいんだ?


「それじゃあ、新しい友達をみんなに紹介しよう」


先生が、溌溂はつらつに、声をはずませて意気揚々いきようようで云った。ぼくはまだ、なんの心の準備もしていないのに!


「鳥海くん、入って来て!」


 ……呼ばれて飛び出て、じゃじゃじゃジャーンじゃ、あるまいし。

ぼくは、この空気の中へ飛び込まなきゃならないのか。


とんだ罰ゲームだ。

どうしたって、こんな紹介の仕方しかないんだ? もっと違う紹介の仕方だってあるだろう? もう、本当、先生、勘弁してよ。


 けど、そう思ったところで、今さら、なにがどうこうなるってわけじゃないのは、ぼくにもわかるから、しかたなしに、クラスのドアをスラッと引き開けて、四-三組に、足を踏み入れた。


 すごいな……。子供たちの好奇心に満ちる眼差まなざしが、これでもかってくらい、どっと押し寄せてくる。


ぼくの頭から、つま先まで、体のあらゆるところが見られているのを、感じる。


 ぼくは、ぎくしゃくと、歩く足を運んで、教卓に立つ先生の横に並んだ。

それから、クラス全体を見渡した。……大勢おおぜいの、好奇心の眼差しと目が合う。


 こんな大勢の前に立たされるのなんて、初めてだ。


 ……と、ここでぼくは、ほとんど衝動的に紫穂の顔を探した。

生徒ひとりひとりの顔を流し見ていって、ここに、このクラスに──ぼくとおなじクラスに──紫穂がいるんじゃないかと、ほのかな期待を抱いて、全員の顔をくまなく、ひとりひとり流し見ていく。


 ……けど、ここに、紫穂の顔はなかった。


 ぼくは肩を落として、こっそり、ため息をついた。


 それから、自分のなすべき自己紹介がひかえているのを思い出して、

ぼくは、かくかくしかじかといった具合に、口先だけを動かして、挨拶をした。

なるべく、簡素になるよう心がけて。


 ……紫穂がいないなんて、がっかりだ。


「鳥海 涼です。これから一年間……もしかしたら、運のめぐり合わせで、小学校卒業まで……いや、中学生になっても、おなじクラスでつき合いが続くかもしれませんね。


ざっと計算しただけでも、六年間、おなじクラスになるかもしれないです。これから、長いつき合いになります。そんなわけで、よろしくお願いします」


 挨拶の最後に、頭を深々とさげる。


 お辞儀じぎをおえて、顔をあげて見ると、クラスの大半たいはん──いや、全員だな──の子が、目をキョトンとさせて、口も半開きにポカーンと開けていた。


 ……あれ、ぼく、なんか変なこと云っちゃったかな?


 ぼくは、大人の先生の助けを求めて、隣りに立つ葛城先生を見上げた。

それなのに、どういうわけか、先生も驚いた顔をして、ぼくを見おろしている。


 ぼくは戸惑って、先生にすがる視線をおくって、助け船を求めた。

先生、なにか大人の意見を云って、早くこの場をおさめてよ!


 先生は、何度か目をパチパチとしばたたかせたあと、ようやく息を吹き返した感じで喋りだした。


「……いや~、鳥海くんは、挨拶がすごく上手なんだねえ、先生、びっくりしちゃったよ!」


 なんだか、ちゃかされているように感じて、ぼくはまた戸惑って、うつむいた。

 先生は、うつむくぼくを差し置いて、軽快に話しを続ける。


「──はい! それじゃあ、みんな、拍手で鳥海くんをお迎えましょう!」


 先生は云うや、拍手をパチパチと打ち鳴らす。すると、クラス全員が盛大に拍手を打ち鳴らし始めて……たちまちクラス中に、拍手の嵐が起こった。

土砂降りの雨が、アスファルトを打ち鳴らすような拍手の音だ。まるで、このクラスにだけに、土砂降りの雨が降り始めたかのよう。


 拍手も、こうまで盛大になると、ここまでいきおいのある音量になるのか。


 ぼくは圧倒されて息を飲んだ。



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