Please don't be a stranger ②


 昇降口も広々としている。六畳分はあるだろうか?


その昇降口内も、外階段とおなじにツルツルなタイル貼りだ。タイルの色は濃い青色。


昇降口にはいってすぐ右手(北側)の壁に、風景画の絵画かいがが飾られてあった。


絵の額縁がくぶちの下には、クラスと名前の書かれた紙が貼りつけられてある。……きっと、ここの在学生が描いた絵なのだろう。


誇らしげに飾られているのを見るに、きっとこの絵画は、県展か……へたしたら、国展にまでいって、素晴らしい賞を受賞した絵のかもしれない。


 ぼくは絵画のしだれ桜を流し見て、母さんに手を引かれるまま、絵画と向き合う壁側(南側)の下駄箱のほうへ歩いた。


(玄関正面にも──西側にあたる──下駄箱げたばこがドミノのようにずらり並んでいるけど、この下駄箱が職員……先生専用なのだろ)


 母さんの向かった下駄箱の上段には〝来賓客らいひんきゃく専用〟と文字の彫られた木の札が、表札のように釘でしっかりと固定されてある。だから、この下駄箱は、来賓客専用なんだ。


──ぼくは、来賓客じゃない。ここの生徒になる人間だ。

だからぼくは、その下駄箱を使わず、タイル貼りの玄関の隅に、自分の靴をそろえ置いた。


 母さんは、当然のように来賓客専用の下駄箱を使って、当然のように、そこに置かれてある学校の深緑色のスリッパと──スリッパには金文字で〝姫ノ宮小学校〟と刻印されてある──自分の履き物のパンプスとを入れ替えて、スリッパを履いているけど、


ぼくは手荷物で持って来ていた上履うわばき入れから、自分の真新まあたらしい上履きを出して、それをいた。


 廊下の床は、冷たいコンクリートの上に、ビニール製の床紙を貼りつけた造りで、病院の造りとそっくり同じだった。


 母さんは、職員室の引きドアをノックして、ドアの窓ガラス越しに、誰かと挨拶をして、頭を下げた。──七秒後、職員室の隣りの校長室の扉が開いて、校長先生らしき人が出てきて──ぼくは驚いた。その人が、女の人だったから。


といっても、この女性の校長先生、年齢はかなり高齢のように見える。

あきらかに母さんよりも二十歳は年上だ。


顔中しわだらけだし、髪の毛は白髪のほうがほとんどで、胡麻塩ごましおご飯みたな色をしてる。その胡麻塩を、校長先生は後頭部でひとくくりにして、お団子にしている。……胡麻塩団子ごましおだんごだ。


顔も体つきもふくよかで、そのふくよかな体を、黒色のスーツで包んでいる。


 校長先生が気さくな感じに手招いた。「お待ちしてましたよ、鳥海さん! ささ、どうぞ、中へ入って下さい」


 母さんも気が抜けたのか、顔つきをみでほころばせた。お辞儀じぎをしてから挨拶をする。

「……失礼します」


 校長室の中は、校長室というより、談話室だんわしつのようだった。

校長室正面は、南側に面していて、窓の前に置かれている校長席を明るく照らしている。


 校長室入り口の、両端の壁は、棚で埋め尽くされていて、棚の下段には、茶色い背表紙の分厚い本が──ざっと見ただけで、二十冊はある──ぎゅうぎゅうに並べられてあった。


……法律と、教育にかんする本(いわゆる、先生にとっての教科書だ)なのは、ぼくの目から見てもあきらかだった。


 そのうっとうしくも、重苦しい本の上の上段には、輝かしいトロフィの数々──。


 大小さまざまな大きさと形のトロフィが、リボンをカップの持ち手にまとい、ところせましと置かれている。


 校長先生は、校長席と入り口のあいだにドンと置かれた茶色い革張りのソファへ「どうぞ」と、ぼくたち親子をうながした。


 まず先に、母さんがソファに座る。

ぼくは足もとに、重いランドセル──ほとんど使っていないから、新品同然のランドセルだ──を置いて、母さんの隣りに座った。


ここからは、大人同士の会話だ。

話しの大半たいはんは、ぼくにかんする話ばかりだったけど、ぼくはつとめて、話しを右から左へ聞き流した。


だって、母さんの口から出てくる話しは、これまでいかに、どれだけ散々さんざんな思いをしてきたかの、苦労話ばっかりだったから。


 母さんは、そうやって云えば、ぼくって子をどれだけ大事にしてきたのか、

あるいは、ぼくのあつかいが、いかにデリケートであるのかをアピールしているつもりらしいけど、


云われている本人のぼくからしてみれば、そんなのは、ぼくがいかに母さんのお荷物であったのかを証明する話しでしかすぎない。


 校長先生は話しの間中、つねに優しく微笑びしょうしていて、笑い皺を深くしていた。そして時々、キラキラと輝く目で、ぼくを見つめてくる。


 ぼくは、飾られてあるトロフィを、ひとつひとつ、やけに丁寧にじっくり眺め見つめて、母さんの話しからも、校長先生の輝く眼差まなざしからも、かいくぐって、この退屈で居心地の悪い時間をしのいだ。


 大人同士の話しの途中、チャイムが鳴った。

バカデカイ音に、ぼくはたまげて肩をあげて驚いてしまった。


 学校のチャイムの音はいつも、遠くから、風にのって響き聞こえてくるのを、遠巻きに聞くだけだったから、直下ちょっかで聞くのは始めてになる。


──学校のチャイムっていうのは、こんなにも暴力的な大きい音を鳴らしていたのか。こんなに大音量なら、そりゃ、遠くに居るぼくの耳にも届くわけだよな……知らなかったよ。


 けど、なにが一番驚いたって、ぼくは自分の心臓に驚いていた。


 いつもなら、ここまで──心臓が跳ね上がるほど驚いたりなんかしたら、たちまち苦しみもがかなければならないのに、今のぼくの心臓ときたら、胸の内側から、肉の壁をドンドンと叩くばかりだ。


 これが、驚く人体の普通な反応なのかと、ぼくは他人事のように自分の体の不思議な反応を、体感していた。


…*…

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