第十二章 Please don't be a stranger

Please don't be a stranger ①


 ぼくと兄さんが、めずらしく意見が一致いっちしたから、

静岡での新しい住まいは、父さんの実家の近くに決定した。


だから、通う学校も、きみが……紫穂がいる学校とおなじになる。


 ぼくは純粋に嬉しかった。

はやく学校に行って、紫穂に逢いたい。

そして、きみは、元気になったぼくを見て驚くんだ。

あのくりくりした目を大きくして。……ひょっとしたら、ぼくを見たら泣いちゃうかもしれない。けど、それもそれで……嬉しいな。


ぼくの事を──ぼくっていうこの存在を、これほどまで、泣くほどよろこんで歓迎かんげいしてくれるのは、きっと、きみだけだ。


 けど、気にかかる事が、ひとつだけあるんだ。


 父さんは、ぬかりなく、新しい家の立地条件を的確にしぼり込んだ。

……新しい家は、小学校まで徒歩五分ほどの場所の家に決まっていた。

──通学する、ぼくの身体に負担がかからないように、この場所を選んだのは明確だった。


 しかもこの新しい家、小学校を卒業したあとにかよう事になる中学校までも、徒歩十分とかからない場所にある。


ようするに、この新しい家は、小学校と中学校の中間に位置しているってわけ。


 父さんの、ぼくを心配してくれる気持ちは、もちろんありがたいと思うし、ここまで気にかけてもらっちゃって、なんだか悪いなあとも思う。


 兄さんはこの家の環境に、単純に喜んでる。

重い荷物があっても、忘れ物をしても、すぐに帰ってこれるからって。

らくができるって、喜んでる。


 ぼくは違う。……ぼくは、紫穂の家の近くがいいんだ。

けど、そう思ったところで、ぼくはきみの家がどこにあるのか知らないし──おなじ小学校の通学圏内なのはわかるけど──父さんの苦労や、家の家計の負担を考えると、さすがにそこまでのわがままは、云えるわけもなかった。


 もし、新しい家が、紫穂の家の近くなら、いっぱい──それこそ、四六時中──遊べるし、またあの暴力をあたえられたら、ぼくの家に、すぐに逃げ込んでこれるだろう?


 だから紫穂の近くに、ぼくは居たいんだ……。


 引っ越しは春休み中におわって、兄さんは新年度から、はりきって姫ノ宮小学校にかよいだした。


 姫ノ宮小学校。


 ぼくは今さらながら、初めて、これから通う小学校の名前を知った。

姫ノ宮小学校は、みんなりゃくして、通称つうしょう〝姫小〟と、呼んでいるらしい事も、この時に知った。


 ぼくは、あらためて実感したよ。

ぼくが、どれだけこの世界に──家族にさえも──おいてけぼりをくらっていたのかを。


 けど、今となっては、そんなのは、もう、どうでもいいんだ。今のぼくには〝これから〟がある。今まではなかったんだ。ぼくに〝これから〟なんて。


 明日……ううん、今すぐにでも、死んでもおかしくなかったのに、ぼくは生きてる。未来がある。──どうして心をはずませないままでいられる?


本当は、今すぐにでも、紫穂みたに野っぱらをけ走って、生きているよろこびを実感したいんだ。


 ──心臓の手術が成功してくれたおかげで、ぼくは、未来これからを手にいれたんだっ! って。


 大声で悦びを叫んで、駆け走ったらそのまま、野草のうえに仰向あおむけに寝っころがって、蒼い空をあおぎ見るのもいい。きっと、気持ちがいいんだろうな……。


 けど、ぼくは、兄さんと違って、すぐに学校へ通わせてもらえなかった。学校どころか、外にさえも、出してもらえてない。


 ぼくは静岡に戻ってきたのに、なかなか学校に通わせてもらえなくて……すごく、もどかしかった。母さんの心配性は、すっかりクセになっていて……。母さんは、ずっと、おっかなびっくりしていた。


 静岡こっちでお世話になる病院も、もう決まっているのに……。それでも母さんは、気が気じゃないようだった。


 北海道の病院で、ぼくの心臓を治してくれた医者が、紹介状を書いてくれたんだ。小児医療総合病院っていう、大きな病院に。


月に一度、ぼくは必ずこの病院に顔を出して、そしてここで、その日一日を──定期健診だの、なんだのと云って、身体中のあちこちに配線をくっつけられて──すごさなければならないけど、そんなのだって、ぼくにはもうお気軽なものだ。


だって、今までさんざん──毎日、毎日、ずっと──病院に缶詰だったんだから。それにくらべたら、ひと月のうちの一日くらい、どうという事はない。


 とにかく、ぼくは、早く姫小に通えれば、それでいい──。


…*…


 姫小へ通学しだした兄さんより、一か月遅れた、ゴールデン・ウィークあけの五月。ぼくの、姫小への通学が決まった。


 登校初日の一日目。

ぼくはドキドキして〝登校班〟というれつに、始めてくわわった。

心配性の母さんも、登校班の列にくわわって、ぼくの横にピッタリくっついて歩いてくるのが恥ずかしい。


もちろん、ぼくのまじる班の子達は、好奇と、戸惑いの眼でぼくたち親子を見ている。そこを、兄さんが一生懸命にきふせている。


「オレの弟は、体が弱いから、なれるまで、母さんがつきそうんだ。なれるまでだからな!」とか云って。


 ぼくは胸中でため息をついたよ。

〝なれる〟っていうのは、ぼくがなれるまでじゃないのを、よーく心得こころえているから。


なれるのは、母さんのほうだ。

母さんの心配性がなれて、安心して、ぼくを見送れる日がくるまで、こうして毎日、一緒に登校するのだろう。


……ぼくはいつまでも、親同伴でずかしい思いをするけど、母さんの気がそれで満足して、安心するのなら、このはじも受けいれよう。……母さんのヒステリーも、家族がバラバラになって、ささくれだつ思いをするのも、もう、うんざりなんだ。


…*…


 登校初日、学校の校門につくなり、兄さんは自分のクラスのある校舎へ駆け足で行ってしまって、

ぼくと母さんはその足で、学校の校舎の職員専用玄関のほうへ向かった。


職員専用玄関は大きくて、立派な造りをしていた。


 職員専用玄関は、校庭こうていまで階段でつづいているんだけど、その外階段からして、こった造りをしていた。


深緑色のタイルが敷きつめられていて、毎朝、このタイル階段をモップで磨いているのか、校庭に面した外階段なのに、砂埃のついていない、ピカピカの階段だ。


ぼくと母さんが、この深緑色のタイル階段を一歩、一歩、踏みしめて登ると、校庭の砂ぼこりのついた足跡が、タイルにくっきりとつく。

なんだか、汚してしまって申しわけないなぁと思いながら、母さんと職員玄関の入り口をくぐった。


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