Risking one`s life ④


 部屋にノックの音が響いて、母さんが入ってきた。ぼくはすぐに注文をつけた。


「母さん、ぼく本が欲しいな……世界史とか、なるべくむずかしそうなのがいい」


「涼、手術が決まったわ」


 ぼくの話しをさえぎって、母さんは眉を寄せた神妙しんみょう面持おももちで切り出した。


落ち着かない様子で、歩きながら話している。「心臓移植はしないやりかたで手術をするんですって。……よかったわね。あなた、移植はいやがっていたでしょう? でも、移植をしない手術で本当に良くなるのかしら……母さんはそれが心配で」と、母さんはここでようやく椅子にたどり着いて、そこに座った。


ため息をひとつこぼす。「ここの病院は日本のなかでも心臓手術にたけているのよ。……ここがダメなら、もう他に望みはないわ。涼、頑張ってちょうだい。これからの事はあなたの決断と体力次第しだいよ」


「ぼくはここの病院で手術をする気はないよ」ぼくはハッキリ云った。「他に病院はないの? たとえば、患者をモルモットにしない病院とか。ぼくは命をあずけるんなら、信頼できるお医者さんがいる病院がいい。ここはイヤだよ」


「失敗はいらないわよ」母さんはこめかみを押さえながら、消え入りそうな声をあげた。「お父さんがお医者様と話しをつけたわ。前回の失敗につづいたら、この病院の信用はがた落ちだとか、なんとか云っていた。


母さん、もう気が気じゃなかったわ。……とにかく、あれなら大丈夫よ。失敗するぐらいなら、始めから切開せっかいはしないですって。


でね、開いてみて、それでもダメそうなら、無理はしないでそのまま閉じる──それでも良ければ、手術をしましょうですって。涼、これならいいでしょう?」


「失敗は死ぬ事だもんね」ぼくは窓の外の空を睨みながらぼやいた。「一回開いてダメなら閉じる。死ななければ失敗にはならない。けど、いい実験にはなるよね。それになおらなくても、おだいは患者の家族からきっちり貰える。──ほんと、いい仕事しているよ。ぼくも将来は医者になろうかなあ」


「涼……」母さんが痛々しい目でぼくを見ているのが窓ガラスに映っている。


「わかってるよ。ぼくに将来があるかどうかなんて、今のぼくの決断にかかっているんでしょう? でもね、母さん。ぼくはあの医者はイヤだなぁ」


執刀しっとうするのは別のお医者様ですって。明後日、挨拶をしに来て下さるそうよ」


 母さんのその言葉に、ぼくはなにかピンとくるものを感じた。なんだろう、これが直感ってやつなのか。不安がキレイさっぱり無くなったぞ。


「そうか……」ひとりごちのようにつぶやいて、胸に手をあてた。……きみだ。きみがここにいて、ぼくになにくれとなく教えてくれているんだ。いい道の選び方を。


 きみのあたたかさを胸に感じる。


「……別のお医者さんなら、いいよ。手術するよ」


 ぼくはあっさり手術を承諾しょうだくした。

きみが気を許した人なら、きっと大丈夫だろう。


…*…


 手術当日。

昨日の夜からの絶食につづいて、朝からは点滴ばっかりだ。


 手術室までは自分の足ではなく、車椅子でれて行かされたもんだから、なんだか自分の意志とは関係なく手術をさせられているようで、怖い。


 ぼくはにぎった両のげんこつを胸にあてて、自分の意識と神経の全部をそこに集めた。


 きみがくれたここに……。ここに、きみがいる。


 ぼくがここにいるきみを守るし、ここのきみがぼくを守ってくれている。……ぼくは、心臓を動かしつづける。それだけに集中すればいい。


 手術室は、冷たい感じに整然としていた。

清潔にみがかれた白いタイルの壁に、ピカピカに光るシルバーの医療器具。


それらを横目に見ながら手術台に乗り座って、体を横にすると点滴チューブの他にも色んな配線がつけられた。


ぼくの心臓の鼓動に反応して、機械が規則正しい甲高い音をはっする。ぼくにとっては馴染なじみのある音だ。


 真上のUFOみたいな照明が煌々こうこうく。

医者や看護師たちが会話し、目配せし合っている。


「鳥海 涼さん、麻酔をれていきますね」看護婦がさも優しげに云った。


 ぼくは返事の代わりに瞳を閉じた。──ぼくにできる事は、心臓を動かし続ける事。それだけだ。ぼくは心臓を動かし続ければいい……。


 心臓に全意識を集中させているうちに、ぼくは深い深い眠りに落とされた。


…*…


 甲高い機械の音が耳にさわる……。聞き慣れている音だけど、うっとうしいんだよ。とくにこうも体がダルイときは。


 ぼくはうだるように重いまぶたを持ち上げた。

頭を動かさないで見える範囲に人はいない。ベッドの周りはカーテンできっちりかこってある。医療機材のみがぼくのについていてくれている。


 そして遅まきながら実感した。──ぼくは、生きているじゃないか。のりきったんだ! 心臓手術を……!


 心臓へ気を向けたら、胸部全部に燃えるような痛みが広がった。

生きながら胸の内側に火焼け石を入れられて、燃やされているみたいだっ!


 ナースコールを手探てさぐりしたけど、どこにあるのか見当けんとうもつかない。激痛で探しようがないんだ。こうなるんなら、最初からぼくの手に握らせて置いてくれればいいのに! 不親切で気の利かない病院だ!


 心電図のテンポが早くなっている。ぼくのせいだ。ぼくの心臓が痛みに悲鳴をあげているから……!


 ナースがやっとバタバタと部屋に入ってきた。


「どうしたの!」

「なにがあったの! すぐにドクターを呼んで!」


 やれやれ。この心電図がナースコールの役割をはたしてくれるなんて、意外に便利な代物しろものなんだな。ありがたいんだか、なんだかなあ。


「あ! 涼くん! 目を覚ましてたの?」おばちゃん看護婦がぼくに気づいてくれた。


 ぼくは歯を食いしばりながら欲求を吐いた。

「はい……痛み止めを打ってください。強いやつ」


「痛むのね。わかったわ。すぐにドクターが来るから。まだ我慢できる?」


ときどき、病院はムチャな要求をしてくるよな。悪いけど、頭を疑っちゃうよ。心臓手術をしたあとの患者が痛がっているのに、

痛みに我慢できるかなんて、おかしな質問だろう。


 なんのかんのといって、医者はすぐに駆けつけてくれた。

ペンライトでぼくの瞳孔を確認しながら指示を飛ばしてる。


「痛み止め、多めに用意して!」


 ペンライトの光がまぶしくて、ぼくは顔をそむけた──っと、激痛だ。心臓が、身体から切り離されそうだ! 心電図がさらに甲高くなる。


「動かないで!」医者が声高に云った。……ぼくは、あなたのせいで動くはめになったんだけどな。元気になったら、毒つきたい事がたくさん増えてきそうだよ。


 看護婦が痛み止めの点滴袋をぶらさげている。かたわらでは、医者が注射器をいじくってる。


「即効性のある痛み止めを打つから、すぐにらくになるよ。点滴はあとからいてくるから」


 ぼくは、ぼんやりと医者の話しを聞いていた。とにかく、この痛みから解放されるならなんでもいい、早くしてくれ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る