Risking one`s life ②


 そのあとの電話の会話は、取りとめのない内容ばかりに感じた。


 人の悪い伯母おばさんが紫穂にどう云ったのかが気にかかる。

ぼくはいそいで風呂をすませた。


 風呂から出ると、母さんはまだ電話をしていた。今度は違う親戚にだ。そのあとは学校へ。またそのあとは別の学校へ──話しを聞く限り、こっちのはぼくたちが新しくかようことになりそうな学校のようす。


ということは、手術がめでたく成功したあかつきには、ぼくたちは北海道に永住する事になるのか? それとも、ぼくが全回復するまでのあいだだけ?


父さんは仕事をどうするんだ? ああ、ぼくたちを置いて単身赴任っていう手もあるか。でもそうなれば、ぼくと紫穂はどうなる? このままだと逢えなくなるじゃないか!


 ぼくはぼくなりに考えこみながら、母さんの長ったらしい電話をじりじりと待った。


 母さんが電話の締めくくりに入った。

耳にあてている受話器にもう片方の手もそえてお辞儀をしている。


「はい、はい。それでは、また。──あの、ご丁寧にありがとうございました。

──いえいえそんな、はい。……はい、それでは、失礼します」


 母さんが受話器を置くなりぼくは声をあげた。


「ぼくの友達が来たって聞えたけど」


「あら、涼、髪がまだ濡れてるじゃない」母さんはぼくの肩にかかっているタオルをとると髪をきだした。「風邪引いちゃうでしょう? 明日には入院をして、明後日には手術になるかもしれないんだから、体調を整えておかないと」


 ぼくは頭をそらしてタオルをけた。母さんの顔が曇る。


「人の悪い伯母おばさんが話していたことを教えてよ。ぼくの友達になんて云ったのか」


「わかったわかった、話すから……髪をかせてちょうだい。ほら、ここに座って」母さんがベッドを叩いた。


我慢しておとなしく座ると、母さんは髪を拭きながらやっと話し始めてくれた。


「今日の夕方、女の子が来たんですって──あなた、女の子の友達がいたのね」母さんが感心と驚きをにじませて云うと、兄さんが話しにわって入ってきた。


「野猿みたいな子だよ」


「猿じゃないよ、兄さん。あの子は……どちらかというと犬みたいなんだ」ぼくは警告を込めておどしたけど、兄さんには通じなかったみたいだ。ルービックキューブをカチャカチャやりながらニヤリと笑った。

「忠犬ハチ公みたにおまえになついてるもんな」


「その忠犬が、どうも番犬にもなってくれそうなんだ」

「ハッ! なんだよ……あの子をオレに、けしかけるつもりなのかよ。おまえも、でかい口が叩けるようになったな。あの子の影響か?」


「ちょっと二人ともケンカはよしてよ!」母さんがこめかみを押さえながら云った。これはよくない仕草だ。ヒステリーの前触れ。

ぼくも兄さんも口をとじた。


「野猿とか犬扱いなんかして、あなたたちはなにを考えているのよ、もう」


「兄さんがヤジを飛ばしてきたから頭にきたんだ」ぼくは兄さんを睨みつけた。「そのルービックキューブだって、なにか意味があるのか? 兄さん、遊び方も知らないんじゃないの?」


 兄さんが野球のボールを投げつけるみたいに、ぼくに向かって投球してきた。けどキューブはぼくの足もとにも届かなかった。

手前の床にぶつかって派手はでに散らばる。


「やめなさいって云ってるでしょうっ!」母さんが叫び声をあげた。そこにちょうど父さんが部屋に入ってきた。母さんの剣幕けんまくと、床に散らばる残骸ざんがいを見て、ぼくたちに目をやる。


「兄弟喧嘩か……」父さんは疲れたため息をつきながら奥まで入ってきた。途中でキューブの残骸を蹴飛けとばしなから。


「母さんは今日、移動するだけでもきりきりまいだったんだ。もそっといたわってやりなさい、家族なんだから。それと、これは壊した人が片付けなさい」


 兄さんがふてくされて口をへの字にした。

けど父さんに睨まれてそそくさと残骸を拾いにかかる。ぼくは横目でそれを見て母さんに話しを戻した。


「それで母さん、伯母さんはなんて?」

「……涼、この話し明日でもいい?」

「イヤだよ。明日には入院になるかもしれないんでしょう? 手続きとかで忙しくて話しどころじゃなくなるじゃないか。だから、今日のうちに教えてよ」


「手続きはお父さんがやるから、おまえたちはゆっくりしてなさい。涼、聞きたい事は病院の待ち時間にしてあげなさい」


 ぼくは苛立ちまぎれに、わざとらしいほど大きなため息をついた。


 確かに、今日はみんな疲れている。それはあきらかだった。

それにここまでピリピリしているのは、ぼくのせいだ。

ぼくがこれから先──そう、数日の間に死ぬかもしれないから。


 入院は明日。

でもすぐに手術するわけじゃない。だからまあべつに明日でもかまわないんだけど、ぼくは気が立っているんだ。──きみが心配で。


きみをおいてけぼりにしてしまった、自分も許せないんだ。このままおいてけぼりで、ぼくがこの世からもってしまったら、だれがきみを守るの?


 その日の夜は移動で疲れているのに、なかなか寝付けなかった。


 ***


 次の日、ぼくを受けいれてくれる病院は流れ作業のようなスムーズな段取りで迎え入れてくれた。


 まずぼくは車椅子に座らされ、看護婦さんが病室まで押してくれた。

母さんはそのあとを着いて来るだけだ。


 看護婦さんは途中、ナースステーションがここ、トイレがここ、飲み物はここで買ってだとかを、母さんとぼくに説明してくれた。


まるで〝手術は当然成功するんだから、知っておかないと困るでしょう?〟といったような具合で。


 だからといって、ぼくはまるきり信用するわけじゃないけどさ。


 病室は、やはりの一人部屋だった。個室だ。それもかなり広い。

ベッドのまわりが、がらんどうになっているのは、万が一の時にここに医療器具がズラリと陣取じんどるからだ。


ここまで露骨ろこつに用心深くなっているのに、はたして本当に手術は成功するのか、はなはだ疑問に感じる。


 断言していい。

ぼくはかなりピリピリしている。

だってさ、さっきからずっと手汗を握りっぱなしなんだ。ベタベタして気持ち悪い。こんなに手汗をかいているのは始めてだ。


 ぼくは車椅子からベッドに移るなり、母さんに昨日の話しをせっついた。


「ねえ母さん、もういいだろ? 伯母さんがなんて話していたのかを教えてよ」


「そんなに気になるの?」母さんは呆れ顔をしながら、棚にタオルや着替えを詰め込み始めた。


「そんなのあとでいいよ。それで……紫穂はなんて?」


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