All in the name of love ②


 信じられない! 驚きだ! 母さんがあの曲を知っていた! しかもカセットまで貸してくれた!


──ていうか母さんがカセットを持っていたのにも驚きだよな。

これって、なんていうんだっけ。運命の歯車、とか……? ハッ、笑えないな。

乙女チックな月九げっくドラマじゃないんだ。

あんなのと混同こんどうなんかしたくないね。


 でもなんだろうな、この感じ。へんな感じだよ。

ぼくたちの出逢いはこれが三度目の出逢いになるのに、紫穂にとってはこれが初めての出逢いになるのか。


 しみじみ複雑な心境になってきたから、気持ちを入れ替えよう。


コンポにテープをセットして、再生▶ボタンを押す。


テープをかけて音楽が流れだすのを待つ。すぐに流れてきた。

きみが昼休みに口ずさんでいた歌だ。


まさか、+rfがこんなバラードな曲を歌っていたなんて、知らなかったよ。


それにしても紫穂はどうやってこの曲を知ったんだ?

まだリリース前だぞ?


母さんとおなじで、裏ルートからオフレコのデモテープを入手したのか?

で歌えるなんて……よっぽど聞きこんでいて、好きなんだな。


曲名は……たしかカセットケースの裏に書いてあったよな。油性ペンで。えっと、曲名は……


〈ENG△GED〉


──なんだよ! 英語かよ!


 しかたない、本棚の最下層から英和辞書を引っぱり出すしかない。

ホコリまみれか、さもなきゃクモのがひっついてるかもしれないけど。まったく、まさかこんなかたちで辞書が役立つなんて思いもしなかったな。


英和辞書を開くのなんて始めてだ。学校に持って行ったことすらないのに。


 E……EN……ENG……あった、ENGAGED。


意味は……なんだこりゃ。いろいろごちゃごちゃ書いてある。よくわからないな。


 おどろいた……ひとつの単語なのに、こんなにもたくさん意味があるんだなんて。


直感にしたがって気になった意味だけをひろってみたけど……

〝歯車〟とか〝従事じゅうじ〟そして〝婚約〟。


 この歌はどうなんだろうな。

曲名とおなじで歌詞がいろんな意味をなしていそうだ。


 紫穂……まったくきみは。

 どうしてこの歌を選んだ?

 どうしてこの曲を好きになった?


+rfが好きなら、もっと年相応としそうおうの若者向けアップテンポな曲があるじゃないか。

それなのに、どうして──よりによって──こんな意味深いみしんな曲にかれたんだ?


 紫穂らしいといえば、紫穂らしい……か。


 きみはいつだって一歩も二歩も先を生きているから。大人なんだよ。見た目や体がまだ〝女の子〟ってだけで。中身は大人。

それも、ずっとずっと子供のころから。ぼくは知ってるんだ。


 きみはまわりに──見た目だけが大人の連中に──〝自分の体質〟がバレていないって思っているようだけど、ぼくが気づいているくらいだ。


他にも気づいてるヤツは気づいてる。

だからもうすこし振舞いに注意してもらいたいなぁ。


あまりハメをはずしすぎると、よけいな厄介事やっかいごとが舞い込んできてしまいそうで、心配なんだよ。


ぼくは紫穂が大切なんだ。きみが傷つくとこなんか見たくない。


 そこでぼくは考えた。紫穂に厄災や不幸が降りかかるのを。吐き気が込みあげてくる。ぼくは頭をふって胸くそ悪い──あの、どすぐろい家族にいだく感情をなぎはらった。


なんだこれ。……なんなんだ、これは。自分の身に起こった不幸のように感じる──いや、それ以上だ。


自分の身に起きた不幸なら、なげいておしまい。

ひととおり落ち込んだら、気分をいれかえてらくに方向転換すればいい。


だけどきみの身になにかあったらと思うと……自分のこと以上につらい。

文字どおり、胸が張り裂けそうだ。


もし他のだれかが傷ついたとしても──しかも自分の家族でさえ──こうはならない。断言できる。


 紫穂、きみが──ダメだ。ちょっとでも考えただけでまた気持ち悪くなってきた。


 きみが……紫穂には、そうなってほしくない。


 紫穂、きみは、ぼくにとってぼく以上の存在なんだ、きっと。

自分よりも大切な人、そんなところ。


 初めて紫穂に出逢った日は、強烈だったな。──初めて出逢った日が、もうなつかしく感じる。


 その日、ぼくは思ったんだ。

〝ぼくとおなじ人間を見つけたっ!〟って。


 きみは、春の天気と風をつれて突然、ぼくの家にあらわれた。パッと。

ぼくが小学三年生のころだ。


 ぼくはそのころ産まれつき心臓が悪かったから、家から外にほとんど出してもらえなかった。


もちろん学校だって例外じゃない。

ぼくの母さんは〝義務教育〟の制度を呪っていたくらいだ。


「なにが義務教育よ! 子供がすこやかにすごせない学校に強制的に行かせるなんて、政府はなにを考えているのよ!」こんなふうに、よくわめいていた。


 ぼくは子供ながらに感じたよ。

ぼくのせいで母さんがむしばまれてるって。


そしてそのうち、母さんのヒステリーは日常的になっていった。

いま思えば、ノイローゼだったんだろうな。


それでぼくたち兄弟は父さんの実家にひきとられた。母さんにも療養が必要になってしまったから。


 そこで、きみがあらわれた。

ぼくはいつものようにカーテンがきっちりしめられた二階の子供部屋にいたんだ。

昼も夜も、ここのベッドがぼくの居場所だったから。


 にいさんの体は健康体けんこうたいそのもので、よくそれを鼻にかけてぼくをバカにしてからかっていた。


「おまえは学校にも行けないなんて、かわいそうなヤツだな」って。


ぼくからしてみれば、そう云う兄さんこそがかわいそうだと思ったよ。

せっかく学校へ行っているのに、なにをまなんで帰ってきているんだろうって。

人をバカにするのを学ぶために学校に通っているのか? 教科書のたくさんまった重いランドセルを背負しょって、学校までわざわざ歩いてかよっているのに、兄さんはなにを学んでいるんだろう。そう思っていた。


 その日、兄さんは小学校からいつもより興奮して帰ってきた。


「友達が遊びにくるんだ! ねぇ、おばあちゃん。お菓子用意しておいてよ! ほら、あのお客さん用においといてある、上等な和菓子があったでしょう? それを出してよ!」


けちくさい兄さんが見栄みえをはろうとしているのは、すぐにわかった。

見栄をはりたくなる友達って、なんなんだろう? と思ったよ。

そんなのを友達と呼べるのか? って。


 ぼくは子供部屋の床に腹ばいになって耳をあてた。

自分の息もひそめて、下から聞こえてくる音に耳をすます。


でもそんな必要はなかった。

きみたちが大声で──すくなくともぼくには大声に聞こえた──参上したから。


「お邪魔しまーす!」女の子のねこなで声がした。つづけて、もうひとり。


「おっじゃまっしまーす!」リズムカルなテンポの、ごきげんうるわしい陽気ようきな声がセットでついてきた。


それから、ドタバタとあわただしく家にあがりこんでくる足音。

つづけて、キャンキャン云うおこり声。


「紫穂、あんたは! もっと礼儀正しくしなさいよ! 始めてあがる家なんだから!」


「でも子供は元気のよさがとりえなんだから、それを取り上げたらなんにも残らないよ? ただのお荷物になっちゃうじゃん。かわいそうだよ。


それにこんなふうにズウズウしく人の家にあがりこめるのも、子供のうちだけだよ? やらなきゃもったいないよ!」


悪びれも無く、なにを云っているんだ、この子は。こんなへりくつも聞いたことがない。


「あんたはっ──! 私はね、遠慮えんりょしなさいって云ってるの! 図々ずうずうしくするのは仲良くなってからでしょっ!」猫なで声をしていた子がカンカンになった。せっかくの猫かぶりも台無しだ。


「あー、はいはい。えんりょ、ね。ふふっ……じゃ、たしなみていどに」おもしろそうにその子──紫穂と呼ばれた子は云った。


なんだか猫なで声の子のけのかわいでやったのが楽しいかのように。



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