第九章 All in the name of love

All in the name of love ①


The first page is …



 朝、待ち合わせをしたイオンの駐車場についたけど、早く日記を読みたくてしょうがない。

はやる気持ちがおさえられない。


自分の車に乗りかえてフーッと息をつく。

鳥海先輩の日記帳と箱は胸に抱いたまま。


心臓が、小鳥がつばさをはばたかせるように高鳴ってる。

お願いだから落ち着いて──そう自分に呪文をかけてみる。それから、自分の体調を気にかけた。


 いまのところ発作ほっさじみた頭痛は襲ってきていない。けど……ちょっと自信無いかな。でも反対に気持ちがドキドキとはやる。


 わたしはもう一度息をついて、今度は目を閉じてみた。──冷静になりなさい、と自分の気持ちをコントロールしたくて無理難題なんだいをふっかける。

そこで、視線を感じた。

目を開けて確認しなくたって、視線のぬしがだれなのか見当はつく。夏樹きまってる。


 わたしは鼻息をあらげて窓越しに夏樹を睨みつけた。

隣りに停まってる左ハンドルさんが眉をあげて目を丸くした。


 なにそれ、それでおどけてるつもりなの? 睨みつづけていると夏樹は口ぱくしてきた。


〝行けよ〟だって。


はいはい、わかりましたよ。運転に気をつけて帰りますよ。


 わたしは渋々しぶしぶ車のエンジンをかけた。

気持ちに悶着もんちゃくつかないまま日記帳と箱を助手席にそっと置く。


 はやる気持ちがあるけれど、読むのはおうちに帰ってから──。自分の気持ちにふんぎりをつけて、わたしは夏樹より先に駐車場を出た。


…*…


 家について鍵を手早くあけた。寝室に直行する。

ドアを閉めたところで、深呼吸をした。


心臓はまだ羽ばたいてる。

わたしはドアにもたれ座って、鳥海先輩の日記帳をじっくり眺めた。黒の油性ペンで書かれた文字にそっとふれてなぞる。


──All in the name of love 1999──


ほんと、いそいで書いたみたな字。

読めるけど……鳥海先輩は、なにをそんなにあせっていたのかしら。表紙なんだから、もっと丁寧に書けばよかったのに。


 わたしは走り書きしてある文字に苦笑くしょうした。

当時の鳥海先輩のようすを想い描きながら、表紙をめくってみる。



≪1994年 4月18日 月曜日


 気持ちがたかぶって落ち着かない。頭からきみが離れないんだ。──八鳥。八鳥 紫穂。≫




 思わず日記帳をバタンと閉じた。

 えっ! なにこれ! …──えぇっ、いきなり? 


 わたしは衝撃に打ちのめされつつ、顔が真っ赤になっていくのを感じた。


 これは……もろに日記帳ってやつじゃない! 心臓が羽ばたきをえて胸を叩いてくる。体調が悪いのとは、まったくの別種類のめまいがする。


 日記帳だとは聞いていたけど、じっさい目にしてみると……衝撃が大きすぎる。


 わたしはもう一度──今度は入念に──深呼吸をした。気持ちを整えられるだけ──わずかでもいいから──整えて、ゆっくり表紙をめくる。




≪1994年 4月18日 月曜日


 気持ちがたかぶって落ち着かない。頭からきみが離れないんだ。──八鳥。八鳥 紫穂。


 なにから書けばいいんだろう。きみとの出逢いから? ──そう、出逢いから書かなくちゃならないな。


紫穂は、ぼくのことをまるきりすべて忘れているようだったから。


ぼくたちの最初の出逢いはとっくのとうにはたしているはずなのに。……どうして少しもおぼえていないんだ?


 でも、まあ、いいかな。また出逢えたんだし。…──いや、やっぱりよくないな。

ぼくのことをまったく憶えていないなんて……ショックだ。明日にでも訊いてみようかな。


ぼくのこと、憶えてる? って。


 いや、でも待てよ。

明日……明日になれば、昨日の今日ってことだろう?

それでいきなり憶えてる? なんて訊かれても、紫穂が困るだけか。へんなうわさが飛び交うかもしれないし……。


あの思春期まっただなかの連中のことだ。好きなように尾鰭おひれをつけて話しをひろめるだろう。


(どうしてほっといてくれないんだ、あいつらは!

 紫穂が姫中に入学するまえから、不良グループの先輩や同級生たちは、噂話に躍起やっきになっていた。


〝手のつけられない一年が入ってくる〟


この噂のせいで、女子の不良グループのあいだでは緊張が走っていた。


「ナマイキなようなら、きいれてやんよ」なんていう物々しい会話が飛び出してくるし、あげく「五人くらいでボコれば、なんとかおとなしくなるでしょう!」なんて息巻いていた。


 それなのに、地雷じらいのはりめぐらされた入学当日。

中学校にあらわれた〝手のつけられない一年〟は、華麗に颯爽とあらわれた。


春風にふかれて、ゆれる髪と制服のスカートが、みょうに美しく、に見えた。


スカートから伸びるすらっとした足に、美しい立ち姿でスタスタ歩く。

誰もの注目を引き集める。顔も可愛いときた。


 最初のころみんな、このみょうに人目を引く紫穂と、悪い噂の子とが同一人物だなんて思いもしなかったらしく、

一年より上のぼくら二年の学年と、三年の先輩男子の間では、またたくまに〝注目の可愛い後輩女子〟になっていった。


しらけた目で見ていたのは不良グループの女子たちだ。

焼きをいれると息巻いていた口は閉じるし、おもしろくなさそうな目で、遠巻きから紫穂を睨みつけ、監視していたな……)


 こうした状況なもんだから、紫穂はこれ以上注目を集めるのはイヤがるだろなあ。


噂話しを聞くのが一番の苦手だろうし、

その噂話しの中心人物が自分になるとわかったら、全力で拒絶しそうだ。


その巻き添えをくらってぼくまで遠くに追いやられるのもごめんだし。ましてや、イヤがられるのも。


 紫穂がぼくをきらったりしないのはわかるんだ──直感で。


なぜだかきみの気持ちや考えていることが手に取るようにわかるから。頭に直接流れてくる……この表現はなんか違うな。心に流れてくる? いや、これも違う。──繋がってる? そうだ、〝繋がってる〟だ。これだ。しっくりくる表現。


 とにかく、紫穂がイヤがることはしたくない。


 はーあ、早く明日にならないかなぁ。早くきみの笑顔が見たい。歩き姿も見たい。できることならずっときみのそばにいたいけど、


ぼくは男なんだよなぁ……そう! そうなんだよ、ぼくはになっちゃったんだよ。

で、きみは。なあ、そうだろ? というか、そもそもぼくはもとから男なんだけど、きみがぼくを〝男あつかい〟してくれなかったから! ……あぁ~あ、ホント落ち込むよなあ。まじでひどいよ。


 ……でも、今日は違ったよな。ぼくを男として見てた。


 ──あー、ダメだ! 気がそれて落ち着かない! 頭の中がパニクってる。こんなの初めてだ! せっかく日記を使って頭の中を整理しようとしたのに、これじゃあなし崩しじゃないか。


あれこれいろんな感情が混乱して、せめぎあってる。

そのうえ、記憶のなかのきみと、今日のきみは鮮烈な光りをはなってぼくの思考をくらませる。これじゃあ考えがまとまらないよ。


とにかく落ち着こう。

……そうだな……まずは、かあさんにあの歌のことを訊いてみようかな。

紫穂とおなじ女同士だし、もしかしたら母さんなら知っているかもしれない。


…*…


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