I'm right here ⑩
わたしは放心状態に近い状態で、
ハンカチにしがみついている手をひきはがして、お母さまに差し出した。
けど、慌ててすぐにひっこめた。手がものすごく震えていたから。
「ごめんなさい! どうしても震えちゃうんです!」わたしは泣いて謝った。
「震えててもいいんです。──見せてください」
お母さまが身を乗り出して座卓に両の手の平を置いた。──泣いてすがる
わたしは吸い込まれるように、座卓で待ちわびている手のなかへ、自分の手をかさねた。
皮膚がかたくなってザラつく手が、わたしを包む。……あたたかい人のぬくもり。……鳥海先輩の、お母さんのぬくもり。
わたしの手は、不気味に震えているのに何度も握り返された。
両手で包まれたり、看病している病人の手を握るようにされたり……指をからめられたり。
そのあいだ、なんとか震えを抑えこもうとしたけど、ついに叶わなかった。
「……あぁ」鳥海先輩のお母さんが、震えている手を優しくいたわるように撫でながら声をもらした。むせび泣きながらの、か細いささやき声。「ほんと……涼とおんなじ手」
「わたしの手と、鳥海先輩の手がおなじだって、どうして知っていたんですか?」わたしは反射的に訊いていた。自分でも驚くほどあっさりと。「鳥海先輩から……なにか聞いていたんですか? もしそうだとしたら、彼……他にもなにか云っていませんでした?」
鳥海先輩のお母さんはあいまいな感じに首をふった。
わたしの手はまだ握りしめつづけてる。その握る手に、ちょっとだけ力が込められた。「……聞いたというより、書いてあったんですよ。日記帳に」
「日記──」わたしは繰り返した。
どこから手をつけたらいいのかわからない。
やっぱり鳥海先輩はなにかを残していたんだ。
日記!
なによ、やっぱりわたしと発想がおなじじゃない、もう。
──その日記には、なにが書いてあったの? わたしのことを、なんて書いたの?
鳥海先輩の生きていたころの日々がつづられた日記。
鳥海先輩の想い。鳥海先輩が確かに生きてきた
「日記って、どういうことですか」夏樹が不満そうな声をあげた。聞いてた話しと違うじゃないか! とでも云いたげに。「涼の日記があっただなんて、オレ、はじめて聞きましたよ。……いったい、なにがどうなっているんですか?」
「土屋くんには、悪いことをしたと思っている」鳥海先輩のお父さんはバツが悪そうに云った。わたしの手を握るお母さんの手には、ますます力がはいった。少し痛い。
「だけどあの時──当時、私たちには守秘義務というのが課せられていたんだ。それも裁判が終わるまで。まったくもって、やれやれだったよ……。
土屋くんが一生懸命訊きまわっていたのは知っていたんだ。
うちの子にあそこまで頑張って寄り添ってくれたのにも感謝してるんだよ。だけど、私も職業柄、云えなかったんだ。──ほんとうにすまない。
裁判が終わったあと、証拠品として持っていかれていた日記やテープが戻ってきても、なんだか土屋くんには云いだしずらくてな……それに、あの日記は涼の心そのものだし……。そうほいほいさらけだすのは、かわいそうじゃないか」
夏樹は不満が解消されたわけではなさそうだけど、下唇をつきだして
〝心をさらけだす〟っていうのが
「そう云われると、思うところはあります。あいつの気持ちを考えると……オレに見られるのは、かんべんしてくれって思うかな」夏樹が悲しげに笑った。
正直、わたしも悲しかった。
鳥海先輩のお父さんの言葉は、わたし自身の気持ちにもストップをかけた。
鳥海先輩の日記が見たい、読みたいという気持ちに。
それと、気になったことがひとつ。
この部屋のなかで、わたしだけが知らない話しが飛び
「裁判って、なんですか?」わたしは当然のように訊いた。
いっせいにみんなの視線がわたしに集中する。
わたしはすぐに理解した。「裁判の起こるような、事故だったんですね」歯を噛みしめながら確認する。つかのま、この場に無言の空間がおりた。
裁判になるような事故だった……というより、事件だった。
これは、わたしのせいなんだ。みんなの視線がものがたるように。
わたしを
わたしは、
気持ちが悪い。吐き気が込みあげてくる。
わたしの、わたしだけの秘密の箱は、なんの意味もなかったんだろうか。──ううん、それなりの意味はなしていた。わたしの精神をつなぎとめていた。──ぎりぎりのところで。
じゃなきゃわたしはとっくのとうに自殺していたか、入院か、療養病棟の部屋を新たなライフステージの新居にしていたはず。
……そこでわたしは気づいた。
いまの自分の暮らしぶりも、さしたる変わりがないように思えるなと。
いまのわたしは、生きているっていえる? 健全でまともな生活ができていると? たしかに、表面上はそれなりにうまくやってる……というか、そう振舞ってるだけ。
そもそもわたしの心はすでに
「日記には、なんて書いてあったんですか?」わたしは、おなじ女性である鳥海先輩のお母さんに訊いた。
「だいたいのことは、すべて……。あとは、電話の録音テープからも……」お母さんの瞳に
わたしは言葉をなくした。
なんて
秘密の箱にずっと押しこめてきた
わたしはいつものクセで泣き顔を隠した。うつむいて。それしか逃げる道が見つからなかったから。
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