I'm right here ⑨


「……はい。どうも、こんにちは」夏樹が少し堅苦かたくるしく挨拶する。


お父さまはうなずき、わたしに視線をうつした。

わたしの喉から、声が出てこない。……わたしはほんとに挨拶をかわしていいの? はじめましてなのに? しかもこんなかたちの。


それなのに軽々しく挨拶なんてしていいの? なんて云ったらいい? なんて声をかけるべき? ──わたしの体は、しゃべれなくなってしまったの?


 凍りついて動かない体をギクシャクかたむけて、お辞儀をした。だけどさげた頭はそのまま。顔をあげられない。顔向けできない。


「土屋くんに会うのは……久しぶり、じゃないよね」


お父さまは、凍りつくわたしを素知そしらぬふりしたのか、夏樹に冗談めかした話題をふった。


〝そのあいだに顔をあげとけ〟とでも云うように。


わたしはお辞儀の姿勢から頭をあげた。でも目線はあげられない。怖くて。


 正座してる夏樹がひかえめに笑い声をあげた。


「そうですね。ついこのあいだも植田うえたとお邪魔したばかりですもんね。何度もすみません。でも……」ここでみんなの視線がわたしに集まったのを感じた。


「あなたが、紫穂さんですね……」お父さまに呼ばれて反射的に顔をあげた。

哀しげな眼差まなざしと目が合う。


「はい」なにか云わなきゃ。なにか。「神崎……八鳥 紫穂です。……はじめまして……あ、あの、こんなに遅くなってしまって──ごめんなさい!」


わたしはまた頭をさげた。


「いいんですよ」お母さまの泣きそうな声がわたしをなぐさめる。「遅くなっても、こうして来てくださったじゃないですか……それだけで、私はいいんですよ。あの子の、涼の気持ちが……浮かばれますっ」


「頭をあげて、あなたの顔をよく見せてください」お父さまの声をつまらせる想いに引っぱられて、わたしは頭をゆっくりあげた。


こんな顔、どうして見たいと思うの?


 お父さまはわたしの顔を──とくに目を──ひとしきり見ると、ズボンのポケットからハンカチをぬきとって目頭を順番におさえていった。


その動きに合わせて、夏樹がわたしのバッグに手をかける。

夏樹は、なにをやっているの? わたしのバッグをかってにいじくったりして。


 だけど夏樹がバッグからハンカチを出して、わたしに差し出してきたところで、その行動の意味がわかった。


わたしは下唇を震わせながらハンカチを受け取って、顔全体を隠すようにおさえた。

でも顎先にたまっていたしずくはハンカチが間に合わなくて、下に落ちた。


 ──この人たちに、なにから、どう話せばいいの。残酷な話しを、どうげたらいいの。


 わたしは顔から離したハンカチをもみながら言葉を探した。


「紫穂さん」お母さまが震える声で呼んだ。「へんなことをお願いするのを、どうか許してくださいね」


 わたしはまたしても戸惑った。……え、どうしてわたしが謝られるの。

謝るべきはわたしなのに……! それも謝ってすむ問題じゃない──!


「紫穂さん、手を、見せてください」


 ──え。……手? 意表をつかれたわたしは自分の手に視線を落とした。ハンカチを握りしめいてる手に。


 手を見たいだなんて、どういうことなんだろう。


──あ、もしかして……。


でもまさかそんな、と戸惑いに頭を振る。


わたしと鳥海先輩の手のことは二人だけの会話だった。他のだれかが知るはずもない。


でももし、鳥海先輩が家族のだれかに話していたら? わたしだってあの日、学校から家に帰ってきて、お母さんに訊いてみたじゃない。


こんなことってあるの? って。


 …──今日、学校で不思議なことがあったの。ねえ、お母さん、血の繋りのない、まったく赤の他人の人と、手の形がそっくりうりふたつ──なんてことってある?


 わたしとお母さんって、血の繋がってる正真正銘の親子じゃない? でも、それほど手の形は似てない。


お父さんの手は──あのけがらわしい手と自分の手が並んだのを想像しただけで吐き気がする……! しかもあんな人と血が繋がっているなんて! 自分の産まれが信じられない! ああっ、ほんっとイヤ! 忌々いまいましい! ──とにかくお父さんの手は〝男手〟だからわたしとは比べようがないじゃない? ぜんっぜん似てない!


 それにわたしはお姉ちゃんとも姉妹なのに、なぜかぜんぜん似てないでしょう? ……家族でわたしだけがずっと浮いていた理由がそこにあるのかなあ? ねえ、お母さんって……ひょっとして浮気した? わたしは、よそでこさえた子なの? 


 だからお父さんにきらわれてるのかなぁ? まあ、話したくない内容だから、真相しんそうを闇にほうむりたい気持ちはわかるけど。


あははっ! そんな、まにうけて目くじら立てないでよ! お母さんは浮気したくても出来ないタイプって知ってるから、もう、ああ可笑おかしい……!


でもそれにしても、こんなことってある? 今日わたし学校で自分とおなじ手の人を見つけたの! 家族のだれとも似てないのに……。


わたし、そこに家族を感じちゃった。……これが愛っていうのかなあ? わたしって、悲しいことに愛がどういうものかもわからないんだけど。──でもなんていうか、すごくあたたかくて……はじめからずっとそこにあったものっていうか……。


ああ、これがほんとうの家族のあたたかさなんだなって思った。すごい安心感がそこにあったの。


愛のあたたかさに包まれてる安心感っていうのかな……。なんだか怖いものがなにもなくなったように感じた。今ならなんでもできるような気がしたの。──やだ、ねえ、ちょっとお母さん。怒ってるの? ──…


 そしてお母さんはいつものお決まりのパターンで、むすくれがおのままをとおして、

まるまる一週間以上わたしと口をきいてくれなくなった。


 遠い昔、まるで違う時代のできごとのように感じる子供のころの記憶。


 もしわたしとおなじで、鳥海先輩も手の話しを家族にしていたら? いまとなれば、その話しを聞いた家族が──目の前にいるお母さまが──鳥海先輩とおなじ手を見てみたいと思うのも当然なんじゃないの?


わたしの手に、鳥海先輩……自分の子供の面影おもかげが見てとれて、存在を感じとれたなら、こんなに嬉しいことってないんじゃないの?



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