Be prepared to be led ⑧


「紫穂はそう云うけどさ……」夏樹が〝やりきれない〟という具合に、元気のない声でぼそりと云った。「紫穂はたえられるの? 涼の死の真相を聞いて。……悪いけど、オレには紫穂がたえられそうに見えない。だって──」


言葉を切って、意味深いみしんに視線をチラリと落とす。

──わたしがつかんで離さない自分の手を見たんだ。


「いまからこんなに震えているんじゃ……ムリだろう?」


 まとた指摘にギクリとした。

捕まえていた夏樹の手から自分の手をサッと離す。


わたしは落ちつきなく震える手をもんで、云いわけがましい行動にペットボトルの蓋を開けて、水を一口飲んだ。

つづけて、もう一口飲む。


それから自覚した。

これは気持ちの決心をつけさせる時間稼ぎでしかない、無意味な行動だと。


 わたしの心はもう決まっているはずなのに、

たりなかったのは──必要なのは、ズタズタに傷つく覚悟だけ。


 ……またしても呼吸が息苦しくなってきた。

へんに脈うつ心臓のひややかな鼓動が耳にさわる。


 わたしはまたペットボトルごと手を足に押しつけた。

目をとじて、祈るようにジッとして──自分の心にムチを打つ。


 自分と鳥海先輩に──わたしたちの魂に──決着ケリをつけましょう。


 わたしに残された時間は少ない。夏樹はまだのんびりしててもいい。彼の未来は大丈夫。


 だけどわたしはいそがないと。このままじゃ死んでも死にきれない!


「ムリじゃない。大丈夫」


強い語気で云ったはずなのに、自分の耳にもムリして強がっちゃってるように聞こえる。


 ふいに夏樹がハザードを点けて、車を道のわきに停めた。

夏樹のこの行動が、わたしにとっての決定打けっていだになって──ごちゃごちゃした不安や恐怖を残したままで──腹をくくった。


手が震えすぎて自分じゃもう制御できない。──怖い。苦しみに細めた視界に残像ざんぞうがフラッシュバックする。



 白の、メルセデス──。


 …──怖い!


 わたしは、ふくれあがる恐怖を胸の奥にどうにかおさえて、夏樹が話しだすのを待ちかまえた。


それなのに夏樹はなかなか切り出してこない。


 無限につづきそうな恐怖と苦しみにたえられない。

わたしは怖々こわごわと、だまりこくったままの夏樹を見た。


 夏樹は、ハンドルに両腕をのっけて顔をうずめている姿勢だった。重苦しい雰囲気を漂わせて。


わたしの視線に気づいたのか、夏樹が顔をあげてこっちを見た。……ひっどい顔してる。


わたしのことを気の毒に思うのをとおりこしている、こくに思ってる表情をしてる。

陽が沈んであたりが薄暗いのも、この重苦しい雰囲気に拍車をかけてる。


「紫穂」夏樹は身を切られるような、辛そうな声をあげた。「知らないほうがいいことも世の中にはある。……だからできれば考え直してほしい。それが紫穂のためだと、オレは思ってる」


 夏樹の、いまにも泣きだしそうな眼差しを見てわたしは気づいた。これが最終警告なのだと。


 わたしはもう後戻あともどりをしない。逃げない。一線を踏み越えて一歩の足を進める。わたし自身のために。


ずっと目をそむけて裏切りつづけてきた鳥海先輩へのつぐないのために。


……もしわたしたちに未来があるのなら、その先の世界でのふたりのために。


「わたしはこれまで鳥海先輩から目をそむけて生きてきたけど──やめにしたの。


どうしても鳥海先輩との、この──なんともいえない不可思議な関係を知りたい。……教えて。冥土めいど土産みやげにするつもりでもあるから、お願い……夏樹、教えて」


 夏樹の涙ぐんだまなこに、狂気じみた強い意志がぐつぐつと煮え立つようにゆらぎあがった。


「──ダメだっ!」夏樹は怒ったように叫ぶと、拳をベンチシートに叩きつけた。

「おまえ、死ぬつもりなんだろう? そうなんだろう? 鳥海のあとを追うようにして自殺する気なんだろう! ──ふざけんなよっ! あいつがなんのために命をかけたか、おまえ、まるで、ぜんっぜん、これっぽっちも、わかってないじゃないか!」


夏樹の口ぶりにわたしの動きいっさいがとまった。──夏樹はいま、なんて云った?


「なんのために命をかけたか?」


わたしは知らず知らずのうちに夏樹の台詞セリフを復唱していた。


 夏樹の怒鳴どなりおえたままの見開かれた目が〝──しまった!〟と、動揺に停止してる。


 ねぇ、夏樹。

あなたはどこまで知っているの?


わたしがずっとかかえている悪い読みが当たっているとすれば、それは……。


「わたしのため?」


 わたしと夏樹はしばらくのあいだ無言のまま見つめ合っていた……いや、〝睨み合っていた〟そうたとえるほうがいいかもしれない。


 話しを、なにから切り出していいのかがわからない。

わたしには隠し事があるから……だれにも知られたくない秘密があるから。

でもそれはきっと夏樹もおなじはず──でもちょっと待って!


 もし、わたしの読みのとおりなら、夏樹はわたしの秘密を知ってしまっている──! 鳥海先輩も!


 悩み考え抜いていた夏樹は、だんだんと怒りに満ちてきたのか、

眉や唇、それから頬までもを小刻みに戦慄わななかせだした。


「──おまえ、死ぬつもりなのか?」


獣のようにわたしをジッと睨んで〝爆発しそうな怒りをなんとか抑え込んでいます〟と云わんばかりの、歯を食いしばりながらの問いかけ。


「……わたしは、死ぬよ。遅かれ早かれね。だけど夏樹が心配するような自殺だけは選ばない。……絶対に。


わたし、来世があるのを信じたいの。……来世を望むのであれば、自殺をしたらいけないみたいじゃない、ほんとかどうかは知らないけど。


だから、まあ、言い伝えられているルールにはしたがって守るわよ。

そうじゃなきゃ輪廻転生して、来世で鳥海先輩に逢えないみたいだし。…──ねえ夏樹、を教えて」


秘密ごとだけは口にしなくていい。


 夏樹の眼から怒りが消えていく。

かわりに、哀しみの影色が差し込んでくる。わたしを──なにかを、あきらめたんだ。


 夏樹は目をかたくとじると、首を横に振りながらうつむいた。


「紫穂に死ぬつもりがないんなら、オレはそれでいいんだ。……怒鳴どなって、ゴメン」


弱々しい謝罪に、わたしはうしろめたさを覚えた。ふたりして、はぐらかしにはいってる。


「だけどさ、これはオレ一人で決められることでもないんだ。その……家がらみの話しになるだろ? 一本筋でとおるかどうか……」夏樹がさらに弱々しく云った。


けどわたしには、夏樹が前向きに考えだしているように見えた。


──それから、わたしが鳥海先輩のおうち敷居しきいをまたがせてもらうことの困難さも伝わってくる。


 〝家がらみの話し〟……そうよね。

どんなに時間がとうと、鳥海先輩は家族だものね。

それが嬉しくもあるし、鳥海先輩への遠さを感じて……寂しくも感じる。


だけど、わたしはここまできてよりいっそう〝鳥海先輩の家族に会わなくちゃ〟と強く心に決めた。


家族の人と会って、ちゃんと話しをしなければならない。



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