I could never let you go ⑥


 大熊先生と話す機会があったら──これもきちんと用意されていて、ほぼ間違いなく話す機会があるんだろうけど──ちゃんとわたしから切り出して話しかけよう。


 診察室のドアが引き開いて、大熊先生がノソノソ出てきた。

わたしはあからさまな〝見てますよ〟の視線を大熊先生に向け、わたしの前を通過つうかするときもずっと目で追って、先生が目を合わせてくれるのを待った。


けど、大熊先生は目を合わせてくれない。なんだかつとめて無視──眼中がんちゅうの外に追いやっているよう。


 わたしは胸中で「むう~」とうなった。


自分の名前が呼ばれて担当の女医さんと今後の話しをする。


「今日のところは、めまい止めと吐き気止めと胃のお薬を一週間分だけ処方しますから、それでも体調がよくならなかったら、すぐに病院に来て下さい。えっと、受診する科は……耳鼻科か精神科か、脳外科になるんだけど」


先生は云いにくそうに云うと、カルテに目をおとした。「どこの科にいくべきなのかは、神崎さんならわかるわよね?」


 わたしは苦笑くしょうして応えた。「はい、わかります。先生は外科担当なんですよね」女医さんの白衣にぶら下がった名札を見て云う。「ここに来たとき、受付で今日の担当医さんの名前をチェックしたんですけど……なんだか今日にかぎって、わたしが必要としている科のお医者さんが不在のようで……。


それなのに、先生は担当する科が違うのに、わたしを診てくれて──ありがとうございました」深く頭をさげようと思ったけど、また目がまわるのが怖かったから、浅い会釈えしゃくていどにおじぎをする。


「薬を飲むタイミングなんだけど」先生は続けた。「朝、昼、夜になってるけど、めまいがきそうだなって思ったら、すぐに飲んじゃっていいから。──神崎さん、目のまわる前兆がわかる?」


女医さんは〝わかっているんでしょう、私、知っているんだから〟と云いたげに、なおかつ心配そうに訊いてきた。


 わたしは白旗をあげるように認めた。「はい、わかります」


「だと思った。お薬を飲む間隔は五、六時間あければ、追加でまた飲んでも大丈夫だからね。──ねえ、ほんとにちょっと、無理はしないでよ」女医さんがわたしの腕を優しくつかんでゆすった。「なんか神崎さんを見てるとすごく心配で……。ほんと、おかしいなと思ったら、すぐに病院に行くこと! いい?」


女医さんが〝ここ〟と云わずに〝病院〟と云った。

すなわち、ここではない大きな病院に行けということだ。

はいはい、わかりましたよ。ご心配どーも。


 心底心配されて嬉しいくせに、わたしはまた可愛くない反応をして、素直じゃないそんな自分がつくづくイヤだなあと思った。だから、変わらなくっちゃ。


「はい、ご心配かけてすみませんでした」〝申し訳ない〟と苦笑して、肩をすくめて云う。「つぎはこんなに酷くなる前に、もっと大きな病院に行きます。えっと……お薬は一週間分でしたよね?」


「そう、一週間分。……もっと出したほうがいい?」


女医さんがなんだかイヤそうにつけたした。薬で誤魔化そうとするな! と云いたいんだ。


「いえ、一週間、そのお薬を飲んでようすを見て、それでも変化が無くて、これじゃあ誤魔化しているだけだなと思ったら、すぐに病院に行きます。お薬は、わたしのこの症状が疲れからきているのか、それともほんとうにお医者さんにかからなきゃいけないのかの、それを見極める判断の材料に使いたいんです」


猶予ゆうよは、一週間だ。


 女医さんがわたしの正解な答えにニコーッとした。


「そう、そういう使い方をしてほしかったの。なんだ神崎さん、ちゃんとわかってるじゃない、さすが──」


先生はカルテにサインすると、クリアファイルに差してわたしに手渡してきた。これで診察は終了だ。


背後では、看護師さんがドアを開ける音がする。女医さんが最後にほほえんだ。


「おだいじにね」

「はい、ありがとうございました。──ありがとうございました」看護師さんにもご挨拶をする。


 診察室から出て一息つくと、わたしはやるべきことに向けて頭のスイッチを切り替えた。


受付の前のソファに大熊先生が座っていて、お会計待ちしているのを見つける。


 わたしはできるかぎりイソイソと受付に向かってクリアファイルを〝会計〟の箱にいれた。振り向いて大熊を見る。


大熊先生が、あきらかに目を泳がせて……そっぽを向かれた。むう~。なるほど、その反応か。とことん視線に気づかないフリをとおすわけね。


 わたしは大熊先生の前のソファのはしにわざと横向きに座って、切り出した。


「あのう、違っていたらごめんなさい」


ぜったいに違わないんだけど、おきまりの台詞セリフから始めることにした。この云いかたがベターみたいだから。

相手も、なにかの云いわけを作って逃げたい場合もあるだろうし。


 わたしが切り出すと、大熊先生が目を輝かせてわたしの目を見てくれた。……あ、なんかいい手応えあり。これはなにか期待していいのかも。


──でも、覚えてるかな。あんなに生徒数の多い学校だったし、さかのぼること……二十年以上がたっているんじゃない!


 覚えてないかなあ、覚えてないよねえ。

だってわたしたちの卒業を見届けたあと、また違う生徒の担任をして、これまで何百、何千もの生徒を見て送り出しているんだものね。


「大熊先生ですよね? 姫中ひめちゅうで教員をつとめてらした……」


「──あ、やっぱりどこかでお会いしたことがありました?」


ああ~、懐かしい。大熊先生独特のしゃがれ声だあ。


「えぇっと……どこかの学校でいっしょに働いていましたっけ? あ、姫中って云いましたよね。あれぇ、おかしいな、姫中にこんな先生──あ、失礼、って云っちゃった」


大熊先生はあきらかに動揺して早口に云うと、考えをめぐらせて顎に手をあてた。


 いっしょに働いていたって……わたしは生徒だったんですけど。教え子なんですけどー。


「えぇっと……違っていたらごめんなさいね、PTAか、なにかをしてらした親御おやごさん?」


 ブッブー。はずれ。大人扱いしないで下さい。──ていうか、もう大人ですけど。


わたしは片眉をあげてニヤリと、いたずらな笑みをうかべた。それを見た大熊先生が「あ!」とひらめき顔をした。



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