I could never let you go ⑤


 わたしは、看護師さんが手際よくテープをはがしていく手さばきを見ながら、調子を合わせた。


「さっき、救急車の音がしましたもんね……あ、ほんとだ、くだに血が逆流してる」


「ほんとにごめんねぇ、早くにはずせばこんなことにもならないんだけど……。あとは、点滴がおわったら、ここをこうひねれば逆流することもないから」


云いながら、調節するダイアル近くのせんを横にして見せた。


「え! それって、そうすると血が逆流しなくなるんですか?」目からうろこだった。


「そうなのよ、管の中がこれで真空になるから。あなたは覚えておいたほうがいいかもね。なんでも、病院にかかることが多いみたいじゃない」苦笑をまじえて云われた。


この人はわたしのカルテを、あの女医さんといっしょに見たんだ。なんだか面目めんぼくないなあ。


 点滴針を抜かれるところで、わたしはそっぽを向いた。


「あら怖いの? 慣れてるでしょう?」その軽口に、わたしは少々ムッとした。


「こういう痛いのには慣れないんです」ゆっくりだけど、ズルズル抜かれていく針に皮膚がひっぱられて痛む。わたしは気をそらそうと話題をふった。「救急車の人、大丈夫だったんですか?」


「うん? そうねぇ……大丈夫かなあ?」とってもあやふやな感じの云いようだった。わたしの耳には、すごく大丈夫じゃなさそうに聞こえる。「交通事故なんですって。怖いわよねぇ」


 看護師さんのつけたした言葉に、わたしは思わず眉を寄せた。


「あ、ごめんね、痛かった?」針を抜ききって、ガーゼをあてながら気づかわれた。


「いえ、痛くはなかったです。……ありがとうございました」ボソボソお礼を云って、貼ってもらったガーゼを圧迫あっぱくする。


 中学生の時の担任の先生に再会した今日この瞬間、この病院っていう場所で交通事故だなんて、なんてことなの!


「次の順番でもう一度名前を呼びますからね、あまり離れたところに座らないで、ここで待っていて下さい」


看護師さんのみょうに強い口調を、わたしは半分うわの空で聞いた。ロボットみたに口だけを動かして声を出す。


「はい、ここに座ったまま名前が呼ばれるのを待っています」


看護師さんは満足して処置室に引っ込んでいった。


 鳥海先輩との想い出が一番多くて印象的だったのは、わたしが中学二年生のころ。


たまたま、今日ピークに具合が悪くて来た病院で、そのころの担任の先生との再会をして、

そこに交通事故までもが合わさるなんて、これはどれほど確立なんだろう。


交通事故は……ここが病院だから運ばれてきてもおかしくはないけど。


でも、ここの病院は機材が充分じゃなくてよその病院に紹介状を出すと云う病院なのに、あきらかに外科手術が必要な人が緊急搬送されてきて、いいものなの? おかしくない?


とりあえず応急処置だけして、あとはべつの病院にまた搬送されるのかしら? こんな扱いで、救急車で運ばれてきた人は大丈夫なの?


 もんもんと思い悩んでいると、病院のロビーから家族が小走りであわただしくはいってきた。


わたしとおなとしくらいの女の人が、目くじらを立てた張り詰めた顔をしている。一見いっけんすると怒っているように見える。


彼女は猪突猛進ぎみに受付をスルーして待合室もつっきると、わたしがさっきまで使っていた部屋のあるほうへ続く通路の奥へと、急ぎ足ではいって行った。


女の人のあまりの早さに置いて行かれてしまった残りの家族──あの小さい子供ふたりを連れてる男の人は、さっきの女の人のご主人さんなのかな?


奥さんとはうって変わって、わりと普段どおりにしているように見える。


男の人は急ぎたい気持ちもあるみたいなんだけど、よちよち歩く女の子の歩調に合わせてる。もしかすると、ママさんがあんな状態だから、パパさんは子供たちのために〝大丈夫だよ~、心配いらないよ~〟っていう雰囲気を作っているのかもしれない。


けど、パパさんが抱っこしている赤ちゃんが泣き声をあげてぐずりだした。


病院の慣れない雰囲気がイヤだったのか、この異様な空気感がイヤだったのか──両方かな──必死にパパの肩にしがみついて「マンマ~!」とママを探して呼んでる。


懸命によちよち歩いていた女の子もそれにつられてベソをかき始めて、パパさんに両手を伸ばした。


「パパ~、抱っこ~」


パパはあたふただ。その後ろから、お婆ちゃんの手をひいて歩くおじさんも追いついて、育メンパパさんと合流する。


 おじさんが、ぐずる女の子に顔を近づけて「もうちょっとだから、頑張りなよお」と即席そくせきはげましを簡単におくって、追い抜いて行った。


パパさんはにがみで、おじさんの背中を一瞥いちべつすると、しゃがんで、女の子の耳もとでなにごとかをアドバイスした。


すると女の子の口がみるみる〝への字〟になっていって、いまにもぎゃん泣きをしだしそう。


わたしは耳を手でふさぐまではしなかったけど、〝すごいのがくるぞ〟と身構えた。


するとパパがもう片方の腕を女の子のお尻の下にすべらせて、ひょいと抱っこをした。

小さいとはいえ、子供ふたりを同時に抱っこだなんて、このパパ、たのもしすぎる! 


わたしは心の中でパチパチと拍手をした。

ギャン泣きしそうだった女の子が親指をしゃぶって落ちついてる。それを盗み見ていた赤ちゃんのほうも安心したのか、ぐずぐずの泣き声をとめた。


パパさんが大人の足の本領を発揮して通路を急いで歩きだし──でも、抱っこしている子供ふたりが落ちないように、すれちがう人とぶつからないように注意しながら──奥へと曲がって行った。


 この家族はあの部屋で、救急車で運ばれてきた人の様態ようたいを聞かされるんだなと、わたしはそうよんだ。


 ──大熊先生に声をかけよう。ちゃんと話しをしよう。

だって、こんな確立で再会できるのなんて、きっともう二度とない。


げんに卒業以来、大熊先生と会ったのはこれがはじめてでしょ。

神さまだか運命だかが、パンくずを落としてヒントをくれているのよ。……ありがたいんだか、ありがたくないんだか、見わけがさっぱりつかないけど。



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