I could never let you go ⑦


「わたし、大熊先生が担任していたクラスの生徒です。二年六組です」


「あー!」思わず大きな声で叫んでしまった大熊先生が、口をおさえて周りを気にした。

「間違ってたらごめん、あなた──八鳥?」先生がわたしを指差しながら当てにきた。


 わたしの顔から笑みがあふれる。「そう! ピンポーン、正解。わたし、八鳥です。あぁ~よかった、大熊先生が覚えていてくれて!」


これならまだまだボケそうにもないわねと、中学のときのままの軽口をたたきそうになって、自粛じしゅくした。……わたしは分別のある大人になったのだ。いつまでも軽い調子のままじゃいけない。


「いや~、はじめはわからなかった!

うっわ~、八鳥、すっかり大人の女の人になっちゃって」大熊先生、それセクハラ発言ですよ。と、中学のころのわたしが胸中でつっこみをいれる。「でも笑った顔が当時のままというか……いい顔で笑うよねえ」


 わたしはここで顔をしかめた。


「わたし、今そんなにいい顔で笑ってました? 今日は具合が悪くてここに来たんですよ」


それに最近、鳥海先輩のことで頭がいっぱいで、なにかにとりかれたように頭痛がするし。


とてもじゃないけどこれがベストな笑顔だとは思えない。


「あ、さっき点滴してたよね? 点滴してた人でしょう? そうだよね。たしかに具合がすごく悪そうに見えた。


俺はさ、『俺より若い人なのに点滴に繋がられて可哀想だなぁ~』て思って見てたんだよ。でもこうして話してみると元気そうじゃない、よかった」


大熊先生が優しく笑う。

あぁ、やっぱりいいなぁ、大熊先生って。


「その点滴のおかげで元気になったんです。あとは……ここの看護師さんと、美人な女医さんのおかげかな」


「あの女のお医者さん、きれいだったよね」

大熊先生が声をひそめてスケベに云った。


 わたしは非難がましい目線をむけて責めた。


「まったくもー、大熊先生は! 相変わらずなんだから! もういいとしなんでしょう? それなのに肌のハリツヤもいいし──」

とここで、先生の髪に目をとめた。

「なんだってまだこんなにフサフサしているんですか? おかしくないですか? まさか、それヅラですか? よくできてますね」


「おまえだって相変わらずじゃないか!」

先生がおなじみの、ムキになった反応をして、怒り口調っぽく云った。「ほんと失礼なやつだなぁ、久しぶりに会ったっていうのに! これはカツラじゃないよ、! これでも髪の量が減って気にしてるんだから」と云って、バーコードをなでつける。


 わたしは〝しまった、つい昔の調子で云ってしまった〟と思いつつも、嬉しくてお腹をおさえてクックックと笑った。


「大熊先生が当時のまま、大熊先生らしくて嬉しいです」


「八鳥だって当時のままじゃない。その笑ったときの顔といい、そのまんまだよ。その笑顔で思いだしたんだから」


「ほんと、よく覚えていましまよね。先生って、たくさんの生徒をうけおって卒業まで見るじゃないですか? 大熊先生もたくさんの生徒を見てきただろうから、わたしのことなんか覚えてるわけないって不安に思ってたんですよ? まだ、教員を続けているんですか?」


「教師の仕事はね、じつは二年前に定年でリタイアしちゃったんだよ」大熊先生がなんだか後ろめたそうに云った。「もっと続けてもよかったんだけどね、周りの教員からも『続けてほしい』って云われてたし……でも、体調がおいつかなくて辞めちゃった」


 寂しそうに云う大熊先生を見て、わたしはあらためてここが病院であることを思いだした。

先生も、具合がよくないからここに来ていたんだ。


「先生、どこか悪いんですか?」訊きにくかったけど、訊いてみた。先生にはまだまだ元気でいてほしい。


 大熊先生がでっぱっているお腹をなでた。


「うん、具合が悪いっていっても、俺のはもともとあった持病じびょうみたいなものだから、薬を飲んで生活習慣さえ気をつけていれば平気なんだよ──なによ、心配しなくても平気だよ」


「そうですか……それならいいんですけど。大熊先生にはもっと長く先生でいてほしかったというか、むしろ職場復帰してほしいと思ったんですけど、復帰はしないんですか?


一度退職してしまうと難しい? わたし、教員免許のことはよくわからないんですけど、大熊先生みたな先生って、なかなかいないと思うんですよね。


いい意味でめずらしい──よく云われたと思うんですけど、大熊先生って、いい担任の先生でしたよね。


わたし、大熊先生が大好きだったんですよ。だから、もう教師を辞めたって聞いて、ちょっと……というか、かなり、寂しいです」


「むーん、そう云われるのはがたいんだけどな」大熊先生がちょっと腹立たしげに云った。あら、めずらしい。どうしたんだろう。「そんなふうに想って俺になついてきてくれたのは八鳥のだいくらいのもんだったよ。──あれ、八鳥って姫中の何期生だったっけ?」


ストレートな会話からの横フックな質問に、わたしはたじろいだ。


 何期生って……。

ふつう、自分が学校の何期生だったかなんて、知ってるものなの? もし知っていたとしても、覚えているもの?


それに先生って、何期生かでそのとしの教え子を覚えているものなの? え、そういうものなの? ──え、自分が何期生だったか知らないことが、なんだか悪いことのように思えてきた。


 とはいえ、わたしは自分探しをしているときにインターネットで検索をしたことがある。


姫中の自分と同い年の子たちが──わたしはだれとも連絡をとっていないけど、みんな元気にしてるかな? 今どうしているのかな? と気になって、フェイスブックとか姫中公式のコミュニティーを閲覧した。


そのときに、自分はどうやら姫中の四十九期生らしいという情報をつかんだのだ。


だから、わたしの同期には〝自分が何期生だったのかを理解して、それを正しく使っている人がいる〟ということだ。


 わたしは俄仕込にわかじこみの浅知恵を自信なさげに口にした。


「……たぶん四十九期生だったと思うんですけど……。あのう、ふつう、自分が何期生かだったなんて、知ってるものなんですか?」


 大熊先生はあきれて、なんと口にしたらいいのかわからないと云いたげな困り顔をした。


「自分が何期生かだなんて、そんなのみんな知ってると思うよ。だって生徒手帳に印字いんじしてあったんだから。何期生かって」


「ああ……そうなんですね。──生徒手帳。そういえば、そんなものがありましたね」わたしは、目をぱちくりさせて云った。


「あれって顔写真のほかに、学校の──クソみたいな校則しか載っていないと思っていました。なるほど、何期生かも印字されていたんですね……知らなかった」


 大熊先生がさらに呆れて、まいったなぁと「はあ」と鼻を鳴らせて笑った。


「まあ八鳥はたしかに〝真面目なタイプ〟ではなかったよね。それなのに頭のいい子と仲良くしたりして、八鳥って不思議なタイプだったよね~……あれ、記憶違いじゃないよね? 八鳥って、集団のグループとあまり仲良くならなかったというか、距離をとっていたように思えたんだけど、違う? 仲のいい子を一人くらいしか作らなかったでしょう?」


 ──う! と言葉につまった。なによ、先生はぜーんぶをお見通しだったわけ?



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