I could never let you go ③


「点滴は常温保存してあるものなんだけど……まあ、たしかにエアコンの涼しい風にあたってすこし冷えていたかもしれませんね。……うーん」


 ──と、隣りの診察台に敷かれている布団に目をとめた。


「お布団二枚掛けたら違うかしら」ぶつくさ云いながら「よっこらしょ」と布団を追加してくれた。


重いけど、うん、たしかにマシになるかも。

でもこれ、あったかくなるまでに、自分の体温で自家発電しなくちゃならないのよね? 点滴の冷気にわたしの体力はおいつくのかしら。


「どう? すこしは違うと思うんだけど」看護師さんは自信たっぷりにうなずいた。


 わたしは、はにかみ程度に唇をしならせた。

「はい……あたたかくなるまで時間はかかると思いますが、ありがとうございます」


 看護師さんがまた腕時計を見ながら点滴液の調節をした。わたしはそれをぼんやり見ているうちにまぶたが重くなってきて、目をとじた。


…*…


 カーテンの開けられる音で目が覚めた。わたし、寝てたの? 信じられない。薬無しで眠れたなんて……。それだけ重症ってこと?


やたらと重いまぶたを開ききる前に看護師さんが声をあげた。


「え! まだおわってなかったの!」


 その驚きように、わたしはぼんやり看護師さんを見上げた。あ、看護師さんじゃなかった。さっきの女医さんだ。


「ねえ、あなたこれ、いじってないわよね? あぁ、いじるわけがないか……。どうしてこんなに遅くしてあるのよ……」


文句を云いながら点滴液のダイアルをまわして再調整してる。


「あの、それ、さっきの看護師さんがわたしのためにワザと遅くしてくれたのかもしれません。……点滴が体のなかにはいってきたら寒くなっちゃって」と、さっきの看護師さんをかばう。


わたしのせいでお小言こごとを云われたんじゃかわいそうだから。


 女医さんは少し驚いたようすで「あら、そうなの?」と云うと、わたしのおでこに手をあてて、それから掛けてある布団のはしをペロッとめくった。


「だからお布団二枚掛けてあるんだ。暑くないの?」女医さんがあきれた笑みをうかべた。


「ちょうどいいです。快適です。……ちょっと重いですけど」


わたしは海の砂浜に埋められた人みたいに、足の先を浮かせるようにもぞりと動かせて見せた。


「ふふふ……」先生が笑った。地味に(ひかえめに)。「病院の布団って重たいよね。どうしてこんなに重いつくりになってるんだろう。もっと軽くてもいいよね?


 私もときどきここの布団をかりて休んでるんだけど、いっつも重いなーって思ってたんだよね。


具合の悪い患者さんなら、よけいに重く感じるよね? つぎの会議でこのこと云ってみようかなあ……」と、めくった布団をしげしげと見定みさだめてる。


先生も、こんなフレンドリーな話しかたをするんだ。意外だな。


「わざと重くつくってあるのかもしれませんよ?」


わたしも先生の雑談に参加することにした。


「重いほうが、布団の重みで体に密着してきますし……。わたしはまだいいですけど、ほんとに具合の悪い患者なら、自力で布団を押さえることもできないでしょうし。布団から隙間風がはいると寒いんですよね」


「ええー、そうゆうもん?」先生はさらに笑った。「でもこれ、寝返りうちづらくない?」


 わたしも笑って認めた。


「たしかに、寝返りはうちづらいですよね。まあ、手術のあととか、足の骨折をした人なら、寝返りもうてないでしょうけどね」


 ──と、先生がニコーッとほほえんだ。

え、わたし、なにかへんなこと云った? なまいきだった?


「よかった。──具合よくなったみたいだね」


ほほえんだまま、わたしの顔にかかっていた乱れた髪を整えてくれた。神さまかと思った。


女医さんはわたしとおなとしくらいか、ちょっと若そうな感じなのに。そんな人から優しくされるのなんて、慣れていないんですけど。


「そういえば……はい、よくなってますね。点滴が効いているんですね。すごいですね、点滴って」テレでちょっぴり早口になってしまった。


「──でしょう? 点滴ってすごいのよ」先生がなぜか満足げに、嬉しそうに云った。「私も疲れたときに一本やってもらうんだけど、点滴すると、ぜんっぜん違うよね!」


 ああ、そういうこと。リポビタンドリンク的なね。


「あの……わたしが云うのもなんなんですけど、先生もあまり無理をなさらずに……。職業柄、そういうわけにもいかないんでしょうけど、点滴するほど働きまくると、あとからきますよ。──としをとってから、ガクンと」


ほんのちょっぴりおどしのテイストを加える。


「え! やだ、怖いこと云わないでよ。神崎さん、なんか説得力あるぅ~……あれ、神崎さんだよね?」と、ベッドの頭の壁のほうを見て──わたしが入院患者じゃないからネームプレートが壁に無くて──、


カルテを探して自分の脇を見まわすけど、カルテもない。先生は手ぶらだ。


 わたしは笑って先生を安心させた。「はい、神崎であってます」


「あ、そう、あっててよかった」恥ずかしそうにはにかむと、点滴と腕時計を見比べる。「たぶん、あと十分くらいでおわると思うから、そのころにまたくるね。なにかあったら……」


 わたしはサッとナースコールを指差した。「ナースコールですね」


 先生が面喰めんくらった笑みをうかべた。「──そう、ナースコール。なんか神崎さん、慣れてない?」


「何回か入院したことがあるんで……」目をそらしてゴニョゴニョ云う。


「ふーん、そうなんだ」先生はカルテがほしそうに両手をソワつかせて、その手持ちぶさたの両手を腰にあてた。


……病歴、気になりますよね。

でも話すのが面倒めんどうくさいんです、ごめんなさい。……よけいなことは云うもんじゃあない。


「──じゃ、またあとでね」


先生が早く戻りたそうに云った。デスクに早く戻って、カルテに目をとおしたいんだな、これは。


「はい、まだお世話になりますが、ありがとうございます」


わたしはおじぎができない変わりに、まぶたを深くとじて開けた。

先生はニコリと笑みを返してから、カーテンを閉めて行った。


 あと十分しかゆっくりできないんだ。……いまのうちに目をとじておこう。もうちょっとゆっくり横になっていたかったな。


 わたしのそんな願いははかなく、救急車が近づいてくる音と、廊下をバタバタとする足音で終息をむかえた。


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