第六章 I could never let you go

I could never let you go ①


 墓前で泣きはらした帰り、

わたしはおじさんの云いつけを守って、管理室に声をかけた。


じつを云えば、わたしは茫然自失ぼうぜんじしつしすぎて、声をかけるのを忘れていた。


魂の抜けた廃人同然の体だけを動かして、車に戻ってから、あ、おじさんに声をかけなきゃいけなかったんだと思いだして、管理室に顔を出した。


 管理室の窓口にかけられていた厳重な格子の施錠が半分だけ引き開けられてある。わたし用に開けておいてくれたのは明確だ。


閉められた窓を覗くと、ソファでくつろいでいるおじさんと目が合った。


「あのう、すみません」


声をかけるが早いか、おじさんが腰をあげるが早いか。

おじさんは窓口から顔を出さずに、戸からわざわざ外に出てきてくれた。


「おわった?」あいかわらずの軽い口調に、わたしはなごんでほほえんだ。


「はい」返事をしてから顔をしかめた。

まだ、なにもおわってはいないから。「また違う日に出直します。今日は場所が知りたくて、わたし飛び出して来ちゃったんです。


お花もお線香もなにも用意していない、手ぶらなままで来ちゃいましたから……次に来るときは、添えるお花をちゃんと持参してきます。


あの、今日はほんとうにありがとうございました。おかげで、お花を添えてあげられます」


 鳥海先輩のお墓は、きれいなものだった。雑草がひとつもえていないのはいいけれど、花立はなたてと香炉皿こうろざらまでもがきれいだった。


月違い命日は、お家のお仏壇でしているのかもしれないけど。

わたしが〝お邪魔します〟とあがるわけにもいかないだろうから、これからはできるだけ月違い命日にここへこよう。


「そう、よかった。帰りは運転?」


おじさんは駐車場に目をやって、一台だけとり残されているわたしの車を見た。

軽トラックはどこかに移動させたのか、もしくはこの人の車じゃなかったのかも。


「はい。あの車を運転して帰ります」


「気をつけてね」


「はい、ありがとうございました。それでは……また今度。失礼します」


 おじさんはいわくありげに笑った。「はいはい、また今度ね。それじゃあ……さよなら」


「はい、さようなら」最後に深くおじぎをする。


 車に乗りこんで、手荷物を助手席に置いて、息をついた。

頭がぼうっとする。……ほんとは、まだ帰りたくない。もっとここにいたい。


車内で静まりかえっていると、風がさらに強まってビュウビュウと吹きすさぶ音がみょうに耳にさわった。窓を覗きこんで空のようすをうかがう。


空はまだ明るいけど、じき暗くなる。あのおじさんも帰りたいだろう。わたしが完全に帰ったのを見届けてから。


 わたしはいやいや車のエンジンをかけた。最後に、鳥海先輩のお墓があるほうを見つめる。……また、来てもいい?


 胸中で問いかけたって、返事が返ってくるはずもなく、

〝わたしは来るけどね〟と、押しつけがましく云いはった。


 つぎに来るのは、命日の前のわたしの誕生日にしよう。

夢で見た〈HAPPY BIRTHDAY〉が気にかかるし……そうやって、なにかと云いぶんを作っては、わたしはここにまた来たいのね。


 逢いたいよ……すごく。鳥海先輩。


 わたしは後ろ髪をひかれながら車を発進させた。家に、帰らなくちゃ。イヤでも。からっぽな心と頭をつれたままでも。


 ***


 自分の誕生日である今日、わたしは花束ふたつとお線香を買ってここに来た。鳥海先輩のお墓があるここに。


買物中ずっと、むなしい気持ちがより虚しくなり、気分はますます沈んでいった。


花屋の定員さんはいい人が多くて、こちら買い手の心情しんじょうをさっしてくれたのか、みょうに静かに無駄口をきかず

「花もちをよくする栄養剤のようなお薬があるんですけど、おつけしましょうか?」とだけ訊いてきた。


わたしはほほえんで「お願いします」とだけ応えた。


 あのりつける西陽にしびと、ほかのお墓におそなえしてあったこうべのたれるお花を思えば、

花もちをよくするお薬をいれたところで、

そんなのはわたしの気休めにしかならないのだろうけれど、

ないよりかは、いくぶんマシかもしれない、と思った。


 霊園の駐車場に車を停める。

今日の訪問者はわたしだけみたい。ほかに車が一台もない。


管理センターに出向くと、黒ぶちの四角い眼鏡をかけた若いお兄さんがパソコンの画面を見ながらキーボードをたたいているところだった。


親切にしてくれたあのおじさんの姿が見当たらない。……どうしたんだろう。

今日は休みのシフトなのかな? まさか、わたしにしたことが問題になってクビになんかなってないわよね?


 一抹いちまつの不安をかかえつつ、わたしは窓口のカウンターに用意されてある花切りばさみを借りて、霊園の手桶とひしゃくも借りて、手慣れたようすで水場の水を手桶に汲んでいった。


 桶に水が溜まるまでのあいだに園を一望する。今日も日差しが強い。

照り返してくる墓石ぼせきのまぶしさに目が細くなる。


ついこのあいだ来たときとくらべれば、気分はサイアクなままだけど、体調はだいぶ良くなっているような気がする。だって、まともに歩けるもの。


でも、ふらついたはずみに水をこぼしてお花を台無しにしたくないから、汲む水は手桶の1/3までにしておこう。


 わたしは手桶にひしゃくと花束をいれて、鳥海先輩のお墓までの道のりをたどっていった。道を覚える記憶力はここでも効力を発揮して、わたしは難なくお墓の前に立てた。


 ため息をついて墓前を見つめる。

それから墓誌ぼしに刻まれた鳥海先輩の名前に目をやった。

うらみがましい視線で見つめていたら、涙がひとつ、ふたつこぼれてきた。涙はとまりそうもない……。


 わたしはここにひとりきりでいることに感謝しながら、流れ落ちる粒をそのままにして鳥海先輩の名前を睨み続けた。


想うことはただひとつ──どうして死んじゃったのよ、死ぬことなんかしなければよかったのに!


 しばらくして、日差しの暑さが気になってきて、澄みきった蒼空をあおぎ見た。そうよ、わたしが平気でも切り花たちは平気なもんか。はやく花立てにいれてあげないと。


 それからはもくもくとお墓のお手入れをした。

花立てを持って水場に戻り、きれいに洗う。それから手桶を追加して、たりなかった水を汲んで運ぶ。


お墓にお供えする花をどう扱ったらいいのかよくわからなかったから、とりあえずけ花のようにハサミを斜めにいれて、よけいな茎を切り落とした。


清潔になった花立てに薬の粉末をいれて、水をそそぐ。

お花を見栄え良く活けて、墓石ぼせきの両サイドに供える。ちゃんとできたか確かめたくて一歩下がってお墓を見てみる。


……花の効果って、すごい。お墓がいっきに華やいだ。これでお線香もたけば完璧になる。


 わたしはお線香に点火する専用のバーナーの使い方がわからなくて四苦八苦しながらも、ちゃんとお線香をつけることができた。


あたり一帯がお線香のいい香りにつつまれる。


 完璧にお墓参りのセットをして、鳥海先輩のお墓がとってもきれいになった。でも、どうしてだかわたしの心は晴れないの。浮かばれないの。墓誌に刻み込まれた名前をまた見つめる。


 お墓参りをしたら、なにかが変わると思っていた。

ふんぎりがつくとか、気持ちを切り替えることができるとか。

でも、そんなことはなかった。

気持ちは晴れないし、すっきりしない。……なにも変わらない。


ましてや、手なんて合わす気にもなれない。




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