You're so close yet so far away ⑪


 おじさんはチラチラと振り返って、わたしがちゃんとうしろを着いて来ているのを確かめながらゆっくり歩いてくれた。


ほんと、なにからなにまですみません。


 わたしは曲がり角に目印をみつけたり、何本目の通路なのかを数えたりしながら、おじさんのあとに着いて行った。


「ここだね」


おじさんが、メモ帳に書いた字と場所を見比べて声をあげた。


 すぐそこにあるお墓を前にして、わたしの心臓が壊れた。


警鐘けいしょうのように早鐘はやがねを打ち、死の警告を鳴らす。


──そこが、鳥海先輩のいるところ? ……イヤだ。怖い。見たくない。認めたくない……!


 いざ、この時が目の前にきたら、やっぱり見たくないと思った。鳥海先輩の死を認めたくない。


 わたしがたかぶる胸の前で手をもんで尻込みしていると、おじさんは気をもんだのか、せかして手招きをしてきた。


「ほら、遠慮してないで、前にきなよ。あなたがあんなに知りたがっていた人のお墓なんだから」


 ほらほらと呼ばれて、わたしは怖々こわごわとおじさんの隣りに立ち、墓前を目にした。


 〝鳥海家〟と彫られた灰色の石を見て、両手で口をふさいだけど、遅かった。わたしのちいさな悲鳴が墓前に響く。ここでわたしの時がとまった。


 自分の不規則な呼吸音が手に反響して耳にさわる。


「……大丈夫?」


おじさんの声が遠くに聞こえる。

わたしは事実確認をしようと、墓誌ぼしを指差した。


 ──命日 平成十四年 六月十二日 歿日


   俗名 鳥海 涼 享年二十一才──。



 すべての音が消え失せたよう。自分の呼吸する不規則な音しか聞こえない。

 めまいがする。

 へんな呼吸もとまりそう。──苦しい。

 心臓が早鐘を打ち鳴らしすぎて、いまにも鼓動をとめてしまいそう。



 ──命日 平成十四年 六月十二日 歿日

   俗名 鳥海 涼 享年二十一才──。



 ……わたしに近い歳。


ここだ……ここなのね。


 ここが、鳥海先輩のお墓。

そうに……違いない。


 頭でぼんやりと鳥海先輩の死を認めたら、魂が抜けていくように、気が遠くなった。


 わたしの体から力が抜けて、口をふさいでいた手がやるせなくダラリと落ちる。


 ──命日 平成十四年 六月十二日 歿日

   俗名 鳥海 涼 享年二十一才──。


 墓誌に彫られた文字から目を離せられない。

 どのくらい沈黙していただろう。


おじさんが落ち着きなくそわそわしだした。「あなた、まだここにいる?」


 わたしは墓誌ぼしの文字から目を離さずにささやいた。「──はい、います。もうすこしだけ、ここにいたいです。ここにいさせて下さい」


「そっか……。この人とどうゆう関係だったのかは知らないけど、まあ、ごゆっくり。それじゃあ、オレは先に戻ってるから、帰るときにでも声をかけてね」


「はい」


返事だけして、脳のほんの一部が機能した。親切なおじさんにお礼くらいしなくちゃだめよって。そこでようやく目の呪縛がとけた。視線をおじさんに向ける。


「……あの、ほんとうにありがとうございました」


「いいよ、いいよ。なんだかあなた具合が悪そうだし、力になれてよかった」おじさんは歯を見せて笑うと、足を運ばせながらつけたした。「まだ日差しがきついから、無理だけはしないでね」


「はい」


わたしは笑って見せたけど、効果なんてたかだか知れてる。いま笑ったってどうせ、元気のあるふりをしていますと顔に書いただけになるんだから。


 わたしは自分の顔を隠したくて、おじさんから目線をはずすと背を向けて、ふたたび鳥海先輩の名前が刻まれた墓誌に目を落とした。


 ──命日 平成十四年 六月十二日 歿日

   俗名 鳥海 涼 享年二十一才──。


 また目が吸いこまれる。


 春の嵐の風が高い上空でうなりをあげている。

今夜もきっと雨が降る。


 わたしは深いため息をついた。

鳥海先輩に逢いたい。

ここに来れば逢える気がしていたのに。

ここに来たら、あなたを感じると思ったのに。

ここに来たら、なにかが変わると思っていたのに、なにも変わらないじゃない。


あなたはどこにいるのよ、ねえ。どこにいるの? 姿を見せてよ。ほんのちょっとでいいから、お願い。……姿なんか見せなくてもいい。あなたの気配さえ感じられれば、わたしはそれだけで満足するから、だからお願い。


わたしに逢いに来て……。


ねえ、どこにいるの? 聞いてる? ちゃんと聞こえてる? それとも、声に出さないと聞こえないの? わたし、ここでひとりきりなのに、おしゃべりしなくちゃならないの? やだ、よしてよ。そんなのムリ。いよいよ頭のおかしな人にできあがっちゃうじゃない。


 わたしはまたため息をついた。

お墓や墓誌からはなんの音沙汰もない。

そりゃそうよね。あったら、……心霊現象ってやつになっちゃうものね。──鳥海先輩なら大歓迎なんだけど。


ねえ、ちょっと、ほんとに聞いてるの? 黙ってないで、なんとか云いなさいよ!


 わたしは鳥海先輩の文字を睨みつけた。


 春の風がうるさく吹いて、まるでわたしをせっついてくるよう。


 わたしは全神経を集中させて鳥海先輩の気配を探した。


 先輩の骨は、この下にある。それはわかってる。けど、彼はここにいない。どこにもいない。


 お墓のまわりにも、わたしのまわりにもいない。


 ──鳥海先輩が、どこにもいない。わたしは認めた。


「はあっ」


苦しくて、息が乱れる。

わたしは胸をおさえたくて服を鷲掴わしつかんだ。


 それじゃあ鳥海先輩はいったい、どこに行ってしまったというの? そう思ったとき、わたしは上空の風に呼ばれて空を見上げた。


春の嵐がうなりくすぶる高い空。

空の蒼色が西陽にしびの黄色とまざりあって、大小さまざまな綿雲わたぐもを美しく輝かせている。


まさに西洋の天使の絵が描かれていそうな美しい空。……わたしの心とは裏腹の、美しい空。


 世界がなにかによろこんでいるよう。わたしを置き去りにして。……ひどいよ、わたしをおいてけぼりにするなんて。


 ……鳥海先輩、あなたは、そこにいるの? ──なんて遠いいの。

 遠すぎて……逢えないよ。

 逢えないよ……ずっと……。その時がくるまで、逢えないの。……あなたを、感じることさえできないの? それもダメなの?


 涙ごしに見る美しい空がやたらとまぶしい。

 わたしも、はやくそこにきたい。


 ──ねえ、わたしはこの先、ひとりでどうしたらいいの。


 ひどいよ、死ぬなんて。あんまりじゃない。どうして死んだのよ。どうして、なんで、よりにもよって死んだのよ……! 生きてさえいれば、あなたが生きてさえいれば、わたしはそれだけでよかった。満足だった。それなのに……!


  わたしのすすり泣く声は、春の嵐のなごり風がきれいに吹き消していく。



…*…

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