You're so close yet so far away ⑩


 涼って名前は、なんか鳥海先輩っぽくないなぁ。

なんか、イメージと違う。


 そこまで思ったとき、わたしの忘れていた、白いかすみにおおわれている記憶の一部が、サッと頭の中をよぎった。



 鳥海先輩の卒業式の日、あの日、あの時の会話──。


「そういえば、鳥海先輩って、下の名前、なんていうの?」


いまさら下の名前を知りたがる──これまで知らなかった自分が気まずくて、じらいながら訊いた。


 鳥海先輩は息を飲むように、ちいさくおどろいてた。


「え? ぼくの下の名前? …──ほんとに、知りたい?」

「……え」


なんだか心構こころがまえが必要そうに云うもんだから、わたしはたじろいで思考をめぐらせた。


「知りたいけど……鳥海先輩がわたしに教えるのがイヤだったら、べつに教えてくれなくてもいいけど……」


これでほんとに教えてくれなかったら、かなりショックだなと思った。だってそれって、名前を教えたくないほどに、わたしをイヤがっているってことでしょう。


……わたしは平然をよそおって、こっそり緊張した。


 鳥海先輩は返答にしぶりながら、なぜかわたしの目を気にかけるように見つめたまま考えこみ、五秒くらいしてから、ようやく口をひらいた。


「イヤじゃないけど……ほんとに大丈夫?」


意味のわからない確かめかたに、わたしはおどろいた。


「え! なにが? 下の名前を聞くのが大丈夫かって? そんなに心配するほどヘンな名前なの?」


「そうじゃないよ!」こんどは鳥海先輩のほうがおどろいて目をぱちぱちさせた。


それからまた悩みこんだようすで、鳥海先輩は制服のズボンのポケットに両手をつっこんだ。


名前を教えるのに、どうしてこんなに悩みしぶるのか、わたしは不安になった。……迷惑がられているのかな、わたし。……どうしよう。話題をかえたほうがいいのかな……。


 わたしが口を開くより先に、ようやく鳥海先輩が声をあげた。


「……ぼくの名前は…──りょう。涼っていうんだ」


みょうながあったにもかかわらず、名前を口にしたときの口調は、へんに思いきりがよかった。


 わたしはこのやりとりに、みょうな違和感の空気を憶えつつも、名前を知れたことへのよろびがまさり、だけど、はしゃぐのをなんとかこらえて、会話の雰囲気や調子を鳥海先輩に合わせて、うかれないように、おとなしくしようとした。


わたしの口からでた言葉は、歓びの感情を隠した、気になったことを訊くだけにとどまった。


「鳥海先輩って、下の名前〝涼〟っていうの? ──なんかイメージと違う……」



 そうよ、わたし、こんなやりとりを鳥海先輩とした──。

それなのに、どうして忘れていたの? いったい自分はどうなっているの? ……頭痛が、ズキズキと脳を絞めつけてくる。


 このおもいだした記憶は、実際にあったこと? それとも、わたしの妄想?


 痛みが酷くなってくる脳みそに「しっかりしなさい!」と心のなかで命令しても、云うことをきかない。


それどころか、せっかく憶いだした記憶なのに、わたしと鳥海先輩との思い出が、みるみる白いかすみに沈んでいく。……なに、これ。わたし、ほんとにどうしちゃったの?


 ああ、でも、いまはおじさんが待っている。はやく返事をしなくちゃ。


「……たぶん、涼さんだと思います」自分の耳にも自信なさげに聞こえる云いかた。


「いやぁ~さ、違う人のお墓の場所を教えちゃっても悪いでしょうよ」おじさんは「へへ」と笑いながら云った。この人、まさか酔っぱらっているの?「じゃあ、涼さんで間違いないんだね?」


 繰り返し云われてイラッとしたけど、ふと思った。──この人は、わざとじらすよに、遠まわしに鳥海先輩の下の名前を教えてくれたんじゃないのか? ……って。


「間違いないと思います……。あの……〝場所〟を探してもらって、ありがとうございます」


わたしは泣くのをこらえて云って、深くおじぎをした。

おじさんの深い想いやりに感謝をしてもしきれない。


「まあまあ」おじさんが照れくさそうにわたしをなだめた。「まだお墓の場所がわかってないんだから」


 わたしは頭をあげた。「それは、そうなんですけど……あの、お墓の場所って、そのパソコンからじゃわからないんですか?」


すこし不安になって一応訊いてみた。


「いやあ、わかるよ。ちょっと待ってね」


おじさんは鉛筆をとると、メモ帳になにかを書きしるしていった。


 これは霊園の区画のアルファベットと番号っぽい。


「これはね、よーくできていて」と云って、パソコンのデスクトップを軽く叩いた。「ぜーんぶが載っているんだから、大丈夫」


 だからこそ、個人情報保護のためにも、もっと用心深くなってほしいと思ったけど、

わたしはこののんびりしているおじさんに助けられている身分なのだから、なにも云えない。


 わたしはだんまりをとおそうと、唇を真一文字に結んだ。


「はい! わかったよ。行こうか? 案内するよ」


おじさんが鉛筆を置いて颯爽さっそうと腰をあげたから、わたしは慌ててことわりにはいった。


「え! いいですよ! 場所がなんとなくわかれば、自分で歩いて行けます」


あんなに外の暑さをいやがっていたし、ここを施錠して帰ろうとしていたところだったんだろうし、わたしにつき合わせて残業させてしまうのも申し訳ない。


「いいから、いいから。ここはね広い霊園だから、慣れてるオレだってときどき迷うくらいなんだから、遠慮しないで」


気さくに笑いながらカウンターにまわりこんで外に出て行ってしまった。


わたしは小走りしておじさんのあとを追った。

外に出たら、むんとする空気と西陽にしびに、目も身もくらむ。わたしはよろけて外のカウンターにしがみついた。


「──ああ、そういえばあなた、具合が悪そうにしていたね、大丈夫?」


 わたしは深呼吸をして、おじさんと目を合わせた。


「大丈夫です」はやく鳥海先輩のお墓に行きたいのよ。


「若いからって、あんまり無理はしないでよ。……あなたが帰るまであそこの管理室に居るからね。具合が悪くなったらすぐに休みにくるんだよ、いいね?」


おじさんは笑顔だけど、きつめの口調で念を押してきた。


「……はい。なるべくお世話にならないように、頑張ります」


自嘲にひにくを云うと、おじさんはあきれかえって目をぐるっとまわした。


ほんと、ご迷惑をおかけしてしまって、すみません。

わたしが帰るところまで見届けないと、いたずらとかセキュリティの問題とか、いろいろありますよね。おじさんも、大概たいがいばくち打ちだな……。



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