You're so close yet so far away ③


…*…


 無気力のままでも日常はくるくると動いている。


日常生活はまさしく時間割表どおりに退屈たいくつなほど正確に動いていて、

目まぐるしい変化がないってことだけがさいわいなところ。


 わたしから魂が抜けていて、廃人同然になっていても、悲しいことに家族はだれひとりとしてわたしの異変に気づいてくれていない。


寂しいけど、わたしの内心の急激な変化に気づかれていないと思えば、こうした家族の薄情さも、都合がいいのかもしれない。


 ……もう、こんな家族のかたちにはうんざりだわ。

こんなのがほんとうに〝家族〟と呼べるのかしら。


想いやりもいたわりもない人たちが一つ屋根の下で暮らしていて、

わたしは代替だいがえ可能な〝働く主婦ロボットで、おまけに夜になれば性行為のお相手にもなるアンドロイド〟。


まさしく、ろくでもない男にはたいへん都合のよろしい存在でしょうに。


もっともわたしは、アンドロイドとしての役割はとうに放棄しているけど。かれこれ七年ほど、体を重ねることを拒絶してる。


愛のないセックスなんて、おつむのたりない欲情したバカか猿のやることよ。


もしか発展していない未開の地──ジャングルとかサバンナあたりの先住民族地では、いまだに無秩序なセックスが横行しているのかもね。


ようするに、文明的に発達した先進国と呼ばれる地域では、そんな理性もなにもない、本能のまま動物と同じように行動するなんてことは、ありえないって、わたしは云いたいわけ。


 ニュースを見ていると時々、野生の動物以下の人間の性犯罪が報道されてる。


──反吐へどがでる。

バカをとおりこして、そんなやつこそ殺処分さつしょぶんしてしまえと思う。


もっともわたしは、アフリカの子供の飢餓やワクチン問題にかんしても、

〝募金するんだったら、無責任に子供をつくるセックス行為をする大人の男の去勢きょせい手術に、募金の予算をまわしたほうが、問題が迅速かつ衛生的に解決するし、被害の増大も防げるぞ〟と考える、


いわば道徳的・倫理的に反した考えの持ち主らしいから、大きな声で発言はできないけど、


わたしが思うに、ここまでくると、なにが道徳的でなにが倫理的かってことに論点をおくべきなのよ。


不幸な子供を増やすのが道徳的で倫理的なの?


それに、産まれてきたその子供の先行さきゆきだって悲惨じゃない。

あんな貧困な地で、はたして何人が成人できるまで生き残れるのかしら。


 だったら、性犯罪を犯した者、その前科者には〝去勢〟っていう刑を執行すべきだわ。


懲役刑ちょうえきけいなんて、手ぬるすぎるのよ。──ここでわたしは想像した。


性犯罪を犯した男が〝去勢〟されていくさまを。……わたしの口のはしがゆるんで、笑みがこぼれた。


 男は、白い拘束着を着て、四人ばかりの看守に引きられながら監獄の冷たい廊下を手術室まで歩いていく。


「やめろーっ! やめてくれっ! たのむ!」と、わめらしているにちがいない。


 おのれの凶器である男のシンボルが切り落とされるのだ。わめかないわけがない。


だけど抵抗むなしく、男は絶望のなかで──全身麻酔なんて優しいことはしない。部分麻酔だけで充分よ──刑は執行される。ざまみろよ。


 女にしたことと同じ経験をするがいいんだわ。

被害に遭った女だって、「やめてっ!」と泣き叫んでいたに違いないんだから。


それなのに、そいつは強行突破をした。

だから、同じ、同等のむくいを受けるべき。──懲役ちょうえき数年なんて、ぬるすぎる。だから再犯を犯すのよ。


 まあ、要するにわたしが云いたいのは、そもそも教養のある文明人であるならば、そんな野蛮な性犯罪はしないってことよ。


お互いが同意しないセックス行為だってしない。

奉仕ほうししてもらいたいのであれば、そんなのは体をはったプロの客商売のかたに現金を払ってお願いすればいい。


 この考えのおかげで、わたしの夜は平和そのものだ。


わたしの唯一の一人の時間。

暗い部屋でひとり寂しく泣こうがなにしようが、自由にできる。

おかげで今夜もたっぷり泣けた。

しかも良くしたことに、ちかごろ大気の状態が不安定だから、〝春の嵐〟と銘打めいうって、外では風がびゅうびゅうと吹きすさんで、雨粒を家屋に激しく叩きつけてる。


 これなら、泣き声がすこしもれてしまっても、だれの耳にも届かない。


こうして毎日、毎夜、泣いているけど、不思議と涙はいっこうにれない。泣く回数が増しているような気さえする。……いつか涙があけて、笑顔になれる日がくるのかしら。


鳥海先輩がこの世にいないとわかったいま──現実を突きつけられたわたしは、はたして笑えるようになるのかしら……。……そんなの、無理よと思った。笑えない。わたしはきっと、二度と笑えない。


 わたしの生きているよろこびも、生きることの嬉しさも、大自然の雄大ゆうだいさがせる美しさに感動するのも、音楽の世界の素晴らしさも、そのそべてはあなたがいればこそ感じとれる歓びの感情だった。


あなたがいないなんて、わたしはこのさき、どう生きていったらいいの?


 でもわたし、昔はこんなふうにも考えていた。

あなたといると、わたしは窮屈きゅうくつに感じて、こうした感情を手にすることができなくなるんじゃないかって……。でも違った。あなたがいたから、わたしはより人間らしく人生を楽しめていた。


……そして、いまになって気づいた。あなたといっしょにいたほうが、より豊かに人生を楽しめたんじゃないか……って。……もう、遅いわね。


わたしは、気づくのが遅かった。遅すぎた。あなたは、もういない……。



…*…

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