You're so close yet so far away ②


 わたしのスマホは待ちくたびれて休眠してしまったのかしら?

……きっとそうね。寝ちゃったのよ。


辻井も、もう寝ているのかもしれない。わたしも待ってないで、そろそろ寝たほうがいい。


良くないことをあれこれ考えだしちゃう前に、眠りにはいってしまったほうがいい。明日も仕事なんだし。


 わたしは処方されている睡眠導入の薬をいっぺんに二日分飲んだ。これで眠れなかったら、わたしは終わりだ。


…*…


 昨日の晩、いっぺんに飲んだ薬がこうして、わたしは久しぶりにグッスリ眠った。


ここ何日かのあいだに溜まった睡眠不足の疲れがいっきに解消されたわけではないけれど、とっても気分のいい目覚めと朝を迎えた。


 今日はきっとなにかいいことがある! しかも鳥海先輩のことで。わたしのこういうかんはあたるんだから!


 わたしは寝ぼけまなこで朝食の用意をすませて、顔を洗いに洗面台に向かった。今日はきっと顔つきもよくなっているはず。


ほんのちょっとの期待をして鏡に映る自分を見た。あまり変わり映えのしない、暗い顔つきの自分が鏡の前に立ってる。……ふーん。なるほど、そっか。それなら、今日はさらに念いりに化粧をするまでだわ。


わたしは意気込んで、バシャバシャと顔を洗った。


…*…


 仕事をおえてからスマホの画面を見てみると、辻井からのメッセージの通知がきていた。


わたしの心拍がいっきに跳ね上がった。

ドキドキ、そわそわして気持ちも頭も落ちつかない。


体の落ちつきもなくなる前に、わたしは職場をいそいそと退勤おいとました。


通勤で乗ってる自家用車に乗りこんでも、わたしはメッセージを開かなかった。

心身の均衡きんこうが崩れて、情緒不安定で事故を起こしてしまったらたいへん。


……医者から処方されているとはいえ、わたしは正規の規定量以上の薬を服用している。だから、安全運転には気をつけないと。


 かくして家についたわたしは、手洗いうがいをいつもより入念にして、はやる気持ちをおさえようとした。けど、無理だった。こんなにそわそわする気持ちを落ち着かせようなんて、どだい初めから無理なことだったのよ。


 ダイニングテーブルの椅子にいそいそと座り、いよいよメッセージを開く。



≪鳥海先輩の命日 6/12

静岡県 竜ヶ丘市 栄田、1207-1、竜ヶ丘霊園になります。≫



 え……。

 ────!


 わたしの時がとまった。


 呼吸も、なにもかもがとまった。



 あらためて突きつけられた具体的な現実。



 ……ほんとうに

……ほんとうだったんだ……。



……ほんとうに、鳥海先輩はいなくなっちゃっていたんだ……ほんとうに……ほんとに──。


 両手で握りしめているスマホの画面に涙がパタパタッと落ちた。


 ……信じられない──信じたくない!


 わたしは泣き崩れた。


 わたしは、鳥海先輩の死をわかっていた──そのはずだった。受け止めようとしていたし、受けいれようともしていた。

なのに、それなのに、こんなふうにハッキリ突きつけられたら、とてもじゃないけど…──むり。受けいれられない。


 苦しい……息が、できない……。


 胸が、苦しい……。


 わたしはソファに向かおうと、椅子から離れた。よろけてテーブルの角に腰をぶつけたけど、かまわずそのままよろついてソファにうなだれた。


 わたしは茫然として、つぎつぎ出てくる涙がソファを濡らしてる。


 目をとじると、鳥海先輩の笑顔がキラキラ輝いて見えるのに、どうしてなの?


学ラン姿の鳥海先輩と、黒のライダースジャケットを着ている鳥海先輩。

わたしの記憶のなかの彼は、いつも笑っている。キラキラ輝いてる。なのに、そんな彼が死んでしまったなんて、ありえるの? 信じられない。なにかの間違いであってほしい。……こんなことをまだ考えている自分も、信じられない。


わたしは泣いた。泣きつづけた。


 うんと泣いて、泣き疲れて放心状態になったころ、わたしはようやく辻井に返信のメッセージを打った。


自分が機械的に淡々たんたんと、きめられた流れにそって行動をしていっているのが、放心状態の精神の裏の意識が自覚してる。



〈…命日が近い。お墓の場所を知っている人がいて、よかった。辻井、連絡を飛ばしてくれて、ありがとう。命日の前に、一度行ってみるよ。


…墓守さん(管理してるとこ?)に「姫ノ宮市の鳥海家のお墓はどこですか?」って聞けば、案内してくれるんだろうか。こーゆーパターンのお墓参りは始めてで、どうしたらいいのかわからないね。

 辻井は、お墓参りに行く?〉


 メッセージを打っているあいだ、わたしはむなしい気持ちに支配されていた。

こんなことしてて、ほんとになにか意味があるの? こんなにつらいだけなら、もうやめたほうがいい。


そう思っても、自分がとまらないのをわたしはどこかで自覚してる。──とめたくもないし。矛盾してる気持ちに整理がつけられない。わたしは髪をグシャリとつかんだ。


このままじゃわたし、ほんとに頭がどうにかなってしまいそう──いや、もうなっているんだ、きっと。


 自分にのまれて溺れ死なないように、わたしはすがりつくなにかを探した。

暗闇の感情の大渦おおうずのなかでも、はっきりしている光り輝く気持ちがたったひとつだけある。


 ──わたしは、鳥海先輩にはやく逢いたい。

この気持ちがあれば、きっとなんとかなる。……鳥海先輩にはやく逢いたい。記憶のなかでだけじゃなくて、もっと近くに、手がふれあえるくらい近くに……肌が重なるほど近くに、鳥海先輩を感じたい。


 ぼうっとしていたら、スマホが鳴った。──もう、メッセージを見たくない。これ以上、傷つきたくない。でも、見なくちゃならない……。鳥海先輩が、待っているかもしれないから……。わたしもはやく逢いたいから……。


 手にしたスマホがやけに重く感じる。しかたないから、重いスマホをソファに置いたままでメッセージを開いた。


≪オレも場所を知ったので、時間が空いた時に、行こうかなと思っています。

お墓の場所は聞くしかないだろうね。≫



 ──どうして、辻井は、いきなり、こんなに他人行儀な態度をするの?


 ぼうっとしているせいか、メッセージの第一印象がするどく突き刺さった。


 ……辻井に、なにかあったのかもしれない。ひょっとしたら、奥さんになにか云われた? それとも、他になにかあった?


 昨日、わたしの脳内のアンダーグラウンドで声をあげた意識が、また声をだした。ただし、今回は小さな声でヒソヒソと慎重にささやきかけてくるように。


〝辻井になにかあったのよ。

きっと口止めをされたんだわ。──誰かに。

鳥海先輩のことを詳しく知る人から、なにか忠告か警告を受けたのよ。

わたしが鳥海先輩に深くかかわらないように。

わたしが深くかかわると、よくないんだわ。


 辻井はいいヤツだから、わたしを無下むげにはできない。

それに正直者だから、話していればきっとすぐにボロを出てしまう。

だからわたしと距離をおかなきゃならない。

それで、こんなメッセージになってしまったのよ……〟


 わたしはささやき声に耳をかむけて、そうに違いないと思った。

きっとそうだ。直感にしたがおう。


 わたしはメッセージを閉じた。

今日はもう──というか、気がむくまでは──直感がGOサインを出すまでは、辻井に返信はしない。


 わたしはソファに深くうなだれた。涙がとまらない。──どうして、あなたはいないの?鳥海先輩……。



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