ticktack ticktack ③



スクロールしていった人差し指をそのまま番号の上にもっていく。…──怖い!


 わたしは椅子に正座をして、居住まいを正して息を吐いた。


ここまできて、怖いからってなにもしないで逃げるなんて、卑怯ひきょうよ。ちゃんと向き合いなさい! 鳥海先輩が待ってるかもしれないんだから!


 ──わたしは辻井の番号をタップした。


 呼び出し音、五コール。──緊張する。

辻井も仕事中なのよね。八コールで出なかったら、電話を切ろう。

着信履歴を残すだけでも意味はあるはずなんだから。

──ていうか、むしろ電話にでなくていいかも……。

ていうか電話にでないで!

 やっぱりもうちょっとあとでのほうがよかったかも!

 ああダメ。緊張しすぎて吐きそう……!


「──もしもし?」ああぁー! 辻井が電話にでてしまったあーっ!


 わたしの呼吸がとまった。頭の中も真っ白。どうしよう。


「──あ……っと、えっと」なんとか声だけはだせた。

えっと、辻井とはひさしぶりなのよね? いくら前もってわたしが連絡してくると知っていたとはいえ、まずは自己紹介からしなくちゃいけないんじゃあないの? わたしも結婚して苗字がかわっていることだし……。


「あの……わたし、姫中のときの辻井との同学年で、八鳥っていうんだけど……えっと、今はその……」


わたしがあたふたしていると、電話のむこうで辻井が優しく笑った。


「あ、あぁ……うん、わかってるよ。大丈夫だよ……八鳥。云わなくてもわかってる」


辻井は優しい穏やかな口調で、静かに云った。……八鳥だって。ああ、なつかしい呼ばれかた。

学校の友達たちは、わたしの名前を呼ぶイントネーションが違うのよね。

こんな呼ばれかたをされたのって、すごくひさしぶり。


「──そう、八鳥」


わたしはとまっていた息をはきだすと同時に苦笑くしょうした。

辻井の優しい声を聞いて、自分がいっきにリラックスしたのを感じる。


「わたしと辻井って、中学のときあんまりしゃべったことがなかったでしょう? だから、わたしを覚えててもらえて、よかった」


「覚えてるよ……」辻井も苦笑しながら云った。「あのさ、掛けなおしてもいい? 三時ごろ……いや、三時半ごろかな?」辻井が時計を見ながら云っているのがわかった。

つづけて、自動販売機で飲み物を買った音が聞こえた。外にいるんだ。

でもってもろ仕事中なわけね。──そうよね。わたしはあわてて電話をきることにした。迷惑はかけちゃいけない。


「──そうだよね! 辻井も仕事中だよね、ごめんね、こんな時間に電話しちゃって! でもこんな時間以外にいつ電話したらいいのかもわからないし、家に帰ってから電話をしちゃって、奥さんとケンカになってほしくなかったから……なんていうか、ごめん!」


わたしはすごい早口で謝った。


「電話代もかかっちゃうし、時間を指定してくれればまたこっちから掛けなおすから。──えっと、三時半だっけ?」


「いや、正確な時間がよめないから、こっちから掛けなおすよ」


辻井が軽い調子で優しく云った。顔の見えない電話ごしでも、ニヤニヤとニヤついているのがわかるくらい軽い調子。

なんだかこっちの調子がくるっちゃう。

こんなに焦ってて、空回りをしているのは、わたしだけ? ……そうね、わたしだけよね。


「……八鳥のほうは、何時でも電話して大丈夫なの?」


 そう訊かれて、わたしはちょっと考えた。具合が悪くて会社を早退したってことは、なにも辻井に云わなくていい。よけいな心配をかけたくないし、同情もおことわり。


辻井が思ったことをはっきり云って、わたしを叩きのめすためにも、こっちは元気でいる必要がある。


「……うん。もう仕事は終わって、家でのんびりしてるから、いつでも大丈夫」


オーケー。大丈夫。ちゃんと元気っぽく云えた。


「わかった。──じゃあ、またあとで」辻井は笑いながら意味深に云った。


──なんだろう。わたしはどぎまぎしながら「うん、また、あとで」と云って、電話をきった。


 なんなの、この意味深な感じ! すっごく気になるじゃない! ──え、わたしは緊張しているうえに、三時半までこんなあたふたした気持ちのまま待たなきゃならないの?


あ、もうやだぁ~。へんに意味深にするのはやめてよぉ。落ちつかない……。


 わたしはとりあえず、シャワーを浴びることにした。身も心も早くサッパリしたい。


…*…


 濡れた髪をバスタオルで拭いていると、スマホが鳴った。

辻井だ。わたしはいそいでダイニングテーブルにまわりこんで、スマホの着信中画面をみた。


……×-×-×。


 やっぱり辻井からの着信だ。

辻井の番号をこのままを暗記してもいいけど、この電話がおわったら、番号登録をちゃんとしておこう。

なんとなく、辻井とはこれからも連絡をとりあうようになるような気がする。


 わらしは鳴っているスマホの通話マークをドキドキしながらスライドさせて、手にとって耳にあてた。


「もしもし辻井?」


「うん……」辻井が、まだ笑っている声で応答した。

ほんと、どうしちゃったの? 今日はなにかいいことがあったわけ?

どうしてそんなに楽しそうなのよ。うらやましいなぁ。


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