Even though you've lost your mind ②


 どいつもこいつも、ほんっと、なんなの! 腹立つ!


 紫穂なら、習字もお手の物で、華道だってすぐコツをつかむにきまってるでしょうよ! あの子の飲み込みの速さなら! 産まれた時からずっと見てきたから、わかる。


 物心ものごころつくか、つかないか──四歳の時にはもう、仏壇に飾る花を、お母さんと一緒にけてた。……楽しそうに。


 華道も習っていたお母さんは、嬉しそうに手塩をかけて、紫穂にあれこれ教えていた。


 私は、そんな手伝いをしても、お小遣いが増えるわけでも、貰えるわけでもないから、ちっとも手伝おうっていう気にはなれなかった。

遠目からながめて、退屈たいくつ眼差まなざしを向けるだけ。


 でも思い知った。これまでバカにしてきた経験スキルが、どれだけお金持ちの家で必要とされるかを。


 ペン習字を始めたすぐのころ、義母は、紫穂が手書きで送りつけてきた、迷惑このうえない年賀状を手に持って、しばらくながめていた。


 紫穂の年賀状は、産まれてきた赤ちゃんと一緒に、動物園へ家族と遊びに行った写真を使っていた。……そのころの私は、まだ赤ちゃんがいなかったのに。


 と、紫穂には知られたくなかった。負けたくなかった。

だから紫穂には話していないけど、私は〝子宮頸がん〟で、子宮全摘ぜんてきの危機にあった。お金持ちの家で、跡取あととり息子が必要な環境と結婚したのに。


 これじゃあ離婚されて、私は家を追い出されてしまうじゃない!


 しかも紫穂は、これ見よがしにふでペンを使って、達筆たっぴつに「明けましておめでとうございます」を見せつけてきた。……煮えたぎる憎悪ぞうおで、鼻血が出そうになったわ。


 八年前の出来事だけど、ほんと憎たらしい。紫穂にはずっと不幸でいてもらわなくちゃ。そうよ、ずっとずーっと不幸のままでいればいいの!


 自分が〝正気じゃない〟と思い込んで、精神病になって自殺してしまえばいい。目障りなのよ、むかしからずっと。


 私からお母さんをうばって、独り占めしてきた。紫穂は産まれた瞬間から、私のてきなの。


 さっきの電話では「友達に訊いてみる」なんて云ったけど、誰が協力なんてするもんですか! ハヅキにも訊かないし、もし鳥海くんがらみでなにか進展しそうものなら、邪魔してやる。


 紫穂はなにも知らないまま、不幸のまま死ねばいい。


 私より幸せになっちゃダメ。


 昔だったら、お父さんを使って〝半殺はんごろしのけい〟にしてやったのに!


姉妹お互いが結婚して、別々の屋根の下で生活している今となっては、それもできない!


 ──そう、あの父親も父親だよ!


「お父さんとしたら、ご褒美でお小遣いあげちゃうぞう」


ニチャニチャしたきたならしい笑みで、酒臭い息を吐き出しながら顔を近づけてきた。


 私は友達とゲームセンターで遊ぶお金が欲しかったし、学校の女友達の、誰よりもはやく流行りの可愛い文房具が欲しかったから、お愛想笑いしながらキスをした。


(毎回、毎回、可愛い消しゴムや鉛筆を万引きしてばかりいるのも、きもえてイヤだった。──今回こそはバレてしまうんじゃないかって、ひやひやしながパクッテた)


 キスをしたら、五百円も貰えたわ! まだ小学五年生だった私にとっては、大金たいきんよ。


 それを紫穂は、けがらわしいモノでも見るような目つきで、を見下げてきた!


 そしたらお父さんはムキになった。

「紫穂はお父さんとしなくていいのかあ? 舌を入れたチュウなら、もっとおかねをくれてやるぞお」


 私はお父さんに肩を抱かれ、なかば力づくて二回目のキスをさせられた。……千円、追加で貰えた。


だけどあまり嬉しくなかった。……ヌマヌマとまとわりつき、絡みついてくるお父さんのベロの気持ち悪さ。


 口の中いっぱいに入ってくるお父さんの唾液が気持ち悪すぎて、私は垂れ流しにした。キスが終わってから、服のそででその汚物をぬぐった。


 お父さんは、ますますムキになった。

こんどは一万円札を、私と紫穂にヒラつかせて見せびらかす。


「お父さんのも飲んだら、これもあげちゃうんだけどな〜」


 私はひざまずいて、口を開けた。

上かられ流されてくる、ネバネバしている汚いヨダレを、口の中で受け入れ、飲み込んだ。


 ……お父さんは、一万円札を床に落とした。

私はすかさず拾った。お父さんの気が変わらないうちに、取り上げられる前に、せっかく頑張ったお金を拾わなくちゃって。


 紫穂は終始、無言のまま、微動だにせず、軽蔑の眼差しで私たちを睨んでいるだけだった。


 自分だってお金がほしいくせに! 素直にお父さんにしたがいさえすれば、今日だけで一万一千五百円もお小遣いが増えたのに! お年玉みたいに!


なのにこの子ときたら、バカみたいに強がっちゃって。


 ……今にして思えば、私はこうして、身体でお金を稼ぐすべを身につけた。これが始まりだった。


 紫穂の拒絶は、ただしかった。でも認めたくなかった。自分が汚れたのを認めたくなかったから。


 それからしばらくのあいだ、私とお父さんは、生意気な目つきをする紫穂を、甚振いたぶり続けた。毎日、毎日、毎日……。


日に日に増えていく藍痣あおあざを見るのが、痛快つうかいに楽しかったのを憶えてる。


 今回は、誰にげ口したら、紫穂にお仕置きができるかなあ?


 鳥海くんの実家に行くなんて、絶対にダメ。どうにかして、くい止めないと。電話ではうまいこと話しを本題からすりえられたけど、また話しが戻ったら大変!


 あの子が真実にたどり着いたら、すべてが台無しになる!


 あ! そうだ! 毎年、旦那が〝会社の株主優遇なんちゃら特権〟みたいなので、ねずみの夢の国へ行ける無料チケットを四人分、この時期にもっらてる!


 そうだ、これを使って──紫穂に使うのはしゃくだけど!──みんなでお出かけしよう! 楽しい夢の国に行けば、紫穂もバカな考えは捨てるでしょうよっ!




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る