Gaslighting ⑩


「……そう云われても、もう、なにもかもが遅すぎるんだよね……」


わたしはやるせなく云った。

だって、見えてしまった道のりに逆らって生きてきたんだから、もう、遅いのよ……。


「……そっか」お姉ちゃんも、肩をおとしているように云った。「──紫穂は、その……まだ、お父さんを殺したいと思っているの?」


云いにくそうに、さぐるようにお姉ちゃんは訊いてきた。


「私は、お父さんを殺そうと思う紫穂を責めるつもりはない」


なぜか、お姉ちゃんが断言した。──ど、どうしたんだろう。


「だって、あの人こそ、〝自分のしたことが自分に還ってくるべき人間〟だよね!」


お姉ちゃんが憤慨ふんがいして云うもんだから、意表いひょうをつかれたわたしは、おどろきと嬉しさから高笑いをするはめになった。


──まともなお姉ちゃんですら、あの男が死ぬべきだと思うだなんて! やっぱりあの男は、それだけのことをわたしたちにしてきたんだ!


「なんだ! お姉ちゃんも、あの男が殺されることに、賛成だったんだ!」


「賛成もなにも、私もその計画に加担かたんしたいくらいだよ」お姉ちゃんも笑いながら云った。「なによぉ、紫穂は。もっとはやく、具体的にその話しを私にしてくれれば、もっといい知恵をさずけたのに」


「いやぁ~、わたしもまさか、お姉ちゃんがこんなにも協力的な人間だっただなんて知らなかったからさあ、ごめんね。こんな楽しい計画にまぜてあげられなくて」


「ほんとだよ!」お姉ちゃんは笑ったあと「あ~あ」と、ため息といっしょに小さな声をあげた。

「……でもね、私はお父さんを殺すことに反対はしないけど、紫穂のその後の人生を考えたら、私はやっぱり反対していたと思う」


 わたしはお姉ちゃんの思いやりに、しみじみとみをうかべた。(……よく云うよ……って)


「そうでしょう? だから、お姉ちゃんには具体的な話しはしなかったの。わたしの身を想って、とめられると思ったから」


「──で、いまも殺したいと思うわけ?」

お姉ちゃんは、わたしから返ってくる応えがわかっているようすで訊いてきた。


「ううん。いまは、殺そうとは思ってない。……その気になれば身体は反応するけど。あの人も先短さきみじかくなったわけだし、ひとり寂しく孤独死すればいい! って、願うばかり!」わたしは「ふん」と鼻を鳴らせた。


「そうだよ、それがいいと私もそう思う。あんなやつのために、人生台無しにする必要なんてないよ」


お姉ちゃんが軽い調子で云って、わたしも軽くあいづちをうった。


「だよね」


 わたしたちの電話に、無言の時間がまた流れた。

わたしたちは、こんな夜中に、なにを物騒ぶっそうな話をしているんだろう。

あーあ、やんなっちゃうな。──ほんとう、あのクソオヤジはっ! 胸中で毒づいて、さっさとはやく死ねっ! と、つけくわえた。


「あのさ!」お姉ちゃんが明るい声をあげた。「私、思ったんだけど、あの日、鳥海くんが紫穂にかよう塾に来ていたって話し、なにも鳥海くんのいえ行って、うちの人にわざわざ訊かなくても、相馬に訊けばいいんじゃないの?」


 いきなり話しがかわっておどろいたけど、お姉ちゃんのこのアイデアは名案に思えた。──たしかに、云われてみればそうだ。どうしていままで気づかなかったんだろう。


「たしかにそうだね!」わたしは声を輝かせて云った。「相馬なら、ぜったいになにかを知っているはず! なにかを、鳥海先輩から聞いてるはずだよ! ──だって、あのときのあの顔! ……どうして、いままで気づかなかったんだろう。


まさしく灯台もと暗しって感じ! お姉ちゃんありがとう! 明日、さっそくあたってみるよ!」


「ああ! 紫穂、ちょっと待ってよ!」

このまま電話を切られたくなかったのか、お姉ちゃんが早口で云った。

「あのね、私たちはいいとしになっていて、それこそそれなりの人生をあゆんできたんだから、相手の立場も考えなきゃだめだよ」


 わたしはお姉ちゃんの云わんとすることにピンときた。


「──つまり、相手の嫁さんに気をつかって、あまり出すぎたまねをするなと、そういうことね」


「そういうこと!」


お姉ちゃんは軽く笑ってから、あくびをした。いいかげん、そろそろ電話を切らないと。


 わたしは時計を首を伸ばし見て、びっくりした。


「お姉ちゃん! もう三時になるよ!」


「そんなもん、私はとっくのとうに知ってるよ。あ~あ、また長電話しちゃったよぉ〜」


いやみと愚痴っぽくお姉ちゃんは云うけど、なんだかまんざらでもなさそう。


 わたしも、なんだか気分が晴れたように軽い気持ちになってる。そしてなんだか、姉妹の結束けっそくが強くなったように感じる。


「ほんと、また長電話しちゃったね、お姉ちゃんごめんね。でも、ありがとう。なんだか、すごく気分が軽くなった」


「うん、なんだかそんな感じがするよ」お姉ちゃんも満足そうに云うから、わたしはますます嬉しくなった。「──紫穂、大丈夫? このまま眠れそう?」


「うーん、それはどうだろう? まあ、なるようにしかならないんじゃん?」


薬を飲んでも眠れなかったから、今日はもうムリよと思ったけど、お姉ちゃんに云うのはやめた。また、電話を切りそこねちゃうから。


それに……そうね。ここまできたら、なるようにしかならない。すべてにおいて。


「お姉ちゃん、ありがとう。でもっておやすみなさい」


「……うん、おやすみ。明日、また電話するからね」


お姉ちゃんが意味深いみしんに云って、わたしは嬉しさにほほんだ。


「オーケー。安否確認ってやつね。お姉ちゃんは、やっぱり優しいね」


「そう、そうゆうこと! それじゃあ、おやすみ」


お姉ちゃんは最後にもう一回あくびをした。


「うん、おやすみ……」


 わたしは電話を切った。


 今日、お姉ちゃんに電話をして、傷つくこともあったけど、やっぱり電話をしてよかった。


 心にうけた傷の代償に、わたしは多くのものをえた。鳥海先輩に少しだけ、ほんの一歩、近づけたような気がする。


 はやくが明ければいいなと、わたしはまだ暗い窓の外を見やった。



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