Gaslighting ⑧


 流れるように月日がたって、鳥海先輩が卒業してしまう日、わたしは彼がやっとひとりきりになったのを見て、いそいで駆けよった。全速力で走っていった。


 鳥海先輩から、どんなにしかられてもかまわない。

 彼とは、これで離ればなれになってしまう。離れてしまうのはイヤだけど、卒業これはしかたのないこと。でも、ちゃんと話しをしなくちゃ。そう思った。


「でもそんなの、いまさらじゃない?」お姉ちゃんが不機嫌に声をあげた。「そのときのことを知りたくても〝本人〟がもういないんだから、知るすべがないじゃない」


「そうだけど……」わたしはボソボソと云った。「もしかしたら、鳥海先輩が家族の人に話しているかもしれないじゃない」


「そんなわけないでしょう!」声高に断言されてしまった。「鳥海くんが家族の人に話していたとは、それは考えにくいよ、紫穂」


「まあね……」わたしは認めた。


 思春期の男の子が、家族に自分の色恋沙汰ざたの話しをするなんて──ないでしょう。


「でも、もしかしたら話してるかもしれない。……ほら、わたしがお姉ちゃんに話しているように、鳥海先輩ももしかしたら、家族のだれかにうちあけているも。……そうじゃなかったら、日記かなんかに書き留めていて、それが残っているかもしれない。だから──」


「あんたいいかげんにしなよっ!」お姉ちゃんがわたしの言葉をさえぎって声をはりあげた。「そんなくだらない理由で、鳥海くんの家にいくなんて、やめなよ! ほんと、迷惑だよ! ──それも、鳥海くんが家族の人に話していたかもあやしい。


 話していたとしても、中学の時の子供が話していた話を、親がいちいち覚えていると思う? で、あんたが期待している日記もなかったら、それこそどうするつもりなのよ!」


「──それは……」痛いところをつかれて、わたしはいっきに弱腰になった。「もし、そうなったら、どんづまりだね。あきらめるしかない。


けど、それも鳥海先輩の家に行って、家族の人に話を聞いてみてからじゃないと、わからないよね? ここでお姉ちゃんと悶着もんちゃくしていたって、らちがあかない──そうでしょう?」


「そうだねっ! かってにすればっ!」


 お姉ちゃんがふてくされたように、そっぽをむくのがわかった。


 たしかに、わたしはかってだ。お姉ちゃんに歯止めをかけてほしかったのに、これじゃあまるで、わたしが鳥海先輩の家に行くことの理由の材料集めをして、話しをそろえてしまっただけじゃない。


 ……ほんと、わたしは、なにがしたいんだろう。……しかもこの話しは〝おとりの話しなのに──。


「──うん。かってにする。お姉ちゃん、こんな夜遅くに、こんな〝くだらない〟話しにまきこんじゃって、ほんとにごめんね」


 わたしは電話を切る前置きにはいった。

 もうこれ以上、お姉ちゃんを巻きこむのはやめよう。


 お墓の場所も、家族の人に訊けばいい。……はらりをいれたお兄ちゃんに、門前払もんぜんばらいされるかもしれないけど。それもしょうがない。ぜんぶ自分がしてきたことなんだから。


「……紫穂はさ、けっきょく、相馬のことはどう想っていたわけ?」お姉ちゃんがきゅうにさっきの話をほじくり返してきた。「紫穂は中学のとき、相馬がなんか気になる……みたいなことを云っていたよね? さっきの辻井の話しといい、紫穂は、ほんとは相馬をどう想っていたの?」


「相馬は……」思い出して、わたしはまた自己嫌悪におちいった。「わたしは、相馬をかくみのにつかっていた。──わたしと鳥海先輩とのあいだに相馬をおいて、クッションの役割にもなってもらっていた。……わたしは、サイテーな人間だよね」


「隠れ蓑? ……どうしてそんなことをしたのよ。どうして、そんなものが必要だったの?」


 お姉ちゃんは、電話を切る前に気になったことを知りたがっているようだった。

 わたしは懺悔ざんげするように、ほんとうのことを話していった。


「お姉ちゃんも知っているでしょう? あの、うわさ好きな女子たちがいたからだよ。

(その中の一人に、お姉ちゃんもはいっていたけれど、そのことは云わないことにした。プライドを傷つけるのは、悪かったから)


……あの人たちに、わたしが鳥海先輩のことを好きだと想っているのがバレたら、どうなっていたと思う? まことしやかにひそひそと陰口を云って、わたしと鳥海先輩を引きこうとしたにきまってる。


だから、わたしはころあいのいい相馬をつかって〝八鳥やとりは相馬のことが好きなのかもしれない。いや、八鳥は相馬が好きなんだ〟っていう、うわさ話の種をつくった。


 ほんのちょっと、わたしが相馬と話しただけで、このうわさはまたたくまに広まったよ……。ほんと、滑稽こっけいよね。


 あのときほど、思春期の女子たちがバカなんじゃないかと思ったことはない。同時に、ゾッとした。これがもし鳥海先輩とだったらって思ったら。わたしは心底、女子が怖いと思った」


「その噂は、私の耳のにも届いたよ」お姉ちゃんが、なんだか悲しげに云った。「紫穂は、それでよかったわけ? 私の耳にも届いたってことは、鳥海くんの耳にも届いていたってことになるでしょう?」


「……うん。それでよかった。鳥海先輩の耳に届くのが、一番のねらいだったから」


「どうして、そう思うのよ?」怪訝けげんそうに訊かれた。


「わたしが好きだと、想いをよせていると、鳥海先輩本人に知られてしまうのがイヤだった。……知られて、避けられるようになるのがイヤだった。それに、もしかりに、両想いになるのも、わたしはイヤだった」


「なんでよぉ」お姉ちゃんがついに泣きだしそうな声をあげた。


「そのころのわたしは……こう考えていたの。愛する運命だったとしても、いまは、お互いがべつべつの人生を楽しみましょう。


 あなたはわたしを好きになるべきじゃない。いまは、あなたは自分の人生を楽しみなさい。……そう、考えていた。


 だから、鳥海先輩のことを好きだったけど、わたしはその気持ちを隠したし、鳥海先輩にもわたしを好きになってほしくなかった。……ほんと、かってだよね。……意味わかんないでしょ?」


自分が、普通じゃないことを云っていて、普通の人は理解できないことを云っているのを自覚しながら、お姉ちゃんに訊いた。


 お姉ちゃんからは〝うん。意味がわかんない〟と、云われると思っていたけど、まったく逆の応えがかえってきた。


「……紫穂がそう想うのは、なんとなくわかる」

「──え、うそでしょう?」思わず口にでてしまった。

「うそじゃないよ……」お姉ちゃんが苦笑にがわらった。「こう……うまく云えないけど、紫穂の気持ちが、なんとなくわかるよ」


「……そっか」なんだか知らないけど、わたしは心がほんわかするのを感じた。「お姉ちゃんにわたしの気持ちが伝わって、よかった。……それじゃあ、もう切るね。時間も遅いし」


「──あ! もういっこだけ教えて!」お姉ちゃんが矢継やつぎばやに云った。



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