Gaslighting ⑦


「うん……。こなかった」わたしは認めた。「だから、けっきょくは、からかい目的だったんじゃんって思った」


「だったら──! その話しはもう終わっているんじゃないの!」お姉ちゃんがふたたびまくしたてた。「どうしてその話しを家族の人に訊こうと思うの!」


 わたしは、胸の奥に眠らせていた気持ちと記憶を、ほんのちょっとだけゆさぶって起こした。


「わたし、からかい目的だったにしろ、なんにしろ、鳥海先輩がほんとうにその場にいて、〝からかい〟に加担かたんしていたのかどうかを確かめたかっの。


……だって、イヤじゃない。鳥海先輩がそんなことをする人間だっただなんて……。だから確かめて、鳥海先輩の潔白けっぱくをわたしは証明したかった。


鳥海先輩はあの〝からかい〟に関係なくて、相馬たちがかってに鳥海先輩の名前をつかってやったことなんだって、それを証明したくて、あのあと学校に来た相馬たちに訊いたの。


……ていっても、あのあと相馬も鳥海先輩もしばらく学校にこなくなっちゃったから、わたし、しかたなく相馬の友達グループの辻井つじいに訊いた。

あんまり喋ったことのない相手だったから、訊きずらかったけど、訊いたよ。


辻井もあの場にいて、意味ありげにニヤついていたから、なにかを知っているんじゃないかなって思って。


『あのさ……あの日。あの日、鳥海先輩はほんとうに塾に来ていたの? ほんとうにわたしを呼びだしていたの?』って」


「そしたら……?」お姉ちゃんが声をひそめて訊いてきた。


「そしたら……わたし、おこられた。

『オレの口から云えるわけがねーだろ! おまえが自分で直接、鳥海先輩に訊きにいけよ!』

『でもこのところ、鳥海先輩が学校に来ていないから……訊くに訊けなくて……。辻井なら、なにか事情を知ってるかもと思って訊いたんだけど……』


『鳥海先輩の気持ちを考えたら──云えない。……オレなんかが云えることじゃねーんだよ!』

『だいたい、おまえ見てるとイライラすんだよ! 相馬に気のあるそぶりして、鳥海先輩とも仲良くして、なんなんだよっ! そんなに男をもてあそぶのが好きなのかよっ!』って……怒られた」



 学校の校舎の昇降口につながる階段で、休み時間、わたしは辻井に怒鳴どなられた。


その場にいたみんなが、わたしと辻井のふたりを見た。

おしゃべりをしていたみんなの口が、動きもとまった。──わたしの口も。わたしをふくめただれしもが、みんながその場にこおりついた。


 辻井は──あのころの辻井は、どうしようもなくワルをやっていて、俗にいう〝ヤンキー〟だった。


 中学生なのに金髪頭で、目つきがするどい男の子で、見た目こそは怖いけど、話せばおもしろくて、性格は温厚でいいヤツと──評判のいい子だった。


 だから、みんなが辻井の優しい性格を知っていたから、めったに怒らない辻井を見て、怒鳴り声を聞いて、みんなが目を丸くしていた。


 わたしは、怒鳴られたことにもびっくりしたけど、ぜんぜん違うところが──胸が、ショックを受けていた。


 そんなふうに思われていたなんて──男をもてあそんでいるように思われていただなんて──信じられない。


 でも、辻井は本気でおこっている。目を見れば歴然れきぜんだった。


 鋭い目を、いかりの炎でくすぶらせている。いますぐにいかりを発散して、この炎を──この衝動を、燃やしつくしたいと願っている目。


それも自分のためにじゃない。他人ひとのために──鳥海先輩のために、それを爆発したがってる。真剣に怒っている。


 わたしはたじろいだわ。言葉も失った。

こんなふうな敵意をむけられたことがなかったから。

誰かのために真剣に怒っている人の激情をぶつけられることなんて、いままでなかった。


 それだけ、わたしはひどいことをしてしまったんだと、そのとき認識した。


 わたしは逃げただけなのに、鳥海先輩は、辻井がこんなに怒るほど傷ついてしまっているなんて──。


 でも、それも〝そんなまさか〟と、わたしは思った。鳥海先輩が、わたしなんかで傷つくわけないって……。


 わたしはそのあと数日のあいだ、鳥海先輩が学校にくるのを待った。彼は、まるまる一週間学校にこなかった。


 わたしがやっと鳥海先輩の姿を学校で発見したときには、彼はなんだか怖い雰囲気になっていて、ますます近寄りがたい存在になっていた。


そして、鳥海先輩をとりまく大勢の友達が──鳥海先輩をわたしからまもるように──わたしを近寄らせないことに拍車をかけた。


 鳥海先輩とふたりで話しがしたいのに、これじゃあムリだと……そう、思った。学校じゃ話しができない。たとえわたしが勇気をふりしぼって鳥海先輩に声をかけたとしても、それがたちまちうわさになる。


〝あのふたりには、なにかがあるぞ〟って。


わたしはゾッとした。

うわさ好きの女子たちの、かっこうの餌食えじきになってしまう。

わざとわたしが見えるところで、わたしを見ながらヒソヒソ話をするんだ。──そんなのムリ! わたしと鳥海先輩を、そんな目で見られるなんて、そんなのぜったいに許せない! と、わたしはそう思った。


……だからわたしは、鳥海先輩に話しかけるのをあきらめた。──そして待った。わたしは鳥海先輩を待った。


 もし、あれがほんとうに告白なら、もう一度、彼のほうからきてくれるんじゃないかと思って、待った。……けど、彼はこなかった。二度とわたしに話しかけてこなくもなった。


 あきらかに、避けられているように感じた。

 わたしは寂しかったけど、自分じゃどうすることもできなかった。



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