Gaslighting ⑥


 わたしには、なにができるんだろう。

残された時間をつかって、なにができる?


 わたしは、残された時間をつかって、人を傷つけるようなことだけはしたくない。近々死んでしまうけど、残されたお姉ちゃんがひどく傷ついて、泣くはめになるのはイヤだ。


〝あのとき、私がひどいことを云っていまったから──〟

〝あんな云いかた、しなきゃよかった〟


そんなふうに、ひきずってほしくない。自分を責めてほしくない。だって、お姉ちゃんは悪くないんだから。当然のことを云っただけ。──それも、わたしがあおりたてて。


「わたしね、お姉ちゃんがいま云ったことを、わたしも自分でずっとそう思っていた。〝相馬たちが、わたしを笑いの種にしようとしていたんじゃないか〟とか〝罰ゲームかなんかだったんじゃないか〟とか……」


わたしなりに、お姉ちゃんの云ったことは間違いなんかじゃないんだよと、伝えたかった。でも、お姉ちゃんはなにも云わない。あいづちも、うってこない。


 わたしはお姉ちゃんが思いつめないよう、説得をつづけた。


「お姉ちゃんが云うように、運命なら……て」わたしはここでまた、大きなため息をついた。「──わたしは、運命とか宿命さだめなんていう言葉を、わたしと鳥海先輩とのあいだにあてはめるのが、イヤだったの。──考えただけで吐き気がする。


 わたしたちのは、そんなものなんかじゃないって、そう思うのに、人に話すときは、そういうたとえをして〝運命〟って云わないと、話がつうじない……うまく伝わらない。


 わたしも、わたしと鳥海先輩とのあいだにあるものをうまく言葉で表現できない。だから、運命という言葉をつかわざるをえない……。


 っていうか、運命とか宿命なんていう言葉は、おそろしく少女趣味で、幻想そのものの象徴だから、とても受けいれがたくて

──それこそ、吐き気がするほどにね──

だから、使いたくもなかったし、使えば、お姉ちゃんみたいに『バカなんじゃないの』って云われるのがわかっていたから……だから、ずっと、だれにも云えなかったの。


 云えないままにしていたら、こんなに時間がたってしまっていて、わたしはいいとしになっていて……そしたらますます云いづらくなってしまって──。


 だけど、どこかでだれかに云わなくちゃならなかったの。


 それが、今日で、話す相手の〝だれか〟がお姉ちゃんだった。これにもきっと意味がある。いまはその意味がわからないけど、いつかきっと『あぁ、これの意味はこのことだったんだ』ってわかる日がくる」



 云いきって、わたしはお姉ちゃんからの返答を待った。待っているうちに、自分がなにを云ったのかがわからなくなってきた。


 わたしはいま、お姉ちゃんになんて云った? 記憶が、砂粒すなつぶになって、脳からこぼれおちていくよう。



 ──若年性認知症? ふと、それが頭をよぎった。


 認知症のはじまりは、こんなふうに始まるのかもしれないぞと、そう思った。思ったら怖くなって、わたしは頭をふった。


 もし、そうだったとしても、わたしにはまだ時間がある。進行速度はわからないけど、まだそれなりの時間があるはずだ。わたしのすべきこと、いまやれることを全力でやればいい。


 わたしはお姉ちゃんのはげまし話に気をもどした。──自分が病気かもしれないと気づいたのも、忘れたかった。


「あの呼びだしの可能性は、あげたらきりがなかった。

〝鳥海先輩が待っていると見せかけて、ほんとはぜんぜん違う人間が待ちかまえていて、ケンカに負けた腹いせとか、復讐のつもりで、わたしを襲撃しゅうげきしようとしていたりして……〟

なんてことも、考えた。だからわたし、そのとき、塾がドアストッパーに使っていた、ころあいのいい漬物石つけものいしを冬用のコートの下に隠し持ったりもした」


「──はっ?」お姉ちゃんが、やっと声をだしてくれた。これでやっと、お姉ちゃんと仲直りができる。


「あんた、けっきょく、まーだそんなことをしていたんじゃないの!」お姉ちゃんがあきれ声といっしょに、わたしを指さすみたに云った。


「……そうなの。いまとなっては、笑い話だけど、そのときのわたしは、まじでやる気まんまんだった。でも、重い漬物石をコートの下にひそめたところで、わたしは思った。

『ほんとうに、このままケンカをしてしまっていいのかな』って。

『わたしたちは、もう小学生の子供じゃない。本気のケンカをすれば、派手はでなケンカになる。きっと血をみるケンカになって、お互いが引くに引けなくなった場合、ぜったいに殺し合いになる。

 それを証拠に、わたしはいま、なにを持っている? 充分な殺傷さっしょうができる石を持ち歩こうとしている』そう思ったら、わたしは自分が怖くなった。

『ケンカになるとわかっていたら、避けられる道もあるはずだ。──これは、逃げるが勝ちよ!』わたしはそう思って、逃げたの」


「……あんた、バカなんじゃないの?」お姉ちゃんが、心底あきれてる。わたしは笑った。


「そうだね、わたしはバカだった。これも、お姉ちゃんが云ったとおりの〝自分に還ってくる〟だったよ。……悪いことはできないんだね。


 わたしは小学生のあいだに、敵を多くつくりすぎてしまったから……だれかれかまわず──それこそ、どんなに年上としうえであってもかまわず──むしろ、年上であればあるほど、わたしは喜んでケンカをしていた。


 ──あんまり多くのケンカをしてきたもんだから、相手の顔なんていちいち覚えていられなかったけど、やられたほうは覚えているもんでしょう? だから、復讐だとか、リベンジをしにきたんじゃないかなって、思ったりもした。


 でも、一番わたしがおそれたのは『ほんとうに鳥海先輩が待っているかもしれない』ってこと。


『もし、ほんとうに鳥海先輩が待っていたら、わたしはどうなる? もし、鳥海先輩が罰ゲームかなんかで、わたしに告白なんかをしてきたら……わたしはとても傷つく。


 鳥海先輩は、そんな人じゃないってわかっていたつもりだけど、もしそんなことをされたら、鳥海先輩がそんな人間だったと知るのが怖かった。そんなの、知りたくもない。わたしのなかの鳥海先輩は、鳥海先輩のままでいてほしい』わたしはそう思ったの。


──それから、こうも思った。『ほんとに鳥海先輩が来ているのだとして、わたしを呼びだした理由は告白なんかじゃなくて、警告をしにきたんじゃないか』って。


 うわさで、誰かがわたしに痛い目を遭わせようとしているのを鳥海先輩が聞いて、それをわたしに教えて、わたしの日頃の態度やおこないをあらためさせようとしているんじゃないかって……。


でも、そうなると、鳥海先輩が、わたしの暴力的な一面を知ってしまったことになる。わたしはそれもイヤだったのよ。げんにわたしはいま漬物石を物騒ぶっそうな事に使おうとしているわけだし。──ほんと、そのときは、わたしはつくづく自分に嫌気がさした。……だから、逃げた。


いろんな理由がかさなって、そのときは逃げるのが一番よかったのよ」


「──もし、ほんとうに告白なら、そのあとに鳥海くんのほうからまた告白してくるもんね」


お姉ちゃんは怒りをおさえきれない感じに、イヤミったらしく云ってきた。「鳥海くんが告白するほどの想いを、そのときあんたに告げられなかったんだから。──もし、それがほんとうに告白だったらね!」


 わたしは息を飲んで、お姉ちゃんからの意見イヤミを受けとめた。やっぱり思うところは、みな同じなのかしら。それとも、わたしたちは姉妹だから、そう思うの?


「──そう。お姉ちゃんの云うとおり、まさしくわたしもそう思った。逃げても、ほんとうにわたしのことを好きだと想ってくれているのなら、またちょっとしてから、鳥海先輩のほうから来てくれるんじゃないかって、そう思った」


「……だけど、こなかったわけね!」ははん! と、バカにしくさったようにお姉ちゃんは云った。


 ほんと、お姉ちゃんは、とことんわたしを傷つける気なんだな……。




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