Gaslighting ⑤



「そっか、お姉ちゃんが相馬そうまを覚えていたら、話しがはやい」

わたしはお姉ちゃんへのツッコミをひとまず置いておいて、話しをすすめた。

「それじゃあお姉ちゃんは、相馬が塾に用のあるようなタイプじゃなかったってことも、わかるよね?」


「はん!」お姉ちゃんが鼻で笑った。「そりゃ、そうでしょうねえ。あの子は塾に興味のあるような子じゃなかった。ワル興味深々きょうみしんしんって感じで、勉強なんかをするようなタイプではなかったよね」


お姉ちゃんがノリノリで話題にのった。わたしはここで〝わが意をたり〟と、ひそかに笑った。


「──そうなの。それでね、その相馬のグループが、わたしの通う塾に、いっとき、たむろしている時があって、近所迷惑になって何度か通報されたこともあったんだけど……。


 その、たむろしていた日のなかで、わたし、一度だけ相馬に呼び出されたことがあったの。『鳥海先輩が呼んでるから、おまえ行ってこいよ』って、ニヤニヤしながら云われた。


『──あそこ。あそこに自販機があるだろう?』相馬は駐車場をはさんだ、向こう側の道路を指さした。『そう、あの光ってるやつ。そこで鳥海先輩が待ってるから、おまえ早くいけよ』って。わたし、それが気になってて……」


「──は?」お姉ちゃんが、またしてもまの抜けた声をだした。「気になって……て。あんた、その呼び出しに行かなかったわけ?」


「……うん、行かなかった。わたし、そのとき逃げちゃって……」


わたしはバツが悪くなって、ぼそぼそと小声で云った。いま思えば、わたしはほんと、昔から逃げてばかりだ。


「逃げたって……どうして逃げたのよ」お姉ちゃんの口調に、またしても苛立いらだちが見え隠れしてきた。


「だってそのときは、鳥海先輩がわたしを呼んでいるわけないって思ったんだもん! わたしなんかに用があるわけないって!」


「そりゃ、そうでしょうね!」お姉ちゃんがいかりだした。「あんたなんかに用があるわけないでしょう! どうせ相馬たちがあんたをからかっただけでしょうよっ!


『わたしの大好きな鳥海先輩が待ってる? わたしの大好きな鳥海先輩から告白されるかもしれない』


そうやってあんたがノコノコ行くのを見て、笑いのたねにしようとしていたんでしょ! よかったね、行かなくて! あんた、恥をかくところだったんじゃないの。──それで今になって、それを確かめたいわけ?


『あれはほんとうはなんだったのかな? 鳥海先輩もわたしのことが大好きで、あの日、ほんとはわたしに告白してこようとしていたんじゃないかしら?』って、確かめたいの?


 それで『あぁ、やっぱり鳥海先輩はわたしの運命の人だったんだ』って、酔いしれたいわけ? ──バカバカしい! あんた、そんなことするのやめなよ!


 わざわざ自分から〝頭がおかしいです〟って宣伝せんでんしてまわらなくてもいいじゃない。ほんと、鳥海くんも、その家族もいい迷惑だよ。


 こんな頭のおかしな人に、すぎたことをほじくりかえされて、ひっかきまわされるなんて! ほんっと、かわいそう! あんた、ストーカーみたいだよ!」


 お姉ちゃんの癇癪玉かんしゃくだまを直撃して──わたしは言葉をうしなった。


 頭のなかもからっぽ。


 ……ひとつだけ、いまハッキリわかることは〝わたしは、ひどく、とても傷ついた〟ってことだけ。


 わたしとお姉ちゃんとの電話のあいだで、しばらくのあいだ無言が流れた。

 ようやく働きだしたわたしの頭が、単刀直入なシンプルな言葉をひき出してくれるまで。


「お姉ちゃんは、どうしてそんなにおこっているの?」


 電話のむこうで、お姉ちゃんがフリーズするのがわかった。お姉ちゃんが、息をとめている。


 〝──やってしまった!〟

〝つい、感情的になってしまった!〟

〝紫穂に、私がかかえている気持ちがバレてしまう。──どうしよう〟

そんな、お姉ちゃんの心の声が聞こえる。


 わたしは、お姉ちゃんを傷つけるつもりも、責める気もない。


「……わたしね、今日、お姉ちゃんに電話をして、電話でお姉ちゃんに鳥海先輩の話しをうちあけようって決めたときから、こうなるってわかってた。


 お姉ちゃんから、こんなふうに云われるのをわかっていて電話をしたの。……だからお姉ちゃん、お姉ちゃんはどうか、自分を責めないで。


 わたしはお姉ちゃんから、ひどい言葉を云われるのをわかっていて──それを期待して電話をしたの。──ほら、お姉ちゃんは、はっきりバッサリわたしに云ってくれるでしょう?


 わたしは、はっきりバッサリ云われることで、自分にブレーキがかかると思っていたの。…──すごい、効果覿面こうかてきめん。……こんなにグサリとくるとは、思わなかった。


 わたしの……鳥海先輩にたいするこの気持ちを、前進させようとするこの想いを、もののみごとに打ちくだいてくれた」


 わかっていたはずなのに、じっさいにその言葉をあびせられると……すごく、つらい。


「──ストーカーっぽい。そうだよね。わたしも、自分で自分をそう思ってた。だから、お姉ちゃんに歯止はどめをかけてもらいたかったの。

 ひどい言葉で、わたしをとめてもらいたかった。……お姉ちゃんは、みごとにわたしの期待に応えてくれた」


 わたしはお姉ちゃんを称賛しょうさんする言葉を云っているけど、どうしてだろう。めているわたしも、褒められているお姉ちゃんも、嬉しいという気分からはほど遠いい。


 わたしはため息を吐いた。気持ちが沈んでやるせない。

 お姉ちゃんからも、言葉が返ってこない。



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