Gaslighting ③


 わたしはこれ以上ないっていうくらい、自分に素直になった。素直に、自分の心をさらけ出してる。


だけどお姉ちゃんから返事がこない。声が聞こえない。


 素直に云ったといっても、自分勝手な云いぶんだったから、もしかしたら、お姉ちゃんはわたしに愛想をつかしてしまったのかもしれない。


 ……でも、わたしはあきらめない。傷ついてもあきらめない。このままじゃいやだもの。


「……お姉ちゃんもさっき自分で云ったでしょう? ぜんぶ自分にかえってくるって……」


云ってから〝しまった!〟と思った。これは語弊ごへいのある云いかただ!


 電話のむこうでお姉ちゃんが息を吸いあげる音が聞こえて、わたしは怒鳴り声をあげられる前に、慌てて云いつくろった。


「──ああ、ごめん! いまのは語弊のある云いかただった! ごめん! あやまる! ごめんね!」

お姉ちゃんが吸いあげた息を落ちつかせた。──あぁ、よかった。

「さっきの、ぜんぶ自分に還ってくるっていうのは、わたしは自分のことを云いたかっただけなの。

 お姉ちゃんにあてつけるためじゃない。──わたしはいまが、それが、自分に還ってきている感じがする。

 だからあせってる。『こんどは自分の番なんだ』って。──だからお姉ちゃんの云うとおり〝まっとうな生きかた〟をしなくちゃならない。


 それでお姉ちゃんにこうやって電話をして、ずうずうしくも協力してもらおうとしているんだけど……。


 だからって、これから運命にしたがった、まっとうな生きかたをしたところで、

いままで自分がしてきたことぜんぶが帳消ちょうけしになって、自分の死期がずれるとか……そんな都合のいいことは考えていない。


 わたしはただ──後悔をしたくないの。やり残しているものがあったら、それこそ死ぬに死にきれない。そんな想いをするのがいやだから、いまこうしてあがいているんだけど……。


 今回の鳥海先輩のことは、お姉ちゃんの支えなくしてはできないと、わたしはそう思ってる。


 わたしはいままで、自分が強い人間だと思って生きてきた。一人でも平気で生きていける人間だって。……じっさい、わたしは一人でも大丈夫なんだと思う。──そういうふうにつくられて産まれてきたから。


 育った環境も、ぜんぶ、わたしが一人で生きていけるように〝だれか〟が用意したようなものだった。でも、わたしは、ぜんぜん強い人間じゃなかった」


ここまで、泣くのをこらえて云っていたけど、もう無理そう。

つぎの、ほんとうの、ありのままの自分の──魂の声を口にしたら──ほんとうのことを認めたら──わたしの精神はもたないかもしれない。


「──わたしは、鳥海先輩がいないと、なんにもできない人間だった! あの人がきっとどこかで生きていると思えばこそ、わたしはいままでがんばってこれた! あの人がどこかにいるってだけで、わたしは幸せで、安心して自分の人生をあゆんでこれたの。


 けどいま、あの人の死を認めてしまった今、わたしは正真正銘のひとりぼっちになってしまった! ──こんなのたえられない。あの人がどこにもいないなんて、わたしにはたえられない。……とてもむりよ。わたしひとりで生きていくなんて……むり」


かってにボロボロこぼれてくる涙をたらしながら云った。


 わたしから力が抜けていく。生きていこうとする、強い力さえも。


 わたしは、この世にあの人の不在を認めてしまったら、生きていけない。でも、やるべきことをちゃんとしなくちゃならない。──そうじゃないと、その時がきたときにあの人に逢えない。むかえにきてくてなくなっちゃう。


 今やらないと、わたしはずっとあの人に逢えない。

(あの人に逢える最期のチャンスなのにっ!)

 わたしは最期の望みにすがりつくため、最後には家族の力にすがりつく。あんなに大嫌いだった家族なのに、ここにきて、こんなにも家族が重要だったと気づくなんて……なんだかひにくだわ。


「お姉ちゃん。わたしはここまできて、やっと家族のありがたみを知った。切っても切れない血の繋がりのある家族が、こんなにも自分の支えになるなんて、わたしはいままで知らなかった──。


 自分が、すごく都合のいい人間になってしまっているのも自覚してる。だけどお姉ちゃん、こんなわたしも大目に見て。今生こんじょうのお願いだから。


 わたしにはお姉ちゃんの支えが──お姉ちゃんの支えを、こんなに必要としてる。お姉ちゃん、お願い。最後まで──わたしを支えて」


云いきって、息をついた。


 もうお姉ちゃんに、なんて云ったらいいのかわからない……。

ここまで云ってダメなら、これも〝自分のおこないが自分に還ってきたもの〟として、受けいれるしかないのか……。


「はあーあ!」お姉ちゃんがわざとらしい大きなため息をついた。「それで紫穂は、あとはなにが知りたいのよ!」


ふてくされた云いかただったけど、その裏にお姉ちゃんなりの優しさと愛情を、わたしは感じた。


「……ありがとう、お姉ちゃん。……もしこれが電話じゃなくて、会って話していたら、わたしはいまお姉ちゃんに抱きついていた」


「ハッ! ……やめてよ」なんだかまんざらでもなさそうにお姉ちゃんが云った。


「わたしに抱きつかれても、気持ち悪いだけか、ごめんね。……それじゃあ、お姉ちゃんの気が変わらないうちに、訊きたいことを訊いちゃうね」


自分じゃないだれかが、かってにしゃべっているように感じる。

わたしの意識が、魂と結びついていて、体をおきざりにしてるいるよう。おきざりにされた体が、かってにすべきことを進めているみたい。


「──鳥海先輩の家が、マツキヨの裏のほうって云ってたけど、マツキヨの裏って、花屋さんがあったよね? あの一帯いったいらへんってこと?」


淡々たんたんと作業をこなすようにわたしの口が動く。


「あ、そうそう。花屋さんがあったあたり」


なにごともなかったかのように、いつもどおりな感じにお姉ちゃんが戻った。……ほんと、なにがどうなってんだろう、まったく。


これだから女は──女心と秋の空なんて云われてしまうのよ。

(お姉ちゃんがなにを想い考えているのか、さっぱり理解できない!)


「それじゃあわたしは、あのへん一帯に行って〝鳥海〟の表札ひょうさつを見つけては、ピンポンをしていけばいいのね」


「──え、ほんとにやるの!」


「やるよ。……あのへん一帯が〝鳥海一族〟でないかぎり、そう件数はないと思うよ。せいぜい、二・三件でしょう。──楽勝よ」


「楽勝って……。あのね、そういう問題じゃなくて、どうしてそこまでするのかが、私には理解できないなぁ。


 紫穂は鳥海くんのお墓の場所がわかれば、それでいいんじゃないの? 早ければ──まあ、時間があったらだけど──明日、友達に訊いてみるから、ちょっと待っててよ。


 いくら紫穂が時間がないといっても、二・三日くらいなら待てるでしょう?」


 お姉ちゃんは苦笑いをしながら云った。わたしは自分の未来予想図をほんの数日先までたどってみた。……たしかに、二・三日中には、わたしは死なない。


「──うん、待てる。でも、だからといって、あんまり先延ばしにしてほしくないの……。勝手でわがままで、わけのわからない云いぶんなのはわかってるけど──わたし、怖くて」


これ以上、鳥海先輩を傷つけたくない。彼が傷つく顔をみたくない。「なるべく早めにお願い。──お姉ちゃんもいろいろとたいへんな状況なのはわかっているけど……あぁもう、わたしってほんとうにサイテーだね」


 手のかかる二人の子持ちのお姉ちゃんに、こんなお願いをするなんて。ほんとどうかしてる。


「……まあ、ほんとたいへんな時に、紫穂はなにを云っているんだろうとは思うよ」お姉ちゃんが本音を口にしてる。「私は仕事をしてなくて、育児だけだからまだいいけど──そう思うと、紫穂はよくやっているよね。ほんと、どうやってるの?


 ──でも紫穂がこんなふうに私を頼ってくるなんて、めずらしいじゃん? ──はじめてだよね? 紫穂がこんなふうに私を頼りにするなんて。


 あんたはいつも自分一人でものごとを決めちゃって、どんどん一人でぱしって行っちゃってたじゃん──私の話しに耳もかさずにさ──そんなあんたがこんなふうになるなんて、『あぁ、これはほんとになにかがあるんだな』って思うじゃん。


 だから……しょうがないから友達に訊いてあげるけど、なんであんたはそこまで鳥海くんにこだわるの? そこを教えてよ。


 どうしていまになってそこまで鳥海くんにこだわるの?」



 わたしはお姉ちゃんの質問にびっくりした。──どうしてまだわからないの? ──どうしてお姉ちゃんにわたしの気持ちが伝わっていないの? もうぜんぶ話したはずなのに。



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