Gaslighting ②


 わたしが黙っていると、お姉ちゃんはしびれをきらせたのか、つづけて口を開いた。


「なによあんた……まさか。鳥海くんにはバレていないとでも思っていたの?」


 息を止めてるわたしの気配を感じとったお姉ちゃんが〝はっはーん〟と合点がてんをいかせて、せせら笑った。


「だからあんたは中学にはいってすぐ、なったんだねぇ──大好きな鳥海くんのために。大好きな鳥海くんに好かれたくって!」


お姉ちゃんは口調をさらにトゲトゲしくさせて〝大好き〟を連呼した。なんだかすごく恥ずかしい! でもってすごく屈辱的!


 わたしが恥じらいで口をあたふたさせているあいだも、お姉ちゃんのめ口調はとまらなかった。


「けど、残念だったねぇ。鳥海くんはとっくのとうにあんたの本性を知っていたんですう。

 あんたは入学前から有名人でしたからぁ。『──凶暴な一年が入ってくる』って」ここでお姉ちゃんは「ふふん」と鼻をならせて笑った。「……このことは鳥海くんの耳にもはいっていたはずだよ。


 私はそんな噂のおかげでとばっちりを受けて、からかわれるし、ほんっと、いい迷惑だった! ──あんたは中学にはいってから、いくらしようとも、鳥海くんはあんたの暴力的なところを知っていたわけ! おわかり?


 ──紫穂、悪いことはできない仕組しくみになっているんだからね。なにか悪さをすれば、それがぜーんぶ自分にかえってくるんだから。これにりたら、あんたもこれからは〝まっとうな生きかた〟を心がけることだね!」


 ……うわ~、どうしよう。すごいグサリときた。

 ……〝凶暴〟だって。すごく懐かしい言葉の響きを聞いた。

 ──凶暴。

 たしかに、そんな時期もあった。

 ていうか、わたしはその時期のほうが長かった。


 というか……やっぱり噂になっていたんだ。……鳥海先輩の耳にも、はいっていたんだ。……どういう云いまわしではいっていたんだろう。……あぁ、すごい、ショック。


 てかお姉ちゃんはきゅうにどうしちゃったの? 現在進行形な云いかたをしているけど、わたしの暴力的な時代なんて、とっくのとうに終わっているじゃない。


 わたしたちはもう立派な大人になっているわけなんだから。

それなのに、こんな云いかたをするなんて……なんだかまるで……当時のお姉ちゃんそのものって感じ。


 わたしはお姉ちゃんよりも先に──ずいぶん先に──まともな人間になって、まともなことを云う大人になったのに──。


 姉妹なのに、逆転した成長差のある事実を、お姉ちゃんはこのとしになってやっと受けいれた。そしてそんなわたしをアテにして、ちかごろずっと相談だとか愚痴をわたしにこぼしてきたのに──。それを、忘れてしまったの?


 このあいだの長電話では、わたしがお姉ちゃんに〝親としての生きかた〟だとかをアドバイスしていたのに、それなのに──ほんと、きゅうにどうしちゃったわけ?


 ──あれかな、記憶をさかのぼりすぎて、いまの自分の意識があのころの自分の意識とリンクして、タイムスリップしてしまっているのかな?


 だとしたら、いまのお姉ちゃんの頭からは最近の出来事がすっぽり抜けているわね。


 ──でも、お姉ちゃんがいま云ったことは、はからずも……まとを射ている。〝自分に還ってくる〟だとか、〝まっとうな生きかたをする〟だとか。


 わたしはいま、そのためにお姉ちゃんに電話をしている。

 ──まっとうな生きかたをするために。

 とはいえ、これだけは──いっこだけは訂正させて!


「あのねお姉ちゃん、これだけは訂正してほしい。──お姉ちゃんは、わたしが中学にはいってから、しおらしくなったって云ったけど、わたしの暴力的なところなんて、そんなものは小学生でおわらせていたから。


 だからそこに、鳥海先輩は関係ない。断言する。


 お姉ちゃんだって覚えてない? わたしがケンカばっかりしていたのは小学校五年生までだって。わたし、六年生からはケンカはいっさいしていないから」


「ええー! そうだっけ!」お姉ちゃんが抗議の声を大にしてあげたけど、わたしは負けじと強めの口調でいさめた。


「──お姉ちゃん、わたしの話しはまだおわってないから。これだけは最後まで云わせてちょうだい。


 ──わたしは六年生の一年間で、ケンカは一度もしていない。わたしはその一年間を、中学にはいる前の準備期間としてつかったの。


 しかもこのことは、小五のときに大変なお世話になった担任の先生といろいろ話しあったうえで決めたことでもあるし、わたしはその一年間をつかって、自分のなかの暴力的な一面と向きあった。


 ……ケンカをやめたのは、べつの計画を遂行すいこうするためでもあったけど、とにかく、いろんな理由がかさなってケンカをやめたの。


 中学のときだって、わたしはケンカを一度もしていないでしょう?

 お姉ちゃんの耳にも届かなかったはずだよ。──わたしがまた『ケンカをして暴れまわっている』って。だからお姉ちゃんは中学のとき、妹のわたしの不始末が原因で恥をかかずにすんでいるはずなの。──そうでしょう?」


「……まあ、そう云われてみれば、そうだけど……」

お姉ちゃんは納得のいかない感じで返事をした。けどわたしは、お姉ちゃんがわたしに対する思いちがいを少しは訂正してくれれば、それでいい。


「……云われてみれば、そうでしょう? だからわたしは、鳥海先輩がいようといまいと、中学では始めから〝おとなしく〟するつもりだったの。そこに鳥海先輩は関係ない」


「ふーん。あ、そうっ!」

あ、お姉ちゃんがへそを曲げた。すっごく冷たいあいづちを打って──あとはおなじみの無言をつらぬきとおし始めた。


 ……お姉ちゃんも、そこはあいかわらずなんだなぁ。……わかりやすい。

 っていうか、なんでへそを曲げたの? ──ま、いっか。

とにかくお姉ちゃんの機嫌をなおさなきゃ。不機嫌のままだと寝つきが悪くなって、お姉ちゃんがますます寝不足になっちゃう。


「あのねお姉ちゃん。わたしはお姉ちゃんとケンカがしたくて電話をしているんじゃないからね」

譲歩じょうほしているのが伝わりやすいように、かなりの低姿勢で云った。


「へぇ、そうなんだ! そんな感じはしないけど!」

つっけんどんに返された……。う~ん、困ったなぁ。


「……だってそうでしょうよ、お姉ちゃん思い出してよ。わたしに残されている時間がすくないかもしれないってことを」


「えぇー、それだって、けっきょくは紫穂の勘違かんちがいだったんじゃないのぉ?」


お姉ちゃんが完全に、わたしをき放しにかかったのがわかった。

 わたしは目をとじて、自分に〝冷静になれ、売られたケンカを買うな〟と云い聞かせた。


「……お姉ちゃんはきっと、このまま話しの流れをケンカにもっていって、早く電話を切りたいんだよね。そしてまた一カ月以上、音信不通にするつもりなんでしょう? 


 お姉ちゃんは気にくわないことがわると、すぐそうやって無視にはいる。お姉ちゃんはお母さんの文句をよく云うけどさ、お姉ちゃんのそこんところは、お母さんにそっくりだよね」


「──はぁあ?」


お姉ちゃんがいよいよほんとにぶち切れそう。──怖い。でもわたしはひかないから……!

「だけど今回ばっかりはそうはさせないからね。

わたしには、ほんとに時間がないんだから。

お姉ちゃんが音信不通をきめこんでるあいだに、わたしは死んでしまうかもしれないでしょう? もしそうなったら後悔するのはお姉ちゃんなんだからね。

『あのとき、紫穂の話しをもっとちゃんと聞いておけばよかった』って、後悔するはめになる。


だからお姉ちゃんがそうならないためにも、わたしはこのケンカっぽくなってる雰囲気をなんとかしたいし──わたしは自分の最期のためにも、お姉ちゃんと仲のいい姉妹のままでいたいの。


ケンカしたままおわりだなんて、そんなのいや。お姉ちゃんお願いだから──このままの状態で、電話を切らないで」



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