第四章 Distorted sisterly relationships

Happy Birthday ①


 夏樹と会って話していた時間は、せいぜい二十分くらいのはずだった。それなのに、そのたかだか二十分で、わたしはずっとここに──胸の奥のここに、重みと苦しみ、悩みを持つことになった。


 わたしのこれまでの人生の、たいはんの時間を悩ませ、苦しめてる。

 

 でも、ようやくこの苦しみの日々に終わりをみいだした。

 ここまできて、やっと、人生を──生きかたを──かえることにしたの。

 

〝生きかたをかえる〟とは、運命にしたがうということ。とても受けいれがたいけど……もう、どうにもならないのよ。


 運命にさからうのは、いがいと容易たやすかった。

 運命に従うのも、それはそれで簡単だったはずなのよ。──だって、もう決められた人生をあゆむだけの日々なんだから。


 わたしは、そんなのつまらないと思った。運命どおりに生きていくだなんて、そんなのは

〝親がいたレールの上を走るだけ〟

あやつり人形のようなもの〟じゃない。


 せっかくまれたのに、楽しく自由にやりたいわたしが、運命なんかに従ったら、それができなくなるじゃない。


 だからわたしは運命に逆らうのを選んだ。

 けど、それももうおわり。


 ……運命に逆らったその先の景色けしきが見たいと思っていたけど、いま、それを見てる。


 その先の景色は、たいそうな絶景ぜっけいが広がっているものだと、信じていたのに──絶望ばかりだったなんて……。


 「ここで、わたしの人生はおしまい」そう思った。……ある意味では、夢はかなった。

運命に逆らった結果がどうなるか? なんて、そんなのを知れる──経験できる──人は、この世に一握ひとにぎりもいないんじゃないかしら。


 選択の勝者のよろこびを感じると思っていたのに……ぜんぜん見当違けんとうちがいもいいところ。

なによ、これ。もう、死んでリセットしたい。──そう、ゲームみたいにね。でも現実は死ぬに死ねない状況よ。


 だから、生きかたをかえざるをえなかった。


 ──なにより、わたしはこんなに死にたいと思っているのに、〝死にたくない! まだ生きたい!〟と、大声をだしてさけんでいる自分もいる。

……そんな自分に、ほとほとの嫌気いやけを感じる。

こんなになってもなお、まだ〝せい〟への執着があるだなんて。なんて未練みれんたらしいの。


 嵐の大海原おおうなばらで船が転覆てんぷくするってときでも、わたしは船に必死に──死にものぐるいでしがみついている。

いくら天や地が〝死ね〟と叫んでも、わたしは船から絶対にふりほどかれない。

船が海の藻屑もくずに消えようとも、わたしは船の残骸ざんがいでもなんでもいいからそれにつかまって、生きびようとする。

嵐をのりこえ、何日も漂流したとしても、「助かる」「生き延びる」という選択肢を頭からはなさない。

〝願い〟とか〝希望〟なんかじゃない。これは〝絶対〟なのよ。

わたしは、なにがなんでも生き延びる。死にたくない。死にたくない! 死んでたまるか!


 窮地きゅうちに追いこまれるたびに、わたしはこうやって生き延びてきた。

──いまもそう。わたしは、わたし自身が死にたがっても、が死なせてくれないのよ。


 だから、生きかたをかえざるをえなかった。


 生きかたをかえる手はずとしては、まず手始めに、一番近しい人──すなわちお姉ちゃんに電話をして、素直になる。

いままでひた隠しにしてきた想いや、大切に胸にしまってきた真実のできごとを、あらいざらい話す。


 つぎにすべきことは──瞭然りょうぜんだ。鳥海先輩の、お墓参りに行く。

 鳥海先輩の死を受けいれるのは……たえがたい。苦しい。

 でも鳥海先輩が待っているかもしれない。──近頃ちかごろでは、呼ばれているような気さえする。

 もう逃げない。わたしは逃げない。

 いままでは運命から全力で逃げて駆け抜けてきたけど、こんどは運命に全力でたちむかっていく。


(──こうなるんだったら! けっきょく、運命にしたがう生きかたを選択せざるをえないのであれば! 最初からこんなことになると──鳥海先輩を失うと──鳥海先輩と向き合わなくてはならないと──わかっていたのなら、わたしは運命に逆らったりはしなかったっ!

 なによっ! ──こんなのって、あんまりじゃないっ! あんまりじゃないのよ……!


 わたしは涙にあけくれた。……でも、もう遅い。そうよ……なにもかもが、遅すぎたのよ。


 気づくのも、運命にたちむかうのも、なにもかもがおそすぎた。

 それでもまだ、やれるすべが残ってる。わたしにはすべきことがある。やり残していることがある。それらがわかるから、遅くなってしまったとしても、わたしはこれらをやりとげなければならない。……それが、運命や宿命さだめというのならば)


 わたしはお姉ちゃんに、鳥海先輩の訃報ふほうを告げられたときの、夏樹との会話のあらましを話した──ふれてはならない秘密の箱だけは避けるようにして。


 お姉ちゃんは、わたしの秘密の箱を知っている。──箱のなかに、なにがひそんでいるのかも。だから、苦痛をともなう話しをする必要はない。

 ……それに、お姉ちゃんと電話で話していられる時間は限られている。お姉ちゃんなら──わたしたちは姉妹だから──ことこまかに話さなくても、わたしの気持ちをだいたいわかってくれる。

 というか、わからざるをえないのよ。

 こんな大きな運命のかわの流れにのるのだから。

 いやがおうでも、ありえない様々なものを見聞みききすることになる。


「……ふーん。紫穂は、そうやって聞いたんだ」お姉ちゃんはなにごともなく、普段どおりの平然としたようすで相槌あいづちを返してきた。「私が聞いたときはね、たしか……えーと、そう、ハヅキが電話してきたんだ。『サッカー部の鳥海くんが亡くなっちゃったんだ。どうする? お葬式に行く?』って。

 私、誘われたんだけどさー、その時の私はバタバタしてたから……えっと、なにでバタバタしていたんだっけ? 紫穂はそのころの私がたいへんだったって、覚えてる?」


 正直なところ、覚えてはいない。おもいだせというのであれば、憶いだすけど。……というか、お姉ちゃんは、どうしてこんなに軽い調子なんだろう。

わたしはこんなにも思いつめているっていうのに。


 やっぱり他人様ひとさまにとっては、とるにたらない、ありきたりな、よくある人ひとりの死でしかないのだろうか。

 それとも、わたしが異常なのだろうか。……わたしにだけしかわからない……わたしの身にしかおきえない感情なのだろうか、これは。


「だいだいのおおまかなことなら、覚えているよ」わたしは記憶を掘りさげて、当時のお姉ちゃんのようすを憶いだした。「お姉ちゃんは御厨町みくりやちょうのアパートに住んでいて、そこで当時、結婚していた旦那さんが〝おつとめ〟から帰ってきて、いっしょに暮らしはじめたころなんじゃなかったっけ?」


「あ! そう、そう! 紫穂よく覚えてるね~。そうだよ、そう! ──ほんと、あのころはたいへんだったよね~。あのとき、向こうの家族がへんなことを云いだして、もめたんだ。

 だから私、旦那と御厨町のアパートに引っ越したんだ。……そう、引っ越してバタバタしているときだったのに、ハヅキが電話してきたんだ。……私もお葬式には行きたいなって思ったんだけど、段ボールの荷物が散乱しているでしょう? 喪服もどこにしまったかわからなくなっちゃってるのもあって、けっきょく私は行かなかったんだけど、ハヅキは行ったみたいだね。あのとき、ハヅキがつき合っていた彼氏がサッカー部だったから。

 ハヅキが云うにはさ、『なんでも、立高たちこうのサッカー部が動く、おおがかりなお葬式になるみたいだから、来たほうがいいよ』って云ってた」



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