Runaway ⑮


 わたしはその子がお気に入りで大好きだったから、すごく寂しかったのを覚えてる。


 ──その子の第一印象も、はっきり覚えてる。

……薄暗い階段からそぉ〜とりてくる、青白くてほそっこい不気味な男の子。

はっきり云って、座敷ざしきわらしみたいだった。


 その記憶が、一瞬だけど鮮明によみがえった。


 ──それにしても。

鳥海先輩が小学生のときに手術をしていたのなら、中学でうわさになるにきまっているじゃない。

他人ひとのことを一から十まで知らないと気がすまない人たちの、思春期の集団だったんだから。


「ああ、そうだよ。小学生のとき……だと思う」

夏樹がなぜか、たじろいで云った。

 わたしは夏樹に、いろんな意味での疑いの眼差しをむけた。


「……ねえ、手術の傷跡を見せるって、いったいどういう状況だったのよ」

鳥海先輩の胸を見たわけなんでしょう? はだけている胸を。


「──なんだよっ。オレは、べつに、へんなことはしてないよ!」

わたしが憤慨ふんがい動揺どうようをしているのを見てとった夏樹が、よそよそしく云いした。

「──オレから見せてって頼んだわけじゃないんだ。──えぇ~っと、どんな流れだったっけかなぁ。──あぁ~、思い出せないなぁ。──とにかく、へんな状況じゃなかったのは確かだ!」


 わたしは夏樹をすがめ見た。


「……まあ、鳥海は、仲のいいやつにしか、話していなかったかもな……。人に弱みを見せるようなやつじゃなかったし……」

かくかくしかじかといった具合に云いわけしてる。

「その話しって、ほんとうなの?」

「──ほんとうだよ!」夏樹はグラスをテーブルにもどすと、両手をぱっとひろげて手のひらをわたしに見せた。「なんだよ、オレがうそをつくかよ! 失礼だなあ。…──あ! 思い出した!」そしてひろげた手をポンとった。

「部活でサッカーしてるとき、あいつ、いつもコソコソ着替えていたから、それで訊いたんだ『なんでそんなにコソコソしてるんだよ』って。

だって気になるじゃん。あんな着替えかたをしてるの、毎回見せられたらさ。


 そしたら、みんながいなくなってから、こっそり教えてくれたんだ。『この傷跡のせいなんだ』って。オレ、それ見たら納得しちゃったよ。──たしかにコレは気にするなって」


「え、ちょっと待ってよ。──部活が、サッカー?」

「え? そうだけど?」

夏樹はきょとんとして云った。

……いやいやいやいや。鳥海先輩が、サッカー? ……彼がボールを追いかけて走っている姿が、ぜんぜん想像つかないんですけど。


「鳥海先輩が、サッカーなんてしてたの?」

わたしはもはや、半笑はんわらいになって訊いた。

「……え、してたけど」

「まじめに、サッカーをしていたの?」

「なんだよ……。してたよ」

夏樹はいいかげんにしろよと云いたげだ。

 わたしはここで、はあーあ、とため息をついた。なんだか肩の荷がおりたよう。


「あのねえ、鳥海先輩がサッカーをまじめにやるなんて、ないから。だってあの人、中学のときハンドボール部の幽霊部員だったんだよ? そんな人が、サッカーなんてやるう? ──あれかしら、高校に行ってから、まじめにやるようになったのかしら」


それはそれで有りうるけど、ここまできたら、わたしはいよいよ夏樹をうたがいだした。──ほんとうに、同じ鳥海なのか? と。

だけど今度は夏樹が抗議の声をあげる番だった。


「はあ? 鳥海がハンドボール? なんだよそれ。そっちのほうがおかしいだろう。あいつは中学のときからサッカーをしてたよ。ハンドボールのほうがありえないだろう」


 きっと、夏樹はうそをついていないと思う。だったら、紐づけされる結論はひとつよ。


「じゃあやっぱり、鳥海さんちがいね!」

「──はあ?」

「だってわたし、鳥海先輩が心臓を悪くしていただなんて、聞いたことがないし、それにわたしは、鳥海先輩が部活でハンドボールをしているのを見たことあるのよ。


 サッカーをしているところなんて、一度も見たことがない。だからきっと、別人よ。──そうよ。わたしのほうの鳥海先輩が死ぬわけないもん」


ちょっとひどい云いかただったかなあ、とは思うけど、ここは大目に見てもらうわよ。──だって、ここまできて別人だっただなんて! ほんと、信じらんない。こんなのってある?


 わたし、すごい真剣に考えて、それこそ死にそうなくらいどん底に落ち込んだのに、これがぜーんぶ、人違いになるなんて!

 ──でもよくよく考えてもみれば、別人でよかったのよ。ほんとうに、心からよかったと思う。


わたしはいまだかつてないほど、死にそうなくらいイヤな想いをしたけど、鳥海先輩が生きているなら、彼が無事ならそれでいい。ああーもう、ほんっとう、夏樹にはお騒がせさせられたわ。


「おまえ……いまさら、なに云ってんの? ここまできて、別人なわけがないだろう」

夏樹が愕然がくぜんとして云った。


 たしかに、いろいろとひっかかるところがあるわよ。わたしの心臓だって、まだやかに鼓動を打って、イヤな予感を必死に投げかけてくる。

でも、わたしは自分の目で見たものしか信じない主義だし、ちがうものは違うのだから、しょうがないじゃない。っていうか、もう違うままにしておいてよ。


 わたしはまたため息をついて、夏樹にこの話しの終わりを告げた。


「ほんと、まったくもってそうよ。ここまできて別人だっただなんて──もうサイアク」

「紫穂さーん、お願いしまーす!」

ボーイから大きな声で呼ばれて、わたしはびっくりした。


 そうだった。わたしはまだ仕事中だったんだ。なにをやっているんだろう。いつもどおりに振舞ふるまわなくちゃ。


「サイアクなのは、おまえだよ」

夏樹が、せいぜい軽蔑けいべつをこめた眼差まなざしでわたしを見た。


 わたしの胸の奥の重みの結晶がズキリと悲鳴をあげたけど、無視した。


「呼ばれたから、わたしもう行くね。……つぎにくる子は、わたしみたいにサイアクな子じゃなくて、かわいい子がくるよ。〝呼び込みのお兄さん〟の云うとおり、うちのお店にはきれいでかわいい子ばっかりがそろっているんだけど、

夏樹はわたしでハズレを引いちゃったね。……ごめんね」


空々しくならないように気をつけながら云った。自分でも、無意味なピーアールをしているなあと思った。

逃げ腰になっているのも、感じていた。胸の奥がダメだ! って、大声で叫んでいるのにも気づいていた。でも、わたしはすべてにそむいた。──すべてから逃げたかったし、認めたくなかったから。


「ご馳走さま」

わたしは一方的にグラスをわした。

「──なあ、ちょっと待てって。まだ話してないことがあるんだ」

「でも、呼ばれちゃったから……じゃあね」

腰をあげて立ったところで、夏樹がわたしの手首をつかもうとして、その手をひっこめた。



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