Runaway ⑬


「そぐわない口の悪さで申し訳ないなとは思うけど、わたしは、彼女の未来を考えたら、それでよかったんじゃないかなって思うよ。


──だって、いまはつらいかもしれないけど、一生ひきずる重みを背負うよりかはラクじゃない。──まあ、最近の若い子は気持ちの軽い子が多いから──あぁ、べつに、その子が軽いって云っているわけじゃないのよ。あくまで、一般論としてよ。


──だから背負う重みとかもなく、数年後には新しい彼氏でもつくって、幸せに笑っていると思うよ。


ひょっとしたら、一年もたたないうちに新しい恋をみつけているかもしれない。……人なんて、そーゆーもんよ。


 でもそれが悪いことだとは思ってない。

生きていくには、前に進まなきゃいけないし、そーいう気持ちの切り替えとか、新しく再出発することとか、必要でしょう?


もう死んでしまった────…人に、一生たましいしばりつけられて生きていくほうが、よっぽどつらいじゃない。


 だから、そうならないためにも、彼女に新しいパートナーができたとしても、わたしは責めたりしない。『おまえ、鳥海と結婚する約束をしておいて、あんなにさんざん泣いていたくせに、もうちがう男かよ!』なーんてことも、云ったりしない。


 鳥海先輩だっていっしょよ。鳥海先輩もきっと、彼女に新しい彼氏ができても怒らない。責めたりなんかもしない。

むしろ、彼なら安心するんじゃないかしら。


『おれをおいていっても、幸せになるんならそれが一番いい』って。──ていうか、鳥海先輩に彼女がいたんなら、その日、鳥海先輩が荷物を用意していて、どこかへ行くようすだったのって、その彼女とどこかへデートするはずだったんじゃないの?」


おだやかに話していたのに、最後のほうは投げやりな云いかたになっちゃった。……やっぱりダメだな、わたしって。


「──そう、そこなんだよ!」

夏樹がきゅうにはりきって声をあげた。……びっくりしたぁ。

「おまえも、やっぱ、そう思っただろう? オレも、そう思ったんだよ」

「彼女とのお泊りデートなんだなって?」イヤミったらしくならないように云った。

「おまえ、このおよんでおもしろいな」夏樹がクックッと笑ってお腹をおさえた。「でもな、いまは笑い話しをするのは置いておこう」


 夏樹はいったんしゃべるのをやめて、わたしの背後を見た。するとすぐに、

ほうきとちりとりを持ったボーイがわたしたちのテーブルにきた。


「お邪魔をしてしまい、申し訳ありませんね」

なんだか不機嫌そうにボーイは形ばかりの謝罪をした。

そしてわたしが割ってしまった灰皿を、ちりとりのなかへもくもくと掃きいれていく。

 わたしはボーイの顔色をうかがいながらあやまった。


「割っちゃってすみません。……それから、かたづけてくれてありがとうございます」

「いえ、とんでもございません。──それでは、どうぞごゆっくり」


ボーイは裏へひっこむと、ガラスの破片をゴミ箱にぶちまける音をたてた。まるでわざとホールこっちにまで聞こえてくるように。

 普段なら、こういったたぐい無粋ぶすいな大きな音は、たてないように振舞ふるまうはずなのに……。どうしたんだろう。


なんか、怒ってない?

わたしがボトルのオーダーをとらなかったから、それで機嫌を悪くしているのかなぁ。……たぶん、そうだ。

でも、夏樹からはもう、オーダーはとれないよ。そんな気分にはなれない。というか、もうお客として見れない。


「でさ──」夏樹は眉をよせて、真剣そのものの顔になって続けた。「オレも彼女とどこかへ行く予定だったのかなって思って、で、彼女にも訊いてみたんだよ。その日、鳥海とどこかへ行く約束をしていたのか? って。


 そしたら『してない』って云うんだよ。『そんな約束はしていないし、その日は会う予定もなかった。トリミンがどこかへ行こうとしていただなんて、そんな話し聞いてもいないし、ぜんぜん知らなかった……! ──なにっその話し! トリミンはどこに行こうとしていたのよ! ──なによ! だったら走り去ったもう一台のバイクって、そいつと関係があるんじゃない! 誰よ、そいつ! ぜんぶそいつが悪いんじゃないの!』って、泣かれちゃったんだけどさ……」


 夏樹がまた頭をがしがしとかいて、そして思いつめた眼差まなざしをわたしにむけてきた。

……その眼差しを見るわたしの目も、きっと夏樹と同じような眼差しになっているにちがいない。──呼吸、呼吸が、とまってる。わたしの、呼吸が……。息が……。


 耳の奥で、夏樹の云ったことが反復してこだましてる。


〝──そいつと関係があるんじゃない!〟

〝ぜんぶそいつが悪いんじゃないの!〟


 息を、しなくちゃ。……おちつくのよ。

 わたしだって、そんな約束していない。……連絡だって、とっていないんだから──。


 それに……どうして、また、こんなことに、なっているのよ──。

 これはさっき、おわった、ばかりじゃない……。


 ……あぁ、そうか……。わたしが、彼女の話しを、ふったから……。

──どうして。──どうして、息が、できないの!


「あのさあ、オレ、思うんだけど──その日、鳥海がどこかへ行こうとしていたのって、おまえといっしょに行こうとしていたんじゃないのか? ──だって、彼女は知らなかったんだぜ?


 仲のいいバイク仲間は知らされていたのに、彼女は知らなかった。なあ、おかしいだろう。だったら誰と行こうとしていたんだろうって、そう思うじゃん!


 それに、いまのおまえの話を聞いてたら、オレ……なんだろう、なんかくやしいけど──おまえと鳥海って、なんか似ているなって思ったよ。特別なんだな……って。

なんていうか……こう、うまく云いあらわせられないけど、そんな気がしたんだ。

…──おまえさ、ほんとうに、なんにも、心あたりがないのか?」


 わたしはゾッとした。心底ゾッとした。手だけじゃない。肩も、脚も、身体中ぜんぶがふるえてる。


 …────白の、車──。

メルセデス、ベンツ。


──夜。蒸し暑い、夜。



〝──そいつと関係があるんじゃない!〟

〝ぜんぶそいつが悪いんじゃないの!〟



 息が、息が……息……!



「……ない。……心あたりなんて…──ない」

「──っ! ────そうかよっ」

夏樹が、げんこつのにぎりこぶしをソファにあてた。ほんとは、もっと強く叩きたかっただろうに……。


 わたしの胸の奥の、ちいさな結晶にした重みが、身体中ぜんぶにひろがってる。

 息が、苦しい──。

 ──どうして。なんでなの。


 わたしは肩をかかえて、うつむいて、目をぎゅっととじた。


 ────可能性。──可能性のためだけに、わたしは、傷をえぐられなきゃならないの?


 いろんな人から、ねほりはほり訊かれて、こころもとない言葉も云われて、そしてわたしはまた傷ついて、傷のうえからまた傷ついて……。

ひどく深い傷になって、わたしは死んでしまうのに、それでも、いいと云うの?

 わたしが死んでも、なんの問題もないと、そう云うの?


 …──いやよ。


わたしは、死にたくない。死にたくない。誰がなんと云おうと、死にたくない。生きるって、きめたんだから!


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