Runaway ⑪


 ドキドキと冷たく脈打つ心臓の鼓動を感じながら、わたしは夏樹に訊いた。


「ねえ、死んだのが──」直感が告げるいやな感覚を確かめたくて訊いたけど、言葉がとぎれた。

〝死んだ〟と云うのには、息がとまる苦痛がある。「……ちょうど一年くらい前なら、事故も一年くらい前なんだよね?」


わたしは息をとめたまま、最後まで云った。

云いきってから、肩と胸で呼吸している自分に気づいて……気が遠くなりそう。


 視界がブラックアウトしそうだったから、ジュースを飲みほして、気をたもとうとした。

夏樹がそんなわたしを見て、目を白黒させてる。


「ねえ、夏樹って、タバコ持ってる?」

「え! ──ああ、持ってるよ。……え、なに? おまえって、タバコ吸うの?」

「──たまにね」そっけなく応えて、夏樹がカーキのシャツのポケットから、のろのろとつっかえながらタバコを出すのを待つ。


 やっと見えたタバコは、赤のマルボロだった。

 赤の、マルボロ。きらいだなあ。

 このさいタバコの銘柄なんて、関係ないか。意識さえたもてれば、なんだっていい。


 わたしは夏樹がだしたタバコをぶんどるようにとると、さっそくタバコを吸おうとした。……手が、すごくふるえてる。

 それなのに、こんなときなのに、なんだって夏樹は、ソフトケースのタバコなんか吸っているのよ! タバコ一本が取り出しずらいじゃないの!


 タバコがつまみとれないから、テーブルの上でケースをふるって、ようやく一本を出して口にくわえた。


 ……ライター。わたしのライターは、こんなときに、よりによって、着火装置が押しまわすタイプだなんて。手がふるえていて、うまく着火できない。


 なんどかトライして、イライラしてきたところで、夏樹がわたしの手にそっとふれた。

 わたしの手からライターをとると、火をつけてくれた。


 わたしはありがたく、その火にタバコの先をくっつけて、肺いっぱいにタバコを吸った。

 夏樹もわたしにつられたのか、タバコに火をつけて吸いだした。夏樹は煙をただよわせながら、重苦しそうに口をひらいた。


「それにしても、おまえって、ほんとうになんにも知らないんだな。鳥海の事故は、もっと前だよ。……二年か? いや、もっと前か。

 あいつ、事故ってもすぐには死ななかったんだ。がんばってたよ。オレ、何度か見舞いに行ったから……わかる。

 医者は『植物状態で、助かるみこみはない』ってさじをなげていたけど、オレはそうは思わなかった。家族も同じ思いだったよ。『助かるんじゃないか』って。『テレビでたまにやっているような奇跡がおこるんじゃないか』って、そう思ってた。……けど、ダメだったな」


 ──は? なに? 頭が……ショックでぼんやりして、うまく理解できない。


 わたしはもう一口タバコを吸った。


 ──え? 鳥海先輩が、すぐには死ななかった? ずっと……苦しんでいたの? 植物状態? えぇ?


 事故が、二年か、もっと前?

 わたしが、十九歳……十八歳のころ? ──え。


「──ねえ、ちょっと待って。事故は、いまから二年くらい前なの? それとも、いまから三年くらい前?」


 夏樹が眉間にしわをよせて、タバコを吸った。そして煙を吐きながら意味深に云った。「いまからだと、三年か四年くらい前になるか」


 わたしの足もとに、大きな穴があいた。ガラガラと、大地もわたしも下に堕ちていく。意識も、下に吸いこまれる。


 ……そんな。そんな。ありえないわ。


「──なに、おまえ、なにか知ってるの?」

 ……夏樹は、かんがするどいの? それとも、鳥海先輩のことだけにかぎり、かんが働くの? わたし、顔になにか出てた? ……でも、どっちでも、なんだっていい。


 わたしは、首を横にふった。──NOと。なにも知らないと。

 ぜったいに、ありえないから。


「……そっか。知らないのか。──だったらさ、なにか思い出したら云ってよ。オレ、あきらめきれていないからさ」

 胸の奥で、ちいさな結晶にした重みがふくらんで、胸が重くなった。──吐きそう。


 わたしは茫然として、タバコをただふかした。吸いたいんじゃない。なにかの動作をしていれば、生きている気がするから。がらなんかじゃないと、そう思えるから。


「そういえばさ、長電話の相手って、けっきょく誰だったの? 鳥海先輩の仲間が、走りに行こうって誘ったのが、その電話だったの?」

 信じられない。わたし、ふつうにしゃべってる。自分じゃない、ちがう人がわたしのなかにはいって、口を動かしているみたい。


「ああ、あれね。あれは、バイク仲間じゃなかった。電話をかけた時間がぜんぜん違ったんだ。あいつらは、そんな昼間に電話してないって。

 けど、それもけっきょく、わからずじまいになっちゃったんだよ。家の着信履歴を見ようにも、事故のあとだろう? 家の人がいろんな人に──親戚とかな──電話したし。受話器を置いたら、ひっきりなしに電話が鳴ったんだって。……ほら、あいつ、人気者だったから。だから鳥海が事故ったって聞きつけたやつらが、つぎつぎと電話してきたんだ。『鳥海は、大丈夫なんですか!』って。

 まあ、オレもそのうちの一人なんだけどさ──。

 それで警察は電話会社に依頼をだして、着信履歴を過去最大にまでさかのぼらせたんだ。……見つかったよ。あやしいのが、ひとつ。でも、使い捨ての携帯電話からだった。それで、行き詰まりだよ。……やってらんねえだろ?」


「警察がまともに捜査してくれなかったのに、家族の人は、それで黙っていたの?」


「いや、黙ってはいなかったよ。自分たちの子供が、あんなめに遭っているんだ。ちゃんと、云うことは云っていたよ。

 けど、おまえにはわからないんだろうなぁ。──見てないんだから。子供がいつ死ぬかわからない悲惨な状態で、病院の医療費やらなんやら、保険やら。

 ありがた迷惑な親戚の一人が、葬儀屋を紹介するとか云いだしたらしいし。あったまにくるよな。まだ、死んでねーのによ。

 家族は、そういうストレスを毎日かかえてすごしてきたんだ。おまえにはわからないよ。警察にもっとかまいたくても、気力がおいつかねーよ」


夏樹は灰皿にタバコを押しつけて消した。わたしはそれをぼんやり見ているだけだった。


 ……そうね。わたしは見ていない。なにも知らなかったんだから。

 ……なにも見ていない。なにも知らない。

 ……見たくても、見れなかった。……知りたくても、知れなかった。

 ほんとうに大切で、大事なときに、わたしはかやのそとだった。


「…──あっつ!」タバコの火だねがフィルターのところまできていて、わたしの指をちょっと焼いていた。タバコの灰が、テーブルの上にたくさん落ちてる。



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