Runaway ⑨


 わたしの血が、サーっと下に流れでていくのを感じた。

 わたしは……だれとも、連絡をとっていない。

 それが、こんな結果をまねくとでもいうの? よしてよ……。そんなの、信じない。


「なあ、なんで知らなかったんだよ。──すげ~人が集まった葬式だったのに……。おまえだけ、なんで知らないの?」


 すごい人が集まった葬式……。そうよね、あの人が死んだら、きっとみんな集まる。お義理とかなんかじゃなくて、みんなが……。

 でもきっと、鳥海先輩じゃない。だって、まだ若いもの。こんなバカな話ってある?


 だけどそう思ったとき、テレビのニュースで毎年やっている、若者が海難事故死したビーチの報道映像が頭をよぎった。

けどそれもすぐに頭の機能をシャットダウンさせて、消した。……鳥海先輩が、死ぬわけない。

「──いつ、死んだの?」わたしは、死んだ人が鳥海先輩じゃないことを証明する証拠話しを、かき集めることにした。


 夏樹は天井を見上げると「うーん」と鼻を鳴らせて記憶をたどりはじめた。わたしは、ジュースのグラスをジッと見つめて、夏樹が正確におもいだすのを待った。


「ちょうど、いまぐらいの時期だったかな。雨が降って、すげー蒸し暑かったのを覚えてる。人も、ごったがえしていたし……ってことは、ちょうど一年くらいたつのか。そうか……。墓参りに、行かなきゃな……」夏樹が、不安そうにわたしのことを見た。「……いっしょに、行く?」


 は? 初デートが墓参り? そんなナンパ話、聞いたことがない。……バッカなんじゃないの?


「いっしょに行くって、だってまだ鳥海先輩だって決まったわけじゃ……ない、のに──」夏樹が、あわれむ顔をしてわたしを見るから、言葉がとぎれた。

……なによ。そんな目で見ないでよ。やめてよ。それじゃあまるで──…あぁ、よそう。これ以上は考えないほうがいい。わたしは、証拠集めだけに集中すればいいのよ。

「……どうして、死んだの?」そうよ。どうして鳥海先輩が死ななきゃならないのよ。そんなの、おかしいじゃない。

「バイクで、事故ったんだ」夏樹は、砂を噛むように云った。


 ──バイク────!


 わたしは両手で、おでこをおさえて、テーブルに肘づいた。

 ──たしかに、鳥海先輩は、バイクに乗っていた。

 わたし高校生のとき、駅前で見かけたもの。

 みんなで、たむろしていた。

 夜だったのに、くらくてもよくわかるくらいの黒いバイクに乗っていた。……ああ、そうよ。よく覚えてる。

暗くても黒だとわかったのは、バイクがピカピカに磨きあげられていたせい。

駅の明かりや、自動販売機の明かり、街灯がバイクに反射していて、とてもきれいだった。

 黒いバイクのボディには、さし色で赤のラインがあった。

 鳥海先輩は、バイクと同じ黒の革ジャン──ライダースジャケットを着ていて……それが鳥海先輩のくせ毛の黒い髪とすごく合っていて……すごく、似合っていた。


 駅前は、帰宅する会社員や学生でいっぱいで、たむろする鳥海先輩たちは二十人以上いたはずなのに、わたしは直感で、そこに鳥海先輩がいると思った。

 わたしはいつも、たむろしている連中ヤンキーを見かけると素知そしらぬふりをしていたけど、そのときだけは、しっかり見た。

 そして、すぐに鳥海先輩を見つけた。目が、鳥海先輩に吸いこまれる感覚だった。


 彼は、楽しげに仲間と談笑しているようすだった。

 わたしは、鳥海先輩が元気に楽しくやっているのを見て、安心したし、とても幸せな──心いっぱいになる、あたたかいぬくもりの、明るい黄色い光がひろがる幸せな──気分になったのを覚えてる。


 わたしは、鳥海先輩を見かけただけで満足だったから、彼の人生を邪魔しないようにそのまま通りすぎようとした。歩調をはやめたところで、──そう、中学のときの同学年だった相馬そうまに呼び止められたんだ。

八鳥やとり―っ! お~い! こっちこいよ!」って。……人目を集めるほどの大声で。すごく恥ずかしかった。


 ……そのときの、あのバイクが原因で、事故に遭ってしまったというの?


「事故の相手は?」わたしは手で顔を隠したまま聞いた。

 まさか、げなんかじゃないでしょうねえ。もしそうなら、許さない。

「……単独事故、だったらしい。……自爆したとも聞いた」夏樹がにごすように云った。わたしは直感的に、夏樹がなにかにひっかかりを感じているようにも感じた。でも、──でも!


 ──単独事故。

 自爆。


 そうなら、いかりをぶつける相手がいないじゃない!

 死ぬまで、さんざんののしって、罵声ばせいをあびせてやるつもりだったのに!

 その相手がいないなんて、わたしはどうしたらいいの!


 怒りがどっとこみあげて、爆発寸前の怒りにまでふくれあがっても、これを、どうすることもできない。

 どこにも、あてつけられないっ!


 そう思ったとき、わたしは自分を知った。……わたしは、八つ当たりじみたことをしたいだけなんだって。

 怒りをぶつける相手がいれば、鳥海先輩をうばわれた怒りも、悲しみも、途方に暮れる孤独も、喪失感も、痛みさえも、すべてがまぎらわされる。

 わたしは、まぎらわせてラクになりたいだけなんだって、そう……気づいた。


 ……わたしは……どこにも、あてつけられない……。

 だから……わたしは、楽には、なれない……。


 気づいたら、絶望的で真っ黒の莫大な重みが、わたしの頭上に降りた。


 ────苦しい……。息が、できない──!


 …──そうよ! わたしは楽になれない! この先、一生、この重みとともに生きていくんだ……!

 ──こんなのってあんまりよ。あんまりだわ。あんまりじゃないのっ!


 真っ黒の重みが、頭からたれこめて、全身にのしかかった。わたしの深くにまで、真っ黒な重みがはいってくる。


 ……重い。重すぎる。このままじゃわたし、どうにかなっちゃう!

 自分でもどうしたらいいのかわからない真っ黒な重みが、体におさまりきらない。

 わたしは目をぎゅっととじて、この重みが体の中心にくるのを待った。集まるのを待った。それから、ひとつのちいさな結晶になるまで待った。真っ黒の、ちいさな光の結晶。


 ──きっと、こうして宇宙はできたのよ──思考回路の麻痺している脳が、戯言たわごとをささやいた。

 そしたら、重みが消えた。かわりに、むなしさがわたしをつつんでいる。


 わたしは目をあけて、現実ここに戻って、夏樹と目を合わせた。

 それから淡々たんたんと、ひっかかりを消していくことにした。……夏樹はさっき、なんて云った?


「──らしい? らしいって、なに? 単独事故の自爆で──ガードレールにつっこんだか、電信柱に衝突したのかは知らないけど──目撃者がいたの? 誰かと……他の仲間と走っていて、それで、事故がおきたの?」

「いや、それが……わからないんだ」夏樹は苦しそうに頭をかいた。お気にいりのハンチング帽は、わきにおいやってる。



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