Runaway ⑧


「そうね。でも、残念ね。夏樹とは学年が離れていたから、中学のときは会えなかった。それなのに不思議なものね、ここでこうして会えるだなんて! ほんっと、人生ってわからいことだらけ。

 まるで神様がほんとうにいて、サイコロをころがしているみたいじゃない? ほんと、あったまにきちゃう。わたし、そーいうのって、もてあそばれているような気分になって……イヤなのよ。だから全力をだして、力の限り抵抗し続けるけどね。──ところで、夏樹ってほんとうに姫中出身なんだよね? だったら、鳥海先輩のことを知ってる?」


 われながら、先輩風をそらしつつの完璧な前振りからの本題にはいれたと思った。

 夏樹からの返答をウキウキと待つ。でも、夏樹はぽかんとした顔をして、とまっていた。まるで魂がどこかへ飛んでいっちゃったみたいに。


 あれ? わたしの前振り、へんだったかな? あれれ? あぁ〜、れないことをしたから、へんだったかもしれない。それから、ちょっと早口すぎたかも。

夏樹は、わたしの云ったことを聞きとれていなかったのかなぁ?


「夏樹? ねえ、どうしたの? わたしの云ったこと、聞こえてた?」失礼にならないように、そっと云った。


 夏樹は数回、目をパチパチさせると、抜けた魂が体にもどってきたかのように、やっとわたしの目をちゃんと見た。

「ねえ夏樹って、鳥海先輩を知ってるよね?」かさねて訊いてみる。夏樹は、わたしと目を合わせたまま微動だにせずに、口だけをゆっくり動かした。

「鳥海って、あの鳥海だろう? 知ってるけど……。鳥海、あいつもう死んでるよ?」


 ……。

 …──え。


 え、ちょっと待って、この人、なにを云っているの?


「え、なに云ってるの? 鳥海先輩が、死んだ? ……ちょっと、へんなこと云わないでよ。──だって、鳥海先輩だよ? 鳥海先輩が、死ぬわけないじゃない。なに云っちゃってるの?」

「──いや、ほんとうなんだ」低い声で夏樹は云った。

 そして自棄酒やけざけでも飲むようにグラスをあおって飲みほすと、前かがみになって、膝のうえで手を組合わせた。さも〝真剣そのものです〟みたいに。


 ……。

 ……わたしの心臓が、へんなふうに脈打った。


 ……。

 ……あぁ、やだ、頭が真っ白。ぜんぜん働かない。


 …………。


 …………。「またまたぁ~、そんな。あ、もしかしたら、鳥海とりうみ違いかもしれないね! わたしが云ってる鳥海と、夏樹が考えてる鳥海はべつの人物なのかも。それならそれで、べつの鳥海さんが亡くなったってことになるから……それはそれで、気の毒なんだけど……」


「え、だって、姫中の鳥海だろう?」夏樹は眉をよせて、わたしのおつむをうたがうように云ってきた。

「……そうだね。……姫中の鳥海、だけど……」

「だったら、おなじ鳥海だろう、オレたちのいたころのなんて、あいつしかいねえよ」

「だとしても、死んでるわけがないでしょう? ──だって、──鳥海先輩だよ?」


 あぁどうしよう。言葉がつまる。心臓が、へん。


「──あぁ~、もう!」夏樹がきゅうに怒った感じになって、ハンチング帽をとると、頭に爪をたててガリガリとかいた。「なんて云ったら、信じてもらえるかなあ?」

「ちょっと、なにその云いかた。あ! わかった! 死んだことにしたいくらいの相手だったんでしょう」

 そうよ。そうにちがいない。──だって、鳥海先輩はモテていたんだから。みんなから、好かれていたんだから。それこそ、男女とわずだれからも。夏樹はきっと、くやしい思いをしたのよ。

「──おまえこそ、なに云っちゃってるの? 鳥海だぞ? あいつは、そう思われるような人間じゃないだろう?」

「そんなの知ってるよっ!」

 …──やだ……。……わたし、怒鳴っちゃった。


 夏樹が目を大きくして、わたしを凝視ぎょうししてくる。

 わたしはとっさに、この場を誤魔化そうと、夏樹が飲みほしたグラスを手にとって、お酒をつぎたそうとした。

 でも……手が、ふるえてる。なにこれ? 手がふるえて、トングで氷をうまくつかめない。


 焼酎のボトルをかたむけるときは、手のふるえがいちだんと大きくなって、お酒がチャプチャプと音をたてた。どうしよう……これじゃあアル中の人みたい。場所が場所なだけに、アル中の人だと思われちゃう。


 わたしは、両手を使ってなんとか焼酎をいれたけど──グラスとボトルがあたって、カチカチと音を鳴らせてた──、ピッチャーに入っている重い水をこぼさずにいれるのは、むりだと思った。

「夏樹、悪いけど……自分でいれて……」グラスを落としそうだったから、両手でグラスをしっかり持って、テーブルの上をすべらせた。そしてふるえる両手を脇に組んで、隠した。


「顔色……悪いけど、大丈夫?」夏樹が、わたしが脇に隠した手をチラチラ見ながら云った。わたしは頭が働いていなくて……夏樹を無視した。


 夏樹は、自分が無視されているのを知ると、自分でグラスに水をそそぎはじめた。

「……そんなに、好きだったの?」

 なんだか知らないけど、頭にきた。

「好きとか──そういうんじゃないっ! そんな、ありきたりな、恋愛みたいなものなんかじゃない! ──そういうのとは、ぜんぜん違う! いっしょにしないで! ぜんぜん違うのよ──わかる? この気持ちがいったいなんなのか……わたしにも、わからないけど……ふつうの好きとか……そういうの、じゃない」


 自分でも、なにを云っているのかわからなかった。


「じゃあ、なんで、こんな大切なことを知らなかったんだ? ……誰も、教えてくれなかったのか?」



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