Runaway ⑥


 それにしても、この〝とりあえず〟って、便利な云いまわしよね。〝まだ追加注文があるかもしれない〟をにおわせてくれる。


「ね、オレ、飲み放題とはべつに、なにか注文したほうがよかった?」のんびりタイプに戻った夏樹が心配そうに訊いてきた。

 何組か残っているまわりのお客さんのテーブルを盗み見て、わたしの立場を気にしているみたい。


「そうね、ほんとうは注文したほうがよかったんだけど、はじめてからきゅうにばすのも……わたしはちょっと心配かな」


「うーん」夏樹はなにかを考えるように腕をくんで、天井を見上げた。「なんか不甲斐なく感じるなぁ~。気を使わせちゃってごめんね」


 気を使うのがわたしたちの仕事なんですけど! もう、この人はもう~。ほんと、どうしよう。

 あたりさわりなく会話を続けているけど、もうぶっちゃけトークをしちゃおうかしら。そうよ、それもアリよ。

 色恋でひっぱるんじゃなくて、友達としてひっぱるの。

 よし、それでいこう。


「あのね夏樹、さっきわたしが教えてあげるって云ったでしょう? だから夏樹にはちゃんと教えてあげる。わたしたちキャバ嬢は、お金を稼ぐためならなんでもするの。──たとえば、色仕掛いろじかけとかね」


わたしは、いわくありげに、にんまり笑った。

 すると苦笑していた夏樹も、さすがになにかを感じとったらしく、笑う唇のはしをひきつらせた。


「え! なになに、その意味ありげな笑み。……え、それって……もしかして、今までの会話ぜんぶが……その、色仕掛けってこと?」

 わたしはにんまり笑ったまま〝そうよ〟と、気の毒そうに眉をハの字にして顔を縦にゆらした。

「うわぁ~まじかぁ~。──やられた!」夏樹が頭を両手でかかえて、のけぞった。「え! まじで!」ショックがおおきかったのか、二度聞きをされた。


 わたしはくすくす笑って云った。「そうよ、これがキャバクラなのよ。すこしはわかってもらえたかしら?」

「あぁ~、まじかぁ~、キャバクラこえ~……」がっくりうなだれている夏樹をしり目に、わたしはテーブルに並ぶボトルに手をかけた。

「それで、夏樹はなにを飲む? 飲み放題のお酒は、ここのテーブルの上にあるブランデーか、焼酎しかないの。しかも飲みかたは、水割りかストレートだけ」

「え!」

 理不尽な飲み放題に驚きを隠せない夏樹にむけて、わたしは焼酎のボトルを自分のももに置き、手をそえて、指先でキャップのさきっちょをくるくるといじくるようにでた。

 それを見た夏樹の喉から、なまつばを飲む音が聞こえて、わたしは内心で笑った。

 ほんと、男って単純。


「どうする? 薄めの水割りにする?」しれっとふつうに話をふる。

「……え? えっと……薄めの飲みかたが、おすすめなの?」


夏樹はがんばってるけど、しゃべりかたが若干じゃっかんしどろもどろになってる。

 かわいいけど、かわいそう。


「そう、薄めがおすすめ。この焼酎のボトルの中身って、なんだと思う? わたしも知らない銘柄めいがらのお酒がはいっているの。安いお酒なのはたしかね。だから飲みすぎると悪酔いしちゃうから……薄めをおすすめしてる。さもなきゃ、自分の好きなお酒のボトルをオーダーするとか……」


 わたしは話しているあいだじゅうずっと、わざとキャップをゆっくり撫でたり、夏樹の目と唇を何度か往復で流し見たりした。


 その結果、夏樹が口呼吸になってる。


「そっか……じゃあ、悪酔いしたくないから、ボトルをオーダーしようかな……どんなお酒があるの?」


 夏樹の視線は、エロティックに動くわたしの指先と唇、それから瞳を追うだけに集中していた。だからわたしは、夏樹としっかり目が合うまでジッと見つめて待った。

 ほどなくして夏樹はわたしと目が合うと、一瞬ぽかんとした。きつねにつままれたみたいに。


「……え? まさか、いまのも?」信じられないと云いたげに、夏樹の目がわたしの上から下までを往復する。〝そんな、まさか、紫穂ちゃんが、そんなことを?〟と、ショックを受けているみたい。


「そうよ」わたしは吹き笑いするのをこらえて云った。「もう、さっき云ったばっかりなのに、まんまとひっかかっちゃって! ボトルをオーダーしたらダーメ!」

 それからわたしは、あなたが思うほど純粋で純情ではないよと、とどめをさすセリフも云おうかとも思ったけど、やめておいた。

 夏樹が無言でまた頭をかかえているようすを見るに、彼の夢は木っ端微塵こっぱみじんに砕けたようだから。


「じゃ、薄めにつくるね」と、かってに場をすすめる。

 水割りをつくっている途中で、ボーイがカシオレを運んできた。


「はい、お待たせしました。カシスオレンジです」いまのわたしたちにそぐわない、オアシスみたいにすずしげな声の響き。お店の売上を気にしているこのボーイには、今日は悪いことをしちゃったな。


「はい、ありがとうございます」あいそよくにこやかに両手で受け取る。

 ボーイが去ってから、夏樹が弱々しい声をあげた。

「オレってさ……キャバクラにくるような人に、むいてない?」

「うん。夏樹はむいていないと思う。……こういうのに、むき、ふむきがあるのかは知らないけど」

「──たしかに」

「はい、お酒をどうぞ」すごく薄めの水割りを、コースターの上にそっと置く。

 夏樹は、なかばやけくそになって一杯目を飲みほした。

「──うっわ! ほんとだ、まっず!」


 お酒の味がわからないわたしにも、〝ああ、やっぱりうちのお店の焼酎はおいしくなかったんだ。来店したお客さんが口々に言うクレームはほんとうだったのね〟と思った。それに、まだ乾杯もしていない。


「どうする? なにかオーダーする? それとも……水だけにする?」

「いいよ、これで」夏樹がやけっぱちになってる。わたしはやれやれと笑いながらお酒をつくりつつ、話をふった。

「それで、なんだって今日はここにこようと思ったの? 見た感じだと、もうお酒を飲んでいるようだし。飲み会の帰り?」

 夏樹はちょっと考えてから、ゆっくり云った。


「……同窓会の帰りだったんだ」

 声のトーンが落ちているように聞こえたけど、わたしは〝同窓会〟のフレーズに思考がとまった。

「同窓会……」気づけば、噛みしめるようにつぶやいていた。「わたし、同窓会とは無縁むえんの人間だから、そうやってお呼ばれされちゃう人がうらやましいな」



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