弐(1)
蘇芳と琥珀が入った古寺は、森の緑に包まれた美しい空間だった。少しじめじめとした地面には、暗い緑色の苔。境内には寂れたお堂がポツンと建っているだけで、風に揺れる葉の音がサワサワと響いていた。
「で? 蘇芳」
黄色の着物を着た少女は、ちょこんとお堂の縁側に腰掛けながら尋ねる。
「わっちに聞きたいことって、なんなん?」
琥珀色の瞳が蘇芳の顔を見上げる。その可愛らしい様子に、旅人は少し笑って答えた。
「これは琥珀殿が答えたくなかったら答えなくてよい質問なのですが……ではひとつ、お訊きしますね」
「なんや?」
「琥珀殿はなにゆえ、あの男どもに追われていたのでしょうか?」
蘇芳は先ほどの男たちを思い出していた。薄汚れた着物を身にまとった集団。一度は武装した農夫たちかと思ったが、土の匂いはあまりしなかった。
それにリーダー格らしき男は、袴姿で刀をも持っていた。元下級武士、といった身分なのだろうか。
(考えれば考えるほど奇妙な男たちでしたね……やはり盗賊なのでしょうか。「御頭」なんていう言葉も飛び交っていましたし、何やら物騒な匂いがするのは否めない――)
蘇芳はじっと琥珀を見た。少女は、ぎゅっと口を真一文字に結んだままである。
(……答えたくない、のか?)
そう思った蘇芳は、慌てて口を開いた。
「あ、先ほども言いましたけど、もし琥珀殿が語りたくないのでしたら全然私は構わな……」
「語りたくないわけやないんや」
急に琥珀は蘇芳の言葉を遮って話し出した。その声音は今までの無邪気なものではなく、どこか哀しさを感じさせるほど低い。
「別に喋ってもええんや……だけど」
琥珀が迷いながらも続けた。
「わっちが本当にすべてを話したら、蘇芳まで巻き込んでしまうことになるんや。蘇芳は旅の途中やし、きっとこれから連歌の会とかにも行かなあかんやろ?」
琥珀色の瞳の奥が揺らぐ。
「一度助けてもろてんのに、これ以上迷惑はかけられへんよ。話聞きたい言うてくれて嬉しかった……やけど、蘇芳も、わっちともう関わらん方がええ」
今にも泣きそうな顔を、琥珀は黄色の袖で隠す。
そう――蘇芳も含め、誰も琥珀と関わるべきではないのだ。こんな呪われた少女と一緒にいては、これから先の命の保証は無いし、何より申し訳ない。
琥珀は目を伏せた。
しばらくの沈黙の後――蘇芳がゆっくりと口を開く。
「なるほど、琥珀殿が語りたくないと言うのなら、語らないほうがよかろう。私も無理に聞き出そうとはいたしません」
ですが、と旅人は続けた。
「助けて欲しい時は、きちんと声を上げないと助けてもらえませんよ。思うだけで、その心のうちを察してもらえればよいですが……大抵の人間というものは、言葉にしないと案外なんも分かっていないものです。――特に他人に関しては」
その言葉を聞き、琥珀がハッとしたような目で蘇芳のほうを見る。その双眸は、涙で少し濡れていた。
「ほら、泣いているじゃないですか、琥珀殿」
蘇芳の右手が琥珀の右頬に触れた。そこに伝っていた透明な雫をすくい上げる。
「どうですか、このしがない旅人に全部話してしまいませんか。お力になれるかどうかは分かりませんがね」
「うっ……」
琥珀の目にみるみる涙が溜まっていき、それはワッと溢れ出す。
「蘇芳……わっちのこと、助けて……」
琥珀色の瞳の少女が、己のことを語り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます