壱(5)


 蘇芳の冷たい眼差しが、袴の男を射抜く。しかし男は驚愕のあまり声を発することができない。


 それもそのはず――華奢に見える旅人が、ゴロツキ四人を一瞬にして戦闘不能にしてしまったのだ。しかもやられた男たちは、弱くないはずだったのに。


 それをこの男は、一瞬で――。






「黙り込んでいるようですが、どうしましたか?」


 蘇芳は袴の男に再び尋ねた。


「このまま貴方のことも、同じようにしてよろしいでしょうか?」


「あっ、いや、その……っ」

 袴の男は震える手で刀を収めると、踵を返し一目散に駆け出した。

「し、失礼しました!」


 逃げ足の速いこと速いこと。あっという間に袴の男は道の彼方へと消えていった。



「やれやれ、ですね」

 その姿を見送りながら、蘇芳は呟く。

「最初の威勢は何処どこへ行ったのやら」


 肩を竦める旅人は、気絶している男たちを見下ろした。


「この人たち……目が覚めるまでは放置していてもよいでしょうか? あ、でも通行人に迷惑が……」


 眉を寄せて考え込む蘇芳の耳に聞こえてきたのは、深い溜め息。


「お兄さん、あんた素直すぎるっていうか、天然っていうか……」

 溜め息の主は、琥珀色の瞳の少女だった。

「そういうこと言われたこと、ない? そんなに強いのに、変な人やわぁ」


「わ、私が素直で天然……ですか?」


 その紅い目をパチクリさせる蘇芳。そういう仕草が、それを物語っているというのに彼自身は気づいていない様子だ。


「まあ、ええわ。お兄さん、まずはわっちのこと助けてくれてありがとうな」


 少女は頭を下げる。


「あいつらが武器持って襲ってきたときは本当にどうなるかと思ったけど……なんや、お兄さん、めちゃくちゃ強いやん。ほんと助かったわ、ほんとにありがとう」


「……ありが、とう?」


 蘇芳は驚いて暫く何も言えなかった。こんなに面と向かって礼を言われたのは何時いつぶりだろうか。今まで、蘇芳が人のために動くのはであることがほとんどだったから、返ってくるのは報酬か褒め言葉だけだった。


 ……なのに今は、目の前の少女から感謝されている。頭まで下げられている。


「……」


 蘇芳が固まっていると、少女が勢いよく顔を上げて、蘇芳の腕をバシンッと叩いた。


「あ、痛っ!」

「なんや、お兄さん。わっちがありがとうって言ってるのに、何も返さないん?」

「……あ、それはすみません」

「謝るんじゃなくて!」

「いや、なんと返せばよいのかわからなくて」


 額に汗を浮かべる旅人に向かって、少女は腰に手を当てながら教えてやった。


「仕方ないお兄さんやな。こういうときはな、『どういたしまして』って言えばいいんよ」


 蘇芳は素直に頷く。


「なるほど」

「ほら、お兄さん。言ってみ?」


「どういたしまして」


「よくできました!」


 少女は満面の笑みを浮かべると、そのまま続けて名乗りだした。

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