第弐詣之二 消失した四社の〈神宮〉

 令和六年、皇紀二六八四年現在、〈神宮〉という社号を名乗っているのは、全部で〈二十五〉社である。

 しかしながら、資料を紐解いてみると、戦後に〈廃社〉などで消失してしまった神宮が、実は〈四〉社存在していた事が分かる。

 それが、「朝鮮神宮」「扶余神宮」「台湾神宮」「関東神宮」の四社である。


 大正八(一九一九)年に創立された「朝鮮神社」が、「朝鮮神宮」に改称されたのは大正十四(一九二五)年の事で、その祭神は「天照大神」と「明治天皇」である。この神宮が廃社になったのは、第二次世界大戦後の昭和二〇(一九四五)年の十一月十七日の事であった。


 そして、朝鮮のもう一つの神宮が「扶余神宮(ふよじんぐう)」で、その祭神は、「応神天皇」とその母「神功皇后」、「斉明天皇」とその子「天智天皇」で、この神宮は、その造営の途中で第二次世界大戦の終戦を迎え、「朝鮮神宮」同様に、昭和二十年の十一月十七日に、造営は廃止された。その為、鎮座される事がなかった神宮である。


 明治三十四(一九〇一)年に創建された「台湾神社」は、「大国魂命」「大己貴命」「少彦名命」といった「開拓三神」と「北白川宮能久親王(きたしらかわのみや よしひさしんのう)」を主祭神としていたのだが、昭和十九(一九四四)年に、「天照大神」が増祀され、社号も「台湾神宮」に改称された。しかし、翌年の第二次世界大戦の終戦後すぐに、台湾にあったその他全ての神社同様に廃社となったのだった。


 「関東神宮」は、いわゆる満州の神宮で、昭和十三(一九三八)年に創立され、終戦前年の、昭和十九(一九四四)年に鎮座・創建された。その主祭神は、「天照大神」と「明治天皇」であった。しかし、これまで見てきた神宮同様に、戦後、廃社になってしまった。


 つまるところ、未鎮座の神宮や、廃社になった三社の神宮は、戦前に、朝鮮・台湾・満州にあった神宮で、これらが、戦後に、造営廃止や廃社になったのは歴史的必然であるように思われる。


 ここで着目したいのは、廃社となった三社の全ての神宮において主祭神の一柱になっていたのが、皇室の祖神である「天照大神」で、さらに言うと、「朝鮮神宮」と「関東神宮」においては「明治天皇」が祀られていた点である。


 こういった分けで、戦後に、明治天皇を祀る神社は、東京の「明治神宮」のみになってしまったのだが、昭和三十九(一九六四)年、「札幌神社」が「北海道神宮」に改称され、その際に「明治天皇」が副祭神として増祀されたのだった。


 かくして、皇紀二六八四年現在、天皇系の神社十三社の中で、「明治天皇」を祭神として祀っているのは「明治神宮」と「北海道神宮」の二社となっている次第なのだ。

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