皇紀二六八四年、令和六年、甲辰歳
第壱詣 正月朔日に地元の神社を詣でけり:大洗磯前神社
第壱詣之一 皇紀と紀元節
年を記したり数えたりする方法の事を〈紀年法〉と呼ぶのだが、現代日本においては、今なお、西暦と和暦という二つの方法が併用されている。
現代日本も含めた、非常に多くの世界各国で用いられている「グレゴリオ暦」が、いわゆる〈西暦〉で、これは、イエス・キリストが生まれたとされる年を元年とする紀年法で、「西暦紀元」あるいは「キリスト紀元」とも呼ばれ、英語圏や日本では「AD」という略記号が用いられている。
これに対して、日本独自の紀年法である〈和暦〉とは、「昭和」「平成」「令和」といった、いわゆる〈元号〉で、「邦暦」や「日本暦」とも呼ばれ、最初の元号は、飛鳥時代の孝徳天皇の、西暦における六四五年に制定された「大化」である。以来、元号の数は〈二四八〉を数えているのだが、この数は、南北朝時代における両朝の元号を合わせた数で、重複していない元号の数は、南朝が二三二、北朝が二四一となる。
ちなみに、ある年が令和何年かを知りたい場合には、西暦の下二桁から十八を引けばよいので、例えば、西暦二〇二四年は、二四ひく一八で、令和六年となる分けだ。
だがしかし、である。
たしかに現代日本においては、日常的には使わなくなってはいるのだが、日本には、他にも紀年法があって、その一つが、干支による紀年法、「干支紀年法」で、これは六十年周期で一巡し、令和六年は、第四十一番目の「甲辰(きのえたつ、こうぼくのたつ、こうしん)」に当たる。
そして、現代日本においては公文書においてさえ使われる事もなく、今では、日本史や日本文学、あるいは、神道や神社関連において専ら使われている紀元法も存在していて、それが「神武天皇即位紀元(じんむてんのうそくいきげん)」、いわゆる「皇紀(こうき)」であり、この紀年法にはその他、「皇暦(こうれき、すめらこよみ)」「即位紀元」「日紀(にっき)」「神武紀元」「神武暦」といった異称もある。
皇紀は、その正式名称である「〈神武〉天皇即位紀元」や「〈神武〉紀元」や「〈神武〉暦」といった名称が示しているように、初代天皇である神武天皇と関連があって、皇紀は、初代天皇が即位した年を元年としているのだ。その根拠となっているのは『日本書紀』内の以下の記述である。
辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮
この「辛酉年」が、西暦の紀元前六六〇年に当たるとされ、すなわち、西暦たす六六〇で、西暦二〇二四年は、皇紀二六八四年となる分けなのだ。
この「神武天皇即位紀元」は、明治五年(一八七二年)に布告されたのだが、それ以前の日本では、元号か干支、あるいは、その二つを併用してきた。したがって、一見、太古から使われてきたように思える〈皇紀〉は、その実、歴史的には新しい紀元法なのである。
ちなみに、「辛酉年春正月 庚辰朔」という記述によって、神武天皇の即位日は、〈正月朔日〉、つまり、旧暦の一月一日であり、この日に、初代天皇である神武天皇の即位を祝う事になった分けなのだ。
実は、ここに興味深い資料があって、明治政府が、明治五年十一月十五日(西暦一八七二年十二月十五日)に、神武天皇の即位を〈紀元〉とし(「明治五年太政官布告第三四二号」)、その即位日である旧暦の一月一日に当たる、一八七三年の一月二十九日を祝日に定め(「明治五年太政官布告第三四四号」)、実際に、この日に、神武天皇の即位が祝われた。
しかし、おそらく、旧暦を新暦に換算しなければならない国民の混乱を避ける目的なのだが、明治政府は太陽暦を採用する際に、祭典などの日付は、旧暦の月日を新暦の月日に置き換えず、同じ数字を使うとし、祭典の執行日を新暦で固定していた(明治五年太政官布告第三三七号)。だから、明治六年の紀元節は、これに矛盾していたのである。
さらに、神武天皇の即位が、正月の朔日であった為、当時の国民は、紀元節を、神武天皇の即位というよりもむしろ、旧暦の元日を祝う祝日として認識していたらしい。
紀元節が旧暦の元日であるのは間違いないのだが、その主目的は、神武天皇の即位を祝うもので、こういった認識を広める為にも、政府は、当時の文部省天文局の算出と暦学者の審査に基づいて、明治六年の十月に、皇紀元年の一月一日を、西暦の紀元前六六〇年の二月十一日に置き換え、紀元節を定め直したのである(「明治六年太政官布告第三四四号」)。
かくして、神武天皇の即位を祝う「紀元節」は、毎年毎年、旧暦の一月一日を新暦に換算しなおす移動祝日ではなく、新暦の二月十一日という固定祝日になったのである。
やがて、太平洋戦争の直後に、「紀元節」は廃止されてしまったのだが、のちに、初代天皇である神武天皇の即位をもって日本の建国を祝う国民の祝日は、名称を変え、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨の祝日として再適用される事になった(「昭和四一年政令第三七六号)」)。だが、暦を再計算し、新たな日付に置き直したりはせず、紀元節の〈二月十一日〉が、そのまま「建国記念の日」となった。
そして、昭和四二年二月十一日から「建国記念日」が実施され、この日は、令和六年も変わらず、国民の祝日になっているのである。
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