見えないモノが視えること。

來遠 眞

第1話 

 私は特に、誇れるモノもなければ、特技もない。液晶画面の中にあるような綺麗な顔立ちも誰もが憧れるスタイルも持っていない。

 好きなモノはお笑いとロック。あと、車とバイク。昔から、車の整備士になることが夢で中坊の時は破れるくらい車とバイクの雑誌を見ていた。


 まずは、家族構成。母、妹、母方の祖母、私の四人暮らし。父親は生まれた時からいない。

 生後三ヶ月の時に両親が離婚。近畿地方から母の実家の九州へと引っ越してきた。母は離婚の際、何もいらないと啖呵をきって離婚した為、何も貰い受けることなく私を連れて実家に戻った。祖母は、母の為に祖父と二人で暮らしてきた自宅を売った。理由は、母が生活のためと称して借金を重ねていたからだ。

 私が五歳の時、家賃三万円の二階建てアパートに引っ越した。このアパートで私達家族は十一年暮らしていくことになる。

 今思えば、三万円にしてはかなり安い物件だった。メゾネットタイプで、一回は五畳ほどのキッチンと、六畳の居間。二階は一階より広く、階段を上がるとドアが有り、すぐに六畳の和室が襖で三部屋区切られている。

 

 寝る時は二階の部屋で、真ん中の六畳の部屋でばあちゃんと妹の三人で川の字で寝ていた。


 いつの頃からだったのか思い出せはしないが、暗闇の中でようになっていた。このモノをなんと説明したらいいのか分からない。箪笥と箪笥の間から、手乗りサイズくらいの小さいモノがフワっと出てくる。黒くてキラキラしている。動くたびに暗闇の中をキラキラして、飛び回ったり、走ったりしている。触ろうとするが感触はなく、手のひらから腕にかけて蛇の様にスルスルっと抜けてまた飛び回る。この話を家族や友人にした事はない。

 イマジナリーフレンドだったのかもしれない。コレはいつしか見えなくなってしまった。見たいと思っても見えないのだ。だが、イル。ことはなぜか感じていた。


 小学生に上がった時、初めて左耳の聴覚がないということが分かった。医師からサラッと言われた母は青ざめていたが、私はことの重大さが分からなかったため、さほど気にはしていなかったが、術後、楽しみにしていたプールが二年〜三年出来なかったことは、悔しかった。


 聴覚が戻ってから、部屋の中で変な音がする事に気がついた。

 一階の部屋にいると、二階から走り回る音やヒソヒソと話す声。フッと笑う感じも聞こえる様になった。これもまた不思議なのだが、私はあまり気にならなかった。怖いとも思わなかったし、ただ、うるせぇなぁくらいだった。もちろん、二階の部屋には誰もいないことは分かっていた。たまに、階段を降りて来る音も聞こえた。玄関をガラガラと開ける音も聞こえていた。


 気配はするのに姿はない。


 その気配や音は私以外の家族には聞こえていない。もちろん、そのことをわざわざ家族に言うことはなかった。


 このアパートは、一号室から五号室まで壁一枚を隔てて横並びに建っている。私の家は二号室だ。だんだん、成長していくたび気がついたことがあった。隣の三号室だけ、なぜか引っ越してきては三か月ほど経つといつの間にか住人の顔を見ることがなくなり、直ぐに空室になっているのだ。一番覚えてる住人は、若い男女のカップルだ。いつも仲良さそうで、よく二人で出掛けていたのを覚えている。

 しかし、だんだんと二人が一緒にいるところを見なくなっていった。男性の方はたまに見ることがあったが、女性の方は全く見掛けない。子供ながらに、おねえちゃんはいないのかなと思ったりした。


 ある夏の真夜中、二階で寝ていた私は女性の大きな声で目を覚ました。外で、女性が怒鳴っている。怒鳴りながら、玄関の戸を叩いていた。なんと言っているのかはっきりとは聞こえなかったが、いるんでしょ!開けろ!開けろ!と玄関を思いっきり叩いていたようだった。隣の三号室だ。住人は本当にいなかったと思う。

 数秒、シーンとしたので安心したが、その瞬間、ガシャーン!!という大きな音で体がビクついた。恐る恐るカーテンを少し開けて、下の方を覗き込むと、辺りにはもう誰もいなかった。暫くして、一階に降りて隣の家の玄関を見ると、玄関のガラスが粉々に割れて、大きく丸い穴が空いていた。この出来事は、思春期真っ只中の私には衝撃的な出来事だった。今でも鮮明に覚えている。暗闇の中、玄関には丸い穴が空き、その奥に見える部屋の中も真っ暗闇。ゾッとした。


 数十分後に車で帰ってきた住人の驚きの声は可哀想だった。


 朝、学校へ行く時に三号室の玄関には、新聞紙が貼り付けられていた。数日後、玄関は綺麗に修復されており、隣人はいつの間にか引っ越していたようだった。

 私はあの日、女性が大声で怒鳴っている時に壁に耳を当て、隣の人がいるのかどうか探っていた。確かに、女性とも男性とも思えるヒソヒソ声のようなものがし、微かに笑う声もした。人が発しているものなのか、テレビやラジオからの音声なのか分からなかったが、在宅しているのだと思った。

 しかし、ガラスを突然割られた時も出て来る気配もなく、女性が立ち去った後にも微かに声は聞こえていた。

 それから、三号室は私が引っ越すまでの間、誰も入居することはなく、空室のままだった。


 私の祖母は、信仰深い人だったと思う。


 毎日、朝と夕に祖父の仏壇に手を合わせ、般若心経を詠む。

 朝は、仏壇に生花をあげて、炊き立てのご飯と朝一番に淹れたお茶を供える。線香を焚き、リンを鳴らし般若心経を詠む。その般若心経の声が当時の私のアラームだ。

 陽が落ちると、朝供えたご飯とお茶を下げ、また般若心経を詠む。

 夏休み中などは本当に嫌だった。長い時間寝ていたいのに、6時には般若心経で起こされる。


 私は仏壇の下が怖かった。仏壇が置かれている下の部分には、置物や古い箱がたくさん置かれていた。布をあげないと見ることはないが、薄暗いその場所は奥にナニかいるのではないかと思わせた。


 祖母は、何年かに一度、自分の故郷に帰ることがあった。七人兄弟の長女で弟や妹に会うためだ。鹿児島県の種子島という場所で、かなり遠かった記憶がある。だいぶ、小さい時に行った記憶があり、杖をついた誰か分からないおじいちゃんと、うちの祖母と三人で浜辺を歩いている記憶。どこかに古びた鳥居も見えた。それ以外は覚えていない。

 

 祖母が種子島に帰る時は、私達にとっては嬉しかった。遅い時間までテレビゲームも出来るし、朝も早く起きなくてすむからだ。

 その日は土曜日だった。

 二階の部屋で遅くまで妹とゲームをしていた。何時だったか覚えていないが、0時を過ぎていたかもしれない。


 階段を登って来る音が聞こえ、私と妹は顔を見合わせて、寝たふりをすることにした。

 急いで電気とテレビを消して、布団に入った。

 しかし、ドアを開けて来ない。

 こちらの様子を伺っているのかもしれないと思い、そのまま寝たふりを続行していた。

 それでもドアを開けて来ない。

 なぜだろう?二人で常夜灯の薄暗い中、目と目を合わせていた。

 すると、ドアをコンコンと二回ノックされた。返事をすると起きていることがバレるので、声は出さなかった。

 コンコンと、またノックをされた。数秒後にまたコンコンとノックされ、少し怖くなったので、私がドアの方に向かって、もう寝るから。と言った。

 コンコン、、、とまたノックされ、妹がだんだんと怖がり始めたので、部屋の電気をつけ、私はドアの前に立って、ごめん、お母さん。もう寝るから止めてよ!と言ったが、ノックは続いた。

 妹は泣き始めて、私は怖くて怖くて仕方なかったが、震える手でドアを思いっきり開けた。


 誰もいなかった。


 一階は真っ暗で、母親が起きている様子もなかった。私と妹は、恐怖でキャーーー!と叫び、ドアを閉めて二人で布団に潜り、いつの間にか朝を迎えた。


 次の日、妹と二人で母親に昨夜、二階にきた?と聞いたが、母親は来ていないと答えた。昨夜の話を母にすると、やだー怖い!変なこと言わないでよと言ったあと、あんたはおじいちゃんが滋賀でお坊さんだから、そういうモノが視えるのかもよ。おじいちゃんも視るって言ってたから。と、その時初めて父方の祖父がお坊さんだということを知った。

 

 妹と一緒に不思議なことが起きたのは、これが最初で最後だった。妹が小二、私が小六の時の話だ。


 その後、妹には不思議な出来事は何も起こっていない。だが、私には続いていた。

 金縛りかどうかは分からないが、体がピーンッと張り詰めて動けない。動かせるのは目と瞼だけだった。動悸と汗。畳を摺り足で歩く様な音と女の笑い声や、寝ている私に話しかける男の声。決まって同じ時間帯に起こる気味の悪い出来事。

 こんな話、誰にも出来なかった。

 なぜなら、クラスに霊が視えると言っている女子がいたからだ。正直、私は霊や幽霊などの類は全く信じていないし、視えるという人の事を少し、変な奴だと思っていたからだ。構って欲しいだけのパフォーマンスにしか見えなかった。教室にもいるとか言って盛り上がっていたが、彼女が言うほど学校とは怖くないものだ。昼も夜も、特に気味が悪いと感じることはなかった。

 私からすれば、裏山の公園の方がよっぽど近づきたくなかった。なぜか、昼間でもどんよりと暗く視え、遊具と鳥居とお墓のある公園はわたしにとっては気持ち悪かった。


 『鳥肌が立つ』という経験は誰しも一度以上はしていると思う。寒い時、嫌な音を聞いた時、他はどんな時だろう、トイレの時とか?サムいダジャレ聞いた時とか?まぁ何かしら鳥肌が立つことはある。

 私の場合、上記にあげたこと以外にも鳥肌を感じる時があった。今はもうあまりないことだが、授業中や歩いてる時、もちろん寒くもないし嫌な音も聞こえてはいない、そんな時に身体の右半分だけ鳥肌が立ったり、頭部の後ろだけ、髪が逆立つほどの鳥肌を感じたり、左腕だけ鳥肌など、いろんなパターンがあった。一度、左腕の鳥肌だけが立った時に友人にたまたま気づかれて、なにこれ?と言われたことがあって気まずかった。

 その後しばらくして、心霊特番のような番組で霊能者の人が言っていた。霊が触れたところだけ鳥肌が立つと。

 目に視えないモノなのに、肌では感じることが出来るのか?とちょっと疑問にも感じた。


 頻繁に金縛りに遭うと、慣れる。


 金縛りが来る瞬間や、解き方も分かるようになる。分かるというより、私の場合はほとんどキレていた。ブチギレだ。中学生の貴重な眠りを妨げられるのは、非常に不愉快だった。

 来る瞬間は、心の中で『やめろ、くるんじゃねー!』と、叫び、拳を握ると来なかった。かかった時は、身体中に力を入れて、「うるせぇーーー!!」と声に出して叫び、上体をあげる。金縛りにかかっている時は、なぜか声が出ない。無理矢理、声を出すようにしないと解けなかった。なぜ、うるせぇなのかと言うと、四方から私の名前を呼び、クスクスとバカにしたかの様に笑い、耳元でずっと名前を呼び続けられるからだ。


 声だけではない。


 中学生にもなると、ばあちゃんと妹と川の字で寝ることはなくなり、一人部屋を与えられた。一人部屋と言っても襖を隔てて隣の部屋になっただけだが。ばあちゃんが一人部屋になったお祝いだと言ってセミダブルのベッドをプレゼントしてくれた。生まれて初めてのベッドは嬉しかった。

 私の部屋には、大きな窓があった。その窓の方を頭にしてベッドで寝ていた。もちろん、カーテンはついている。

 しかし、私はカーテンレールからカーテンを外し、レースカーテンさえもしなくなった。常に外から部屋が見える状態になった。

 母から、あんたよくカーテンもせずに眠れるねと言われたが、ちゃんと理由があった。

 あぁ。大丈夫。慣れればなんでも普通だから。それに、カーテンしてるとうるさいんだよ。うるさくて、イライラして眠れないから。と母に、カーテンを外した理由を話した。

 母は、どういう意味?と聞き返してきたので、私は話した。


 知らない女が外から窓を思いっきり叩くんだ。と。

 その叩く振動でカーテンが動くから。と。


 母は、私の話した内容を理解できないようだった。二階のあんたの部屋の窓を外から叩く、の?と確認するかのように聞いてきたので、私は正確に答えた。

 毎日、金縛りに合って、まぁそれは慣れてるからいいんだけど、窓が割れるんじゃないかと思うほどの勢いで、ダンダンダンと叩かれる。叩かれるたびにカーテンが音に合わせてゆらゆら動くんだ。体は動かないから目だけ開けて、カーテンが揺れているのを確認した。なぜか、目を閉じると、顔は分からないんだけど、白なのか赤なのか分からないワンピースを着た、髪は肩くらいの女が叩いてるのが視えるんだよね。その音がうるさくて、ムカついて、顔を見て文句を言いたくて、カーテンを外した。と話した。

 

 母は、あんたすごいわ。お母さん怖くて寝れないわ。と言っていたが、カーテンを外してからは窓を叩かれることは一切なくなった。カーテンを外して良かったことはまだある。


 こんな田舎で唯一のもの。


 満天の星だ。


 どこから飛んできたのか、蛍がフワフワと漂い、ほんのり辺りを明るくしながら見る、夏の天の川も、ホットココアを飲み、白い息を吐きながら見る冬の大三角も、小さい星々が肉眼で見えるため、浮き出るかの様に更に美しさを増す。

 プラネタリウムを初めて見に行った時、さほど感動しなかったのは、このせいだろう。


 カーテンを外して一年ほどたった冬。この時は本当に寒くて、一年振りにカーテンをつけた。

 私の部屋には、母の嫁入り道具であった三面鏡が置いてあった。私のベッドの足元、左の隅に置いてあった。

 三面鏡は観音扉の様に閉じることが出来るのだが、壊れていたのか閉じても閉じてもいつの間にか開いているため、常に開けた状態だった。

 不思議なことは山ほどあったが、後にも先にも、飛び起きて恐怖を感じ、母のいる部屋に逃げ込んだのは、初めてだった。

 

 その日も三面鏡は開いていて、私はぐっすり眠っていた。

 胸やお腹が苦しくて、周りに沢山の人がいる様なザワザワ感がしていて、軽く目を開けた。もちろん、誰もいない。気のせいだと思い、また目を閉じた。しかし、息苦しさと沢山の人の気配は消えなかった。暫くすると、ヒソヒソと何か話しているような声や、泣いているような声が途切れ途切れ聞こえる様になってきた。

 声よりも、息が出来ないくらい胸が苦しいことが気になった。体を動かそうとした時、初めて金縛りにかかっていることに気がついた。

 

 目を開けた。


 ザワザワする人の気配はしている。


 苦し過ぎて、胸の辺りに目を向けた。

 

 うっすら掛け布団が揺れている様に見えた。ジッと見つめているとある事に気がついて、ゾッとした。掛け布団の上を無数の人が歩いている。踏まれるたびに布団が足の跡のように沈む。だんだん、暗闇に目が慣れ始めると、私の頭上の右隅から、身体の透けた沢山の人たちが部屋の左隅に置いてある三面鏡の中へと歩いている。

 もっと、ゾッとしたのは、そのたくさんの人達の着ている服装だった。軍服姿、もんぺ姿に防災頭巾を被った女性や小さい子供、坊主頭の男の子たちの後ろ姿。

 その中の誰かが立ち止まり、振り返ろうとした。私は顔を見てはいけないと感じ、目を閉じた。早く!早く!早く!動け!動け!と何度も何度も心の中で叫んだ。やっと、右手が少し動いたところで、金縛りが解けた。

 ベッドからすぐに起き上がって、一階の母の元へ走って階段を降りた。

 一階の部屋のガラス戸をいきおいよく開けると、母はアイスを頬張ったまま驚いていた。

 汗だくになって、青ざめていたであろう私の顔を見て、母は一言、あんたもアイス食べる?と聞いてきた。

 その一言のおかげで、私は冷静になれた。

 母の問いには、深夜のアイスは危険だからいらん。と答えた。

 三面鏡は、その後ガムテープで閉じたが、置く場所もなかったため、私の部屋の同じ場所に置いたままだった。


 その後、その沢山の人を見ることはなかった。


 私が高校に通い出してすぐ、祖母の体調が悪くなって入院することになった。今まで病院にかかることもなく、元気な祖母だったが風邪から持病の喘息を悪化させ、軽い肺炎になってしまった。

 入院期間は一週間ということだったが、あまり体力もなかったため、また一週間延びた。

 

 ある日、お見舞いに行った母が帰ってきて、私に不思議な話をしてきた。


 ばあちゃんが変なこと言うのよ。ばあちゃんが、看護婦さんにいつもありがとうって伝えてくれって言うの。と、母は私に、ばあちゃんから言われたことを話し始めた。

 夜中に、ばあちゃんの部屋に看護婦さんが何人かで来てくれて、身体を拭いてくれるんだって言うのよ。真夜中に、そんなことする?私、気味が悪くて、何言ってるの?寝ぼけてたんじゃないのって言ったのよ。そしたら、ばあちゃんが、白い服を着てたから看護婦さんだよ。身体を拭いてくれて、揉んでくれるんだ。って言うの。怖くない?

 この話を聞いて、私はすぐに思ったことがあった。

 ばあちゃんは、きっと『天国に行ける人』なんだ。と漠然と強く感じた。


 数日後、ばあちゃんの容態は突然悪化し、苦しむこともなく眠った様に亡くなった。


 ばあちゃんが、私に言ってくれた最期の言葉は、『眞、あんた本当に綺麗になったね』だった。昔から男みたいな性格で、男みたいな格好をしていた。もう、目も悪くなって見えていなかったはずだ。いつも、抱きしめるみたいに一緒に寝てくれていた。学校の話、好きな歌手の話、運動会では食べきれないほどのお弁当を作って、大きな声で応援してくれた。ちゃんとありがとうも言えなかった。

 葬儀が終わって家に帰って、もういないんだと現実を感じて、生まれた時と同じくらい泣いたと思う。

 

 遺骨をお墓に移す、前日の話。


 その日は暑くもなく、寒くもなく、穏やかな眠りについていた。


 襖で仕切られた隣の部屋には、妹が一人で寝ていた。

 ふっと、目が覚めた。声が聞こえたような気がした。妹の部屋で、まったく、みーちゃんは寝相がわるいんだから。と言い、掛け布団を妹に掛け直してくれているようだった。ウトウトとしている私は、あぁーばあちゃんかーと、なんら不思議とも感じなかった。

 金縛りもなく、怖さもなく、ただウトウト感も気持ちよく感じた。

 

 スゥーっとばあちゃんが私の部屋に来たことを感じた。襖も開けずに入ってきたことは、何も思わなかった。


 冷たく温かいばあちゃんの手が私のおでこから頭に触れてなでなでされた。

 気持ち良くて、そのまま深い眠りについてしまう一瞬で、ばあちゃんがオレンジ色の光の方へ、ゆっくりゆっくり上がって行くのを感じた。


 翌日、母にこんな事あったと話したら、私には会いにきてくれなかったと号泣した。


 それから、10年間私は一切、金縛りも変な声も聴くことはなかった。


 10年後、更に始まった時、直感的に感じた。ばあちゃんが守ってくれてた期間が終わったと。

 それからの話は、また別の機会に書いていきたいと思う。

 

 

 

 

 

 




 


 






 


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