第4話
◇
夕方の時間帯であるはずなのに、世界はどこまでも暗闇に染まっている。昔ならその暗闇を怖がっていたのだろうけれど、今じゃ何も思うことはない。
子供の頃は、明かりがなければ眠ることができなかった。……今も子供だけれど。
コンセントを挿すタイプの豆電球をつけて、その明かりをぼんやりと見つめながらじゃないと、私は眠ることができなかった。
隣には、仕事で疲れた顔をして、すやすやと眠る姉の顔。その表情を見て、どこか安心感を覚えないと、私は眠れなかったはずだ。
いつから、こうなったんだっけ。
……どうでもいい。考えないようにする。
私は街灯の光を頼りに帰路を進んでいった。
◇
帰ったアパートは当たり前だけれど暗闇に染まっていた。屋内だから外の空気に絆されてはいないものの、それでも寒さが身を包んでいく。
それでも、私は明かりもストーブもつけることもなく玄関先で佇む。
ポケットから携帯を取り出して、返信は来ていないだろうかという確認をする。
既読はついている。だが、返信はなかった。
『家で待ってます』
とりあえず文面でそれだけ送って、結局私は家の中に上がり込むことにした。
明かりをつけないと視界は確保できないので、私は部屋の電灯をつけた。しばらく点灯に時間がかかるけれど、それもいつものこと。数秒経って、明るく照らされた部屋を私は視界に入れた。
家の中は質素なものばかり。そんなものばかりしか買えない経済状況のために、何か物を隠す際には苦労が絶えない。何せ狭い空間で物影がないのだ。
携帯もそのうちの一つだ。姉がいつも買ってあげる、と声をかけてくれるけれど、申し訳なさ過ぎてねだることはしない。ねだらなくても今は手に入れることはできるのだから、どうでもいいかもしれない。
居間というべきなのか、食卓というべきなのか狭い空間に私は移動して、テレビに近づいた。
別にテレビが見たいわけじゃない。
目的は、テレビの裏の方に引っかかるように隠している私の財布だった。
いつも通り誰かに気づかれることはなく、財布はそこにある。そのことに安堵を覚えて、私は財布を取り出した。中身は見たくはないけれど、それでも一応という具合で確認してみる。
黒光りする財布の艶を視界に入れる。大人が持っていそうな財布の中には札が何十枚も入っている。そのすべてが一万円札であり、小銭のようなものは何一つ存在しない。
ふう、と息を吐く。息を吐いて、私は本当に何をしているのだろうと思う。
子供には身に余り過ぎる大金。同級生のお年玉の話を聞いても、ここまでの金額をもらっている子の話は聞いたことがない。
そして、特殊なことでしかない目の前の現状に、私は何も思うことはできない。
きっと、純粋な心を持っている誰かならば、何かしら欲しいものをこれで買うのだろう。それほどに欲望に答えてくれる金額。その金を見ても私は溜息を吐くことしかできない。
昔は欲しかったものがたくさんある。テレビのコマーシャルで流れてくるおもちゃ、少し可愛い筆記用具の類、ゲームだったり、もしくは今は手にしている携帯電話だって。
でも、今は何も欲しくない。なんでも手に入れることはできるけれど、何も手にしたくない。それをしてしまえば、汚れを受け入れてしまうような気がしたから。
──嘔吐感。
慌てて私は台所に駆け込む。洗面台に吐くべきなんだろうけれど、その余裕はないためにシンクへとすべてを吐き出した。
胃の中身は空のはずなのに、それでも口からは水が出てくる、酸味のある液体が吐き出されていく。
腹の中にくすぶっている気持ち悪さが、そのまま口から流れる。
吐き出すものを吐き出して、私は、はあ、と大きく息を吐く。
その後は細かく息を整える。はぁ、はぁ、と声を出しながら。
そんな時に、ポケットで震える携帯電話。
呼吸を落ち着かせた後に、ポケットからそれを取り出して、通知の正体の確認。
『今から行くよ』
シンプルなその文面に安堵ではない気持ちを抱きながら、また呼吸を続ける。財布を準備しなければいけないことを頭の片隅に置きながら。
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